2017年、トランプ氏がアメリカ大統領として就任した。その頃からトランプ大統領の意見と、マスコミの意見が対立し、不思議に感じていた。トランプ前大統領の発言の理由について体感的に理解できなかった。それに対するマスコミの意見も、どこまでが事実なのか、見極めることは難しかった。
つい先日、こんな感じかな、と体感的に理解できたような気がしたのでメモした。なお、私の意見は「科学的」ではなく、単なる思いつきである。
おもしろいヤツ
トランプ前大統領のことはよく知らない。社会現象として、そのまま考えると、ぼんやりしてしまう。
そこで、「めっちゃ いいヤツ B氏」が身近にいるので、参考にしながら、こっそり考えてみた。 B氏は、ほんと いいヤツなんで、こっそり考えても、許してくれるだろう。話題も豊富で、いつも楽しませてもらっている。
ただ、その会話の内容が変なのだ。私の常識(普通だと考えている前提)とは、かけ離れている。体感的に理解できなかった。
その内容はこんな感じだ(個人が特定できないよう、ぼやかしている)。
被害者に落ち度がある
ある日 B氏と「交通事故に気をつけよう」という話題となった。交通事故で亡くなった私の友人について話したところ、B氏が、このように言い出した。
(交通事故の被害者となり死亡するのは、被害者の)運転が下手だからだ
亡くなった私の友人のことは知らないのにもかかわらず、断言したので、聞き直してしまった。「(被害者が)ヘタッピなんだよ」とのことだ。
「家族は悲しんでいるよ」と伝えると、
家族がいるのに運転するのは馬鹿だ
本人も熱心な運転者であり、家族もいる。何を言いたいのか、よくわからない。ただ、ある人生を尊重しない意見は、受け入れがたく、ていねいに反論した。
いわゆる 被害者保護とは逆の意見を持っている ようである。例えば、こんな感じである。
- 新型コロナに罹患した私の友人は、その人の不注意だ。
- ミャンマーの政治について混乱は、その国民が悪い。
- 学校でのイジメは いじめられる奴に落ち度がある(要約)。
- 学校で、ちょっといじったら、過剰に反応されてしまった。
独自の意見を持つのも自由ではあるものの、自分の友人や困っている人を悪く言うのは気持ち悪い。
それ以外にも、ユニークな意見を持っている。
- (2021年だとしても)新型コロナはただの風邪で、マスクをしているのはアホだ。これからWHOもそのような案内を出す(注:WHOは逆の方針となり、マスクをつけるように案内している)。
- 新型コロナは、日本人にはかからないし、死亡者は増えていない(注:日本人でも罹患し、苦しんでいる人は存在する)。
- 、、、
しばらく謎だった
B氏と、かれこれ10年ぐらいお付き合いしているにも関わらず、なぜ、そのような考え方をするのか、よくわからなかった。
流れてくる わかりやすい情報を、素直に信じているようである。高校レベルの学習が欠如しているような印象を受けるし、人権のような基本的な考え方が欠如しているようにも受け取れる。
一方で、B氏は、困っている人を助ける活動もしている。自分のビジネスに結びつくような気配を感じながらも、ボランティアなどの活動も多い。ある意味「善意」や「正しさ」を持っている。
なんとも不思議な感覚であった。
強い人が生き残る世界
ある時「こんな感じかな〜」って、どんな世界を生きているのか、ふと見えてきた。それは…
被害者には強さが足りない、修行が足りない
強さが正義だとすると、交通事故の被害者は下手だった(強さが足りない)し、犯罪の被害者は不注意があった(強さが足りない)、と解釈している。
私の理解では、悪いのはあくまで加害者であるが、B氏の理解では、悪いのは強さが足りない被害者である。だから、被害者に対して「お前に落ち度があったから」と、平気で「指導」する。
B氏の意見は、被害者保護ではなく、被害者がもっと強くなるべき、ということなのだ。
少年漫画や戦闘ゲームのステレオタイプ
このような風景は、何か見たことがあると既視感を覚えていた。もしかして、初期の『ドラゴンボール』や『ワンピース』で代表される少年漫画の典型的な世界観(ステレオタイプ1)である。
少年漫画の一般的な世界観(ステレオタイプ)としては、
- 敵と味方がいて、勝負する。
- 勝った方が正義となり、生き残れる。
例えば、ドラゴンボールで主人公の悟空が負けた場合、ワンピースで主人公のルフィーが負けた場合、物語が終わってしまう。 物語を続けるためには、負けたら成長し、勝ち続ける必要があるのだ。
ストロング・スタイル・コミュニケーション (SSC)
ここでは、強さを判断基準とする、強さを志向するコミュニケーションの構えを、ストロング・スタイル・コミニケーション(SSC)と呼ぶことにした。
ストロング・スタイル・コミニケーション(SSC)の定義は、敵との勝負があり、負けたらその存在は消滅してしまうことを前提にしているため、徹底的に「強さ」にこだわるコミュニケーションの志向のことである。
仲間と敵
<彼ら>は、仲間と敵を見分ける「センサー」がとても鋭い。こいつは仲間、こいつは敵、のように見分けている。相手が、自分の意見と同調するかどうか、敵意があるかどうかを観察している。
現代において、明らかな「悪」は存在しない。しかし、仲間に対して否定的な意見を持つ人に対して、「敵」と認定するようである。「敵」と認定されると、どのような行動も悪いこととして仲間に話す。「敵」を作るのが上手なようだ。
敵を作って仲間は結束する。 いったん仲間になると、とても大切にする。アドバイスもするし助けもする。仲間を裏切ることはしない。その呪縛はとても強いように感じる。
勝ちと負け
仲間と敵の戦いに負けたら、負けた側の存在や意見は消滅する、少なくとも大幅に弱まる。
負けたら生き残れないからこそ、敵を打ちまかし、生き残ってこそ存在意義があるのである。
だから、一生懸命に「勝ち」にこだわっていく、必死なのである。
強さが正義
敵との戦いとの勝つためには、「強さ」が必要である。
判断基準も、「敵」をやっつけて生き残ることができそうか、「敵」をどのぐらいやっつけられそうか、このような能力やプレゼンスを持っていることを重視している。
そのような能力(スキル)を得るために、トレーニング(稽古や練習)して強くなることが求められる。武器や道具(ツール)を入手することも大切である。
「平等」「公平」「多様性」「反証可能性」が尊重されるのではなく、「自分の意見」「敵に勝つこと」が尊重される世界である。勝てば、それが「正しさ」となる。
多くの闘争は「正義」と「正義」の戦いである。どちらも、少しずつ間違っていて、どちらも正しいことに、配慮が及ばない。
SSCは、広がっていくだろう
ストロング・スタイル・コミュニケーション(SSC)は、強力で、わかりやすい。生き残り、成長し、勝ち続けている限り、それはそれで楽しい。
とてもわかりやすいし、相手と戦いを通じて強くなれる。
ただ、戦いに勝ったとしても、根本的な問題は解決しない(全滅させれば別であるが、現実的にあ困難である)。新しい敵が出てくるだけだ。
SSCは、盲目になりがちで、親子や先生・生徒、上司・部下の関係にも、ハラスメントを生みやすい。
SSCは、自分の知っている物語に依存している。自分自身の視点だけに偏りすぎているからだ。相手を負かすことはできても、相手と共に生きる視点が十分ではない。
新しい時代のコミュニケーションを伝播していく必要がある。多分、それが私の仕事だ。
いずれにせよB氏は、いいヤツなのである。いまだ仮説ではあるものの、その元になる考え方が体感的にわかってきたので、戸惑わず普通にコミュニケーションが取れそうだ。楽しみである。
追記 2021-06-25
この記事を公開してから、ふと気づいた。カズオ・イシグロ氏の主張に同感である。この記事は、その主張における一つの事例として記述したかったのだ。まだまだやることがありそうである。
私たちにはリベラル以外の人たちがどんな感情や考え、世界観を持っているのかを反映する芸術も必要です。つまり多様性ということです。これは、さまざまな民族的バックグラウンドを持つ人がそれぞれの経験を語るという意味の多様性ではなく、例えばトランプ支持者やブレグジットを選んだ人の世界を誠実に、そして正確に語るといった多様性です。
カズオ・イシグロ語る「感情優先社会」の危うさ https://toyokeizai.net/articles/-/414929?page=4
追記 2021-06-29
(擬似的な)強さを感じ、その高揚感を感じている、確かにその指摘に共感します。
「簡単にもうかる」とうたう情報商材や「身につけるだけでモテる」という広告と同じように、ちょっと考えればうそとわかるものであるにも関わらずだまされてしまうのは、努力をせずに特別な自分になれた高揚感があるからでしょう。
「コロナワクチンにマイクロチップ」陰謀論になぜだまされてしまうのか? 心理を医師が解説 (3/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)
ただ、論文や書籍を読んだ時でも「わかった〜!」と高揚感を感じることはあります。 相手が何に興味があるのかを味わいながら、ゆっくりと自分の足で歩みたいです。