ari's world

あるかどうかわからないけど、あるみたい。ありがとう。

老害という老害

たまに「老害」という言葉を目にします。「あれは老害だ」とか、「これは老害じゃない」とか耳にします。 私自身「初老」ですので、「老害」と言われる可能性はあるし、もし「老害」と言われときに、どのように対処するのかわかりません。

私は「老害」の意味を知りません。「害」だから、いい意味ではなさそうですが…。

間違っているかもしれないけれど、自分なりに整理してみます。

老害」の文字的な意味

老害」とは、自分自身や他者が「老い」によって発生する害と読み取れます。

老いによって、一般的に身体機能や認知機能が低下します。身体機能は、体の柔軟性が低下したり、動きが低下します。認知機能は、記憶力が低下したり、学習能力が低下します。

このような機能の低下によって、自由(選択肢)が減り、思い通りに動けない、健全なコミュニケーションが困難になるでしょう。そして、もどかしさやつらさが生まれるでしょう。

しかし、どうも「老害」は、機能低下による本人が困ったことより、他人に対して指摘に使われているようです。

老害」の一般的な意味

老害」は、このような定義が一般的なようです。

周囲に迷惑を及ぼしたり、周囲を不愉快な気持ちにさせたりする老人のこと

例えば、失言、パワハラ、セクハラ…なぜ「老害」化する高齢者が増えているのか "老害"になる人に欠けているもの | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)では、オリンピックの森元会長による、女性に対して「発言が多すぎる、わきまえていない」という発言や、公共の場所による迷惑行為などが挙げられています。また、古い価値観に縛られていること、怒りっぽくなりコミュニケーションが停滞したこと、などを目にしました。

たしかにこれは迷惑そうです。

老害」の特徴について考えてみました。

  • 価値観や感性の老化
  • 周りに迷惑をかける
  • コミュニケーション能力の劣化

価値観や感性の老化

年齢のいった人たちと話が合わなくなるかというと、こうした価値観が違いすぎるからなのです。そこには、老化の問題も大きく関わっているだろうと私は考えています。 失言、パワハラ、セクハラ…なぜ「老害」化する高齢者が増えているのか "老害"になる人に欠けているもの | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

ここでは、話の合うか合わないかの原因を、年齢という変数と考えているようです。

価値観の老化とは、なんでしょうか。

例えば、公共の場所でのマスクについて考えてみましょう。

公共の場所でマスクをしないことが一般的でした。しかし、新型コロナが流行し、公共の場ではマスクすること、食事の時は黙ることが一般的になりました。学校や会社では、マスクをして感染予防に気を付けています。私も公共の場所では、マスクをつけます。 こちらでは、マスクをつけないことが「老害と呼ばれそうです。

他方では、今でも飲み屋さんではマスクをせずに、大笑いしているのが見えます。また、マスクには、意味がないと考えている人たちもいます。このような人たちから見ると、マスクをつける人は、最新の情報を知らない古い価値観だと思っているようです。 ここでは、マスクをつけることが「老害と呼ばれそうです。

つまり、相互に「老害」と呼び合っているような状態が発生します(どちらが正しいか、ここでは論じません)。

そう「価値観の老化」とは、マスクの着用についてのように、価値観には古さと新しさがあること、新しい価値観が良いことを前提にしています。しかし、価値観の新旧は、その人ぞれぞれの経験や環境によって異なります。

そして、「価値観の老化」には、公共の場所ではマスクについての主張のように、価値観は一様であるべき、という前提があります。

このような「相互に老害」と評価する状況は、いろいろなところで発生しています。ビジネスやIT、起業や組織、コミュニティや友達関係、多くの場所で見受けられます。

このような相互に老害の状態において、どちらが新しいかという話し合いや議論は、成立しません。価値観を新旧で議論するのではなく、それぞれの価値観があると考えるとスッキリします。それぞれの価値観があることは「価値観の多様化」です。異なった価値観を尊重し、必要に応じて議論や棲み分けます。

価値観の老化と呼ぶことで、このような異なった価値観を新旧や善悪でとらえて、尊重せずに見下すようになり、このような多様性の尊重は失われていきます。

周りに迷惑を及ぼす

ティーグラウンドで立ち小便するメイワク高齢者

よくわかります、公共の場所に排泄する行為は、本当に気持ち悪いものです。

例えば、自宅近くの道路では、よく嘔吐物(キラキラ)があり、たまに人糞が落ちています。 夜、お酒を飲んだ人がキラキラするので、朝、通勤や通学する時は、地面を見ながら歩きます。たいてい何箇所にわたって、点々とキラキラしているようです。

自宅近くの道路では、ゴミが捨ててあります。 タバコの吸い殻、お酒のビンやカンがよく落ちています。特に、ビンは割れている場合は、注意が必要です。

このような迷惑行為は、高齢者が多いのでしょうか?

近所には、老若男女、年齢や性別に関わらず、ヘベレケになっている人がいます。 残念ながら、高齢者だけでなく、少年から中年の大人も含まれているようです。特に、ヤンチャな感じのする方には、声がかけにくいです。

「老い」に関係なく、単純な迷惑な行為です。このような行為を「老害」と呼ぶことによって、迷惑行為から目を逸らせてしまいます。

そして、本来であれば「老い」は、社会の成熟になります。いろいろな意見のバランスをとり、良い方向へ舵取りしていく力になります。しかし、「老害」という捉え方によって、社会に対して「老い」に対する嫌悪感を強化され、社会の成熟が遅れてしまう恐れすらあります。

コミュニケーション能力の劣化

先日、老害によって怒りっぽくなってしまった人がいる、という意見を耳にしました。

とてもよくわかります。

私の周りにも、怒りっぽい人がいました。

その人は、私の悪い点をひたすら怒鳴り続けます。「お前は創造性がない」とか「お前は、理解力がない」とか、「勝手に下書き文書を作るな」とか、言われ続けました。 何を伝えても怒り、怒鳴るため、健全なコミュニケーションができません。

しかも、客観的に考えて、その怒りが納得できるものであれば、よくわかります。しかし、あまりに現在の状況とは乖離しすぎていて、状況を悪化させるようにしか見えませんし、実際に、状況は悪化します。そのことを伝えると「伝える側であるお前の責任だ」との怒鳴られました。

最終的に、コミュニケーションは停止しました。もちろん、私のコミュニケーション能力が不足しているからです。

この場合、老化が問題だったのでしょうか。

単純にコミュニケーション能力が不足していた、んだと思います。そのためには、コミュニケーションスキルを身につければ済むことです。

むしろ「老害」と名前をつけることによって、そのようなコミュニケーションスキルを身につける機会を失ってしまう、そのように感じました。

また、加齢によって怒りっぽくなった時は、認知症の初期症状の可能性もあるようです。それぞれの状態によって、適切に対処すれば良いのではないでしょうか。

老害」と名付けることの弊害

迷惑行為、コミュニケーションスキルの不足、価値観の違い、は、その人の行動についてです。その人の自由意志に基づいて選択できます。

しかし、「老い」は、その人は自由意志によってコントロールできず、回避できません。「老い」は、歳をとった状態であり、加齢(時間の経過)は、どの人にも平等にやってきます。その「老い」は、どの人にとっても逃れることができません。

なので、老害として指摘することは、その人そのものへの指摘(人格攻撃)と、ほぼ等しいと理解できます。

  • 「老い」に着目することで、スキル獲得などの学習機会をコントロールできないものにします
  • 「老い」に着目することで、世代を超えたコミュニケーションの健全化をコントロールできないものにします
  • 「老い」に着目することで、価値観の違いや多様性を尊重しなくなります
  • 迷惑行為が「老い」が原因であると考えることで、その行為や選択では存在を否定します

老害」は、「日本人は害」とか「男は害」という、不用意に大きな主語と同じようにも感じます。

「老い」が原因かどうか明らかではない迷惑行為を「老害」と呼ぶことが「老害」のようです。

老害という言葉がない世界

「老い」に関連づけるのか簡単です。しかし、「老害」と感じたのなら、それぞれの行動に対して、対応したいです。

例えば:

  • 私とは違う価値観を持っている
  • その行為は、迷惑に感じる
  • 攻撃があったなら、距離をおいて身を守る

このように、それぞれの言動に着目し、相手を尊重しつつ、建設的なコミュニケーションと、自分の行動を選択したいです。

もし「老害」と言われたら

老害と指摘していただくことは、とても貴重でありがたい意見です。

ただし、「老害だ」と言われた時、どのように応対すれば良いのか、よくわからなくなりそうです。なぜなら、そのままブーメランとしてお返ししたくなりそうだからです。

そのような時は、「ありがとうございます、勉強になります(にこっ)」が正解となりそうです。

笑顔の練習をしたい、老人見習いより