ari's world

あるかどうかわからないけど、あるみたい。ありがとう。

対話による子育て

2015年ぐらいから継続して実施していて、現在の最新バージョンです。

対話による子育て

以前、書いたブログ記事です。オススメなので、読んでみてね。

共に育つ、という意味では、こちらもオススメ。

「心がけ」は、完全に実施できているわけではないが、そうできるよう努力しています。

効果的な数学・算数の学び方

数学・算数を勉強中の子どもから相談を受けました。

  • 小テストでは、満点近く取れる。
  • 試験範囲が決まっている定期試験は、それなりの点数を取れる。
  • しかし、試験範囲が決まっていない実力テストや模試では、点数が取れない。

そこで、原因と対策について説明してみました。

効果的な数学・算数の学習方法

とりあえず、できるところから、やっていきます。

皆さんのところでは、どんな感じでしょうか。

追記: フォローアップしました。右側の「単元などの概念の確認」ではなく、「できない問題をできるようになるため」に解いていたのではないか、という仮説を立ててみました。

なぜ問題集を解くのか

彼氏・彼女や伴侶の選択基準(うちの場合)

ゴールデンウィークが始まった4月30日に、子どもたちと話したメモである。実は、まったく別の話題だったのだけれど、なぜかこんな話になってしまった。中学生の子どもたちとの対話(話し合い・学び合い)なので、あらかじめ想定できない。

もちろん「この日に話した内容」を記録したメモなので、 これから変わっていくし、 普遍的でもないし正しくもない。「こんな話もあるんだね〜」とあくまで参考にしてほしい。これから 恋や恋愛、結婚をするかもしれないし、しないかもしれない、よくわからない。

たしか、こんな感じの話だった:

  • 根拠とする前提
    • 「今、ここ」だけの話
    • 他人は変えられない
    • 親からの影響が大きい
  • 相手の選び方
    • 健全なコミュニケーションが取れること
    • 他人を尊重・尊敬できる人であること
    • 悩んだときは、親を参考にすること
  • 二人でやっていくこと
    • 多様性(違った意見)を尊重すること
    • 「心」「感情」を大切にし、関係を育てること
    • (扶養できるまで)子どもは作らないこと
  • これから

根拠とする前提

  • 普遍性はない
  • 人は変えられない
  • 親からの影響が大きい

「今、ここ」だけの話

もしここが中東やアフリカだったらまた違う考えだろうし、 今が奈良時代室町時代だったらまた違うだろう。同じ日本でも、地域や家庭、個人によって違うだろう。

あくまで今ここで、の話である。これから、自分で、よく見て、感じて、決めてほしい。

他人は変えられない

浮気や不倫、ギャンブルやお酒、嘘をつくこと、などの癖や習慣を変えるのは困難である。 専門家とじっくりと治療するように変化していくものである。

自分が変わるだけでも大変なのに、ましてや他人を変える、なんて、今のあなたには現実的にはできない。自分が受け入れられるかどうか だけである。たいていの場合、気になっていることは、だんだん大きくなる。

お互い自分の心を大切にして、関係が続くことが一番である。

(いろいろな具体例については省略)

親からの影響が大きい

ある子の話によると、性格の99%は親から受け継ぐので、その人だけの個性は1%らしい。

程度の差があれど、遺伝は親からだし、養育する親が環境を用意するので、程度の差があれど、親の影響を受けるというのは一般的に妥当だろう。

親や、結婚相手、付き合っている相手は、長い期間に渡ってコミュニケーションしているから、影響を受ける。

(いろいろな具体例については省略)

相手の選び方

では、相手として、どんな人を選ぶのか話し合っていこう。

  • 健全なコミュニケーション
  • 相互の尊重・尊敬
  • 親を見る

これは、相手に望むことだけでなく、自分も心がけていくことだ。

メタ認知にも話題が進んだが、ある年の研究・実践テーマだったので、省略)

健全なコミュニケーションが取れること

いつもの時と、特別なときに、見ていこう。

健全なコミュニケーションは、簡単なやりとりから始まる。いつもの挨拶、いつもの返事となる。健全なあいさつや返事は、お互いに良い関係を作る第一歩となる。

さらには、一緒にいると、いざということ、トラブルは発生する、必ず。トラブルが発生した時に、主体的に解決していけるか、力を合わせて話し合っていけるか、一緒に歩んでいけるか、は、とても大切な判断基準となる。

他人を尊重・尊敬できる人であること

相手を尊重や尊敬せず、怒鳴りつけたり、支配する、相手の自由を奪う人は、世の中には多い。そのような態度では、お互いに成長していくことは、なかなか難しいし、支配と隷属の関係になってしまう。

特に、他人を救おう、治してやろう、という態度は、支配と隷属を生み出しやすい。

もし、支配と隷属の関係になりそうなときは、悪人になる(悪いことをする doing ではなく、悪人になる being)と楽になるよ。

お互いに尊重・尊敬して、一緒に歩んでいこう。

悩んだときは、親を参考にすること

たいての場合、相手は、その親のようになるか、親とは反対になることが多いかもしれない。いずれにしても根本的な視点は似ているよ。

相手を選ぶときに、その相手の「親」は参考になる。

相手も、私たち親を参考にする機会がある。たとえば、彼氏や彼女は、こそこそしないで、親(私たち)に紹介できるようにしよう。

二人でやっていくこと

  • 多様であること
  • 心に耳をすませ、関係を育てること
  • 扶養できるまで、子どもは作らないこと

多様性(違った意見)を尊重すること

周りの人、相手は、異なった遺伝であり、異なった環境で育っている。

自分の中にでも、いろいろな意見があるので、異なった意見が存在するのは当たり前である。

耳を傾け、まずは受け取ってみよう。

(ただし、暴力的・支配的な相手と距離を置くのも一つの手である)

「心」「感情」を大切にし、関係を育てること

自分の「心」や「感情」を無視していると、だんだんわからなくなってしまう。「心」に耳を澄ませてみよう。難しいときは、日記をつけてみよう。

真の愛があって、それを手に入れれば、幸せになれる、とは思っていない。むしろ、出会ったご縁を育んでいく、育み続ける、その営為に価値を置いている。

心を大切にしながら、二人や家族の関係を構築し続ける努力をしよう。

(扶養できるまで)子どもは作らないこと

今、話している子どもは、中学生である。身体的に子どもを作れるようになってきている。

子どもを育てるのって、半端なく大変だ。生命に責任を持って、18年や20年かけて育てる、ということだから、大人になり、扶養できるようになってから子どもを作ろう。

生まれた子どもの自由を侵害してしまう。

これから

他人としての親が見ている視点を、子どもに伝えることは、面白い経験だった。

そして、主体性に行動するための具体的な判断基準 - コントロール - ari's worldに書いた通り、自分がコントロールできることに集中してほしい。

これから、成長し成人する中で、一緒に歩んだり、たまには一人で歩んでいくだろう。 そんな時に、参考にしたり、参考にしなかったりして欲しい。

幸あらんことを。

父より

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朝の散歩

主体性に行動するための具体的な判断基準 - コントロール

ゴールデンウィークになったけど、どこにいくのかも決まっていないし、どうしようか、という話題で盛り上がっていた。ふと、その隙間時間、3分ぐらいだろうか、子どもたちと話したことをメモする。

時代や場所によって、正しさや善は、変わってくる。だから、自分で感じて判断するしかないんだけど、今は、主体性が大切である というのは、よく言われている。受動的ではなく、能動的。支配や隷属の関係ではなく、対等の関係が大切と言われている時代である。リーダーシップと言われているかもしれない。1

  • 「頑張れば」主体的になれるのか、というと、まぁ、そうかもしれないけれど、なんだかしんどそう。
  • 「勇気を出せば」主体的になるのか、というと、まぁ、そうかもしれないけど、ちょっとわかりにくい。

「主体的」という言葉は、抽象度が高すぎるのだ。

では、どのようにすれば、主体的に行動できるのか、その具体的な方法を伝えた。

それは、「コントロール」できるのかを判断すること である。コントロールとは、自分の行動を選択できるのか、である。

例えば、他の誰かが、「ばか」と罵る、差別発言をする、ということは、コントロールできない。それに対して、自分自身が、距離を置く、差別発言をやめるよう伝えるなどの自分の行動は、コントロールできる。

例えば、世界中で新型コロナウイルスが流行している状況は、コントロールできない。それに対して、マスクをする、手洗いをする、(ワクチンを接種する)などの自分の行動はコントロールできる。

何がコントロールできなくて、何がコントロールできるのかを見極めること、コントロールできることに集中することが「主体的・能動的」な行動となる。

また、コントロールできることを増やしていくことも忘れずにね。

コントロールの見極め以外の具体的なノウハウはまた次回に。

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雨上がり


  1. 先行研究や言説などにより定義して使うことも好きだが、子ども相手に話すときは、類語を使って やわらかく説明しようとしている。

ストロング・スタイル・コミュニケーション(SSC)の世界

2017年、トランプ氏がアメリカ大統領として就任した。その頃からトランプ大統領の意見と、マスコミの意見が対立し、不思議に感じていた。トランプ前大統領の発言の理由について体感的に理解できなかった。それに対するマスコミの意見も、どこまでが事実なのか、見極めることは難しかった。

つい先日、こんな感じかな、と体感的に理解できたような気がしたのでメモした。なお、私の意見は「科学的」ではなく、単なる思いつきである。

おもしろいヤツ

トランプ前大統領のことはよく知らない。社会現象として、そのまま考えると、ぼんやりしてしまう。

そこで、「めっちゃ いいヤツ B氏」が身近にいるので、参考にしながら、こっそり考えてみた。 B氏は、ほんと いいヤツなんで、こっそり考えても、許してくれるだろう。話題も豊富で、いつも楽しませてもらっている。

ただ、その会話の内容が変なのだ。私の常識(普通だと考えている前提)とは、かけ離れている。体感的に理解できなかった。

その内容はこんな感じだ(個人が特定できないよう、ぼやかしている)。

被害者に落ち度がある

ある日 B氏と「交通事故に気をつけよう」という話題となった。交通事故で亡くなった私の友人について話したところ、B氏が、このように言い出した。

(交通事故の被害者となり死亡するのは、被害者の)運転が下手だからだ

亡くなった私の友人のことは知らないのにもかかわらず、断言したので、聞き直してしまった。「(被害者が)ヘタッピなんだよ」とのことだ。

「家族は悲しんでいるよ」と伝えると、

家族がいるのに運転するのは馬鹿だ

本人も熱心な運転者であり、家族もいる。何を言いたいのか、よくわからない。ただ、ある人生を尊重しない意見は、受け入れがたく、ていねいに反論した。

いわゆる 被害者保護とは逆の意見を持っている ようである。例えば、こんな感じである。

  • 新型コロナに罹患した私の友人は、その人の不注意だ。
  • ミャンマーの政治について混乱は、その国民が悪い。
  • 学校でのイジメは いじめられる奴に落ち度がある(要約)。
  • 学校で、ちょっといじったら、過剰に反応されてしまった。

独自の意見を持つのも自由ではあるものの、自分の友人や困っている人を悪く言うのは気持ち悪い。

それ以外にも、ユニークな意見を持っている。

  • (2021年だとしても)新型コロナはただの風邪で、マスクをしているのはアホだ。これからWHOもそのような案内を出す(注:WHOは逆の方針となり、マスクをつけるように案内している)。
  • 新型コロナは、日本人にはかからないし、死亡者は増えていない(注:日本人でも罹患し、苦しんでいる人は存在する)。
  • 、、、

しばらく謎だった

B氏と、かれこれ10年ぐらいお付き合いしているにも関わらず、なぜ、そのような考え方をするのか、よくわからなかった。

流れてくる わかりやすい情報を、素直に信じているようである。高校レベルの学習が欠如しているような印象を受けるし、人権のような基本的な考え方が欠如しているようにも受け取れる。

一方で、B氏は、困っている人を助ける活動もしている。自分のビジネスに結びつくような気配を感じながらも、ボランティアなどの活動も多い。ある意味「善意」や「正しさ」を持っている。

なんとも不思議な感覚であった。

強い人が生き残る世界

ある時「こんな感じかな〜」って、どんな世界を生きているのか、ふと見えてきた。それは…

被害者には強さが足りない、修行が足りない

強さが正義だとすると、交通事故の被害者は下手だった(強さが足りない)し、犯罪の被害者は不注意があった(強さが足りない)、と解釈している。

私の理解では、悪いのはあくまで加害者であるが、B氏の理解では、悪いのは強さが足りない被害者である。だから、被害者に対して「お前に落ち度があったから」と、平気で「指導」する。

B氏の意見は、被害者保護ではなく、被害者がもっと強くなるべき、ということなのだ。

少年漫画や戦闘ゲームのステレオタイプ

このような風景は、何か見たことがあると既視感を覚えていた。もしかして、初期の『ドラゴンボール』や『ワンピース』で代表される少年漫画の典型的な世界観(ステレオタイプ1)である。

少年漫画の一般的な世界観(ステレオタイプ)としては、

  1. 敵と味方がいて、勝負する。
  2. 勝った方が正義となり、生き残れる。

例えば、ドラゴンボールで主人公の悟空が負けた場合、ワンピースで主人公のルフィーが負けた場合、物語が終わってしまう。 物語を続けるためには、負けたら成長し、勝ち続ける必要があるのだ。

ストロング・スタイル・コミュニケーション (SSC)

ここでは、強さを判断基準とする、強さを志向するコミュニケーションの構えを、ストロング・スタイル・コミニケーション(SSC)と呼ぶことにした。

ストロング・スタイル・コミニケーション(SSC)の定義は、敵との勝負があり、負けたらその存在は消滅してしまうことを前提にしているため、徹底的に「強さ」にこだわるコミュニケーションの志向のことである。

仲間と敵

<彼ら>は、仲間と敵を見分ける「センサー」がとても鋭い。こいつは仲間、こいつは敵、のように見分けている。相手が、自分の意見と同調するかどうか、敵意があるかどうかを観察している。

現代において、明らかな「悪」は存在しない。しかし、仲間に対して否定的な意見を持つ人に対して、「敵」と認定するようである。「敵」と認定されると、どのような行動も悪いこととして仲間に話す。「敵」を作るのが上手なようだ。

敵を作って仲間は結束する。 いったん仲間になると、とても大切にする。アドバイスもするし助けもする。仲間を裏切ることはしない。その呪縛はとても強いように感じる。

勝ちと負け

仲間と敵の戦いに負けたら、負けた側の存在や意見は消滅する、少なくとも大幅に弱まる。

負けたら生き残れないからこそ、敵を打ちまかし、生き残ってこそ存在意義があるのである。

だから、一生懸命に「勝ち」にこだわっていく、必死なのである。

強さが正義

敵との戦いとの勝つためには、「強さ」が必要である。

判断基準も、「敵」をやっつけて生き残ることができそうか、「敵」をどのぐらいやっつけられそうか、このような能力やプレゼンスを持っていることを重視している。

そのような能力(スキル)を得るために、トレーニング(稽古や練習)して強くなることが求められる。武器や道具(ツール)を入手することも大切である。

「平等」「公平」「多様性」「反証可能性」が尊重されるのではなく、「自分の意見」「敵に勝つこと」が尊重される世界である。勝てば、それが「正しさ」となる。

多くの闘争は「正義」と「正義」の戦いである。どちらも、少しずつ間違っていて、どちらも正しいことに、配慮が及ばない。

SSCは、広がっていくだろう

ストロング・スタイル・コミュニケーション(SSC)は、強力で、わかりやすい。生き残り、成長し、勝ち続けている限り、それはそれで楽しい。

とてもわかりやすいし、相手と戦いを通じて強くなれる。

ただ、戦いに勝ったとしても、根本的な問題は解決しない(全滅させれば別であるが、現実的にあ困難である)。新しい敵が出てくるだけだ。

SSCは、盲目になりがちで、親子や先生・生徒、上司・部下の関係にも、ハラスメントを生みやすい。

SSCは、自分の知っている物語に依存している。自分自身の視点だけに偏りすぎているからだ。相手を負かすことはできても、相手と共に生きる視点が十分ではない。

新しい時代のコミュニケーションを伝播していく必要がある。多分、それが私の仕事だ。

いずれにせよB氏は、いいヤツなのである。いまだ仮説ではあるものの、その元になる考え方が体感的にわかってきたので、戸惑わず普通にコミュニケーションが取れそうだ。楽しみである。

追記 2021-06-25

この記事を公開してから、ふと気づいた。カズオ・イシグロ氏の主張に同感である。この記事は、その主張における一つの事例として記述したかったのだ。まだまだやることがありそうである。

私たちにはリベラル以外の人たちがどんな感情や考え、世界観を持っているのかを反映する芸術も必要です。つまり多様性ということです。これは、さまざまな民族的バックグラウンドを持つ人がそれぞれの経験を語るという意味の多様性ではなく、例えばトランプ支持者やブレグジットを選んだ人の世界を誠実に、そして正確に語るといった多様性です。

カズオ・イシグロ語る「感情優先社会」の危うさ https://toyokeizai.net/articles/-/414929?page=4

追記 2021-06-29

(擬似的な)強さを感じ、その高揚感を感じている、確かにその指摘に共感します。

「簡単にもうかる」とうたう情報商材や「身につけるだけでモテる」という広告と同じように、ちょっと考えればうそとわかるものであるにも関わらずだまされてしまうのは、努力をせずに特別な自分になれた高揚感があるからでしょう。

「コロナワクチンにマイクロチップ」陰謀論になぜだまされてしまうのか? 心理を医師が解説 (3/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

ただ、論文や書籍を読んだ時でも「わかった〜!」と高揚感を感じることはあります。 相手が何に興味があるのかを味わいながら、ゆっくりと自分の足で歩みたいです。

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関連ブログ


  1. ステレオタイプとは、多くの人に浸透している先入観、思い込み、認識、固定観念、レッテル、偏見、差別などの類型化された観念 である。ステレオタイプなので、厳密ではないし、多数の反例が見つかるものの、少年漫画を詳しく知らない多くの人たちに受け入れられている。

中学生になったのでアドバイスしてみた件

第3子(男子)が中学生になり、入学式から帰ってきました。まぁ「うっせぇわ」なんですが、アドバイス思いついたので、一応伝えてみました。

第1アドバイス

中学生ごろは、友人関係に悩むことが多いようです。

中学生ごろとは言わず、人生を通じて人間関係は難しいです。人間関係の技術を身につけ、人間関係を通じて、成長して欲しいです。

「ともだち100人できるかな」という歌詞があります。けど、そのようなアドバイス、意味があるのでしょうか。100人を作ることを目標にするのも、本末転倒です。私自身、100人の友人を作るのは難しいでしょう。

数人だけの友人でいいのか?最初にできた友人だけでグループを作り、それで、人間関係が固定化してしまうことも、もったいないです。色々な同級生や先輩、先生などの人たちと関わって欲しいです。

学校によっては、友人関係やグループに対するケアもされているようです。しかし、それを期待するのも、違うような気がします。

他の人からの声をかけられることを待つのも一つの考えです。その場所をコントロールは無理としても、周りの人の意図に流されることになってしまいます。

受動的な態度で待つ ことになります。あまり楽しそうではありません。

そこで、子どもへの最初のアドバイスを考えました。

第1アドバイス:自分から声をかける

声をかけよう、どうしようか悩むことが多いかもしれません。相手も同じことを考えて、声をかけられないのかもしれません。

友達に発展するか、同級生のままで終わるのかもしれません。

でも、勇気を持って自分から声をかければ、そのネットワークは、ほんの少し変化します。

主体的な態度で接していくことは、本人にとっても大きな資産なるかもしれません。

笑顔、とまでいかなくても、和らぐ表情で声をかけること、を最初のアドバイスにしてみました。

第2アドバイス

数学の最初は「正の数・負の数」の単元から入るかもしれません。「掛け算」は、どこまで理解しているのでしょう。

「それ、すでに知っている」となるでしょう。今までも、なんとなーく学んできていますから。

「それ、知っている」と思った時点で 知的な探求は終わってしまいます。 きっと、つまらないものです。

そこで、二つ目のアドバイスを考えてみました。

第2アドバイス:知的謙虚さを持つ

謙虚さとは、おごることなく、素直な態度で接するさまである。 それは、自分の考えを疑い続ける態度から湧き出てくる。 https://motohasi.hatenablog.com/entry/2014/03/09/045233

「掛け算」や「負の数」だけでも、知らないことはたくさんあります。具体例として「掛け算」についての いくつかの概念と、その具体的な影響について子どもへ授業しました。

何に興味を持つのか、それはわかりません。ただ、世の中の不思議を探求し続けることになるでしょう。

もしかすると、迷うかもしれません。でも、そのような経験は貴重な肥やしとなるでしょう。

何がわかっていないだろう、と問い続けていく知的な探求を味わってほしいです。

入学おめでとう

  1. 自分から声をかける
  2. 知的謙虚さを持つ

楽しい中学生活が過ごせますように。

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メモ

って説明したら、第4子から「僕へのアドバイスは?」と聞かれました。ちょっと考えます。

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