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あるかどうかわからないけど、あるみたい。ありがとう。

気持ちよいお買い物の話

気持ちよいお買い物の話

メッセージが届いたのは、Kさんからだった

お買い物したとき、お店Aのサービスがスゴかったと、興奮のメッセージだった。

(Kさん)買いますた。テンション上がったー

そのあと、購入した商品のサイズなど仕様についての会話が続く…そして、

儀式、儀式!

包装のビニールのを切ったあとに「蓋はお客様が開けてくださいって」儀式を行ったようだ。新しい商品を買うときはワクワクする。そのワクワクを裏切らないのだ。

目がキラキラしててよろしい!

目がキラキラしている人は、本当にかっこいい。 Kさんにとってはすっかりイケメンらしい。

もう、やられた〜

えらく気に入っているのだ。

商品への愛情がある

領収書にも商品への愛情がいかんなく発揮される。なんで、その商品にこだわっているのかとKさんが聞くと…

その商品に触れたのは大学からなんだけど、そのスマートさに憧れて…

自分の経験を正直に実感として話した。

名前で呼んでもらえる

結局、通算で三人に相手してもらったけど、 名前の引継ぎもしてくれてみんなに名前で呼ばれる と、Kさん

ショッピングのときを思い返すと、店員から「お客様」って呼ばれることが多いような気がする。たまに「客」と言われ、それはないよなー、と思うことすらある。しかし、このお店Aでは、「Kさん」と名前で呼んでくれた。それが”始まり”なのだ。

負荷が高い状態になると、個人で回すことがしんどくなるので、複数人のチームで対応することになる。 その引き継ぎも自然でスムースだったらしいのだ。

仕組みも含めて「仕事ができる」という意味でも、イケメンでしたね。

「自分一人のため」にしない

(Kさん)そう、やっぱりオープンで、自分一人の手柄にしない人たちという印象

自分一人の手柄は、購入側もわかるし、やはり気になってしまうのだ。

商品が好きで正確にその良さに納得してほしいという思いが伝わってくるような。ただ感情的にじゃなく、分析した上で

そう、売り上げや手柄以前に、自分が欲するものであるのだ。結果としてお客様視点になっているというか…

これは、自分一人の手柄(エゴ)にしないし、(自分より)商品が好きで、(自分より商品の)よさを理解してほしい。つまり、自分のエゴを前面に出さないのだ。

競合のお店Bの話題になった

一方で、競合する立場のあるお店Bの話題になった。

  1. 買ったときに、ワクワクするような儀式はない。
  2. 名前で呼んでくれない。
  3. 作業を複数の担当者で分担しないから待たされる。
  4. 商品知識はあっても、商品についての愛情をあまり感じない。
  5. 自分の売り上げ目標なのか、自分ごとにしている。

全く正反対なのだ。特に、最後のふたつの愛情や自分ごとについて、強欲さやエゴの強さを感じるとしらけちゃうんだよな。

組織運営で何か違うのだろうか

(Kさん)何だろうね。あの世代ならではのオープンさ? それとも社員教育のうまさ?

なんだろうなー。いわゆる社員教育も大切なのだけれど、日常の業務でもそれが実現できる。

人事評価制度が違うのかもしれない

もしかすると人事評価制度が違うのかも、という話になった。あくまで、推測に過ぎないのだけれど…

  1. 店Aの人事評価には「お客様がニコニコして帰る」があるのかもしれない。評価は、個人の売り上げではないから、複数人で対応が行いやすい
  2. 競合のお店Bの人事評価は「個人の売り上げ」目標だとすると、必然的に自分(エゴ)が強く出てしまう。

どうなんだろう?会社の評価制度を調べてみたけど、よくわからなかった。

絶対的な自信が裏付けにあるのかもしれない

去年の秋に亡くなった師匠の一人からから学んだ大きなことに絶対的な自信というのがあるんだけど、絶対的な自信があるから、自分を出さなくていい。その師匠によると、自信は、文字通り自分を信じていることで、絶対的な自信があると、自我エゴや欲が前面に出てこないで、仕事や家庭を含めて人生をゆったりと楽しく送ることができる。

逆に、プライド(自尊心)は、自分自身の名誉や品格を維持しようとする心理であって、プライドが高いと、他人の評価を気にして、自分を良く見せようとしなくてはならない。その結果、他人をうらやましがったり、物事を見極めることができず、「器」が小さくなってしまう。

そんな感覚に素直に飛べるのか?

うん、確かに難しい。ただ、恋愛も仕事も—というほど、わかっていないけど—同じかもしれない…

受け入れられることと、居場所って重要だね

(Kさん)恋愛とか仕事もそうだけど、受け入れてもらってる感じ、とか居場所感ってすごく重要。 当たり前のことだけどそう思えて、そうしたら、居場所を快適にするっていう観点で、さっきのエゴレス的心境の今日この頃

このあと受け入れてもらう話を続けている。Kさんは、ちょうど今現在仕事も家族でも受け入れてもらって、とてもいい状態にいるようだ。

いつも思うんだけど、子どもに「もー、これもできないの?こうしなさい!」って接しても、まったく意味ないよね。結局、叱られる、強い批判的なフィードバックをもらうと、どんな人でも自分を守りたくなる(エゴが強くなる)。逆に、妙に盛り上げ、アジテートされて、上の空になってしまう。地に足がついていないというか。これが、競合のお店Bの状態なんだろうなぁ。

そう、エゴやプライドを感じるフィードバックをもらったときは、丁寧にお礼して無視するのが一番だというのを学んだ。うらやましがられて、足を引っ張られちゃうからね。

(Kさん)そう、不安感がベースの職場でいいパフォーマンスはないね。どうしても言い訳もしたくなれば、ごまかしもしたくなる。

そういえば、「おまえのスキルが低い!」「こんなんダメだ」と言われたあとに、原因を分析しても単なる言い訳になってしまう。それより「この部分はスゴいよね、ありがとう」「来てくれてうれしいよ」「こんなところに悩んでいる/困っているんだ、一緒に考えない?」とか話してくれると、やっぱりうれしいよな。

お店Aはどんどん相乗効果で上がる正の循環、競合のお店Bだと負の相乗効果に拍車がかかる。

そう、私も同じ経験をしている。結果は大きな違いになってくる。

ただ、いいパフォーマンスを出すための本人の能力の高さも問われるけどね。

全くその通りだ。

チームとしてのリーダーシップって大切だね

子どもも「お父さんの役に立った」と思えばうれしいし、こちらもありがたい。 同僚(部下)も「役に立った」と言われれば、うれしい。

けど、いろいろな人の能力を使っていないというマネージャ(リーダーや経営者)が多すぎる気がする。 能力を発見する(気づく、人を見る)力って大切だよな。

自分(エゴ)が強すぎると、気づく力もあえて弱めちゃうね

「個」をゆるめる話から、自立の話に…

このように、自分をゆるめる話は、読者のみなさんがよく目にしているカテゴリのお店のだったけど、経営でも技術でも、同じようなことが言えるだろう。

この後、自立の話が深夜まで続いたのだけれど、大切なので気が向いたら書きたい。


そして、ブログへの掲載を快く許可とご協力していただいたKさんに心より感謝!

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macOSではCaps Lockキーだけで日本語入力とローマ字入力を切り替えよう(日本語入力オススメ設定)

日本語入力オススメ設定(ことえり on Mac OS X)

US配列(英語)キーボードでMac OS Xを英語モードで使っている。 Windowsなどの他のOSやPCも統一的にUS配列(英語)キーボードにし、混乱を少なくするためだ。

英語キーボードは、シンプルで使いやすいが、ひとつだけ難がある。 それは、日本語(ひらがな)入力と英字(ローマ字)入力の切替をcommandキー(もしくは、Controlキー)とspaceキーを同時に押して切り替える必要がある。 毎回切り替えるごとに必要な操作なので、それなりに面倒くさい。 しかも、入力メソッドの状態表示を見ることも、目の疲労を助長していた。

そこで、ことえりの設定にある「caps lock action」を「Off for "Romaji" input」にする。 System Preferences…>Keyboard>Input Sources>Kotoeriで設定できる。

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その結果、caps lockキーのオンオフだけで、日本語入力と英字入力を切り替えることができる

キータイプが減るだけでなく、状態がわかりやすくなる。

  • caps lock キーのLEDが着いているときは、ひらがな入力(日本語入力)
  • caps lock キーのLEDが消えているときは、ローマ字入力(英字入力)

小さなことだけれど、回数が多いことだけにオススメだ。


追記(2014年10月18日) この設定は、OS X Yosemite でも有効です。


追記 この設定は、OS X El Capitan でも有効です。

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追記 2019年に発表されたmacOS Catalinaでは、ここで設定しています。

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macOS Catalinaでの設定

またFacebookの友人から教えていただいた。入力状態をリセットするときに使っています。

謙虚さとは何か

謙虚さとは何か

謙虚さとは、おごることなく、素直な態度で接するさまである。 それは、自分の考えを疑い続ける態度から湧き出てくる。

「正しい認識」や「完全な理解」はできないことを知る。 自分の考えは正しくないかもしれない、間違いかもしれないと考えることだ。 古くは、ソクラテス無知の知」や論語知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり」があるし、最近では、スティーブ・ジョブズの"Stay hungry, stay foolish"にも通じる。

謙虚さを「(なんらかのことを)正しく認識すること」と定義すると、論理的および意味的に矛盾する。 ひとつの関心や教義にこだわったり、「それ、知っている!」という態度とは逆のことだ。

謙虚であるために、必要な前提がある。 それは、何らかの知識を受け入れるための「態度」である。 たとえば、謙虚とは逆に「自分ですごいんだぜ」という態度を持っているときは、話を聞かなくなる。 「話を聞く」「観察する」ことは、何が発生するかわからない。 丹心を持って未知のことを受け入れた結果、自分自身の価値観や教義をひっくり返してしまうかもしれない。 そのように主張しないと負けてしまう可能性があるからだろう。 それは、それは怖くて、体力が必要だ。 つまり、何があっても大丈夫、という絶対的な自信が必要だ。

自分の考えを真摯に疑うことができるからこそ、物事を良く観察し、相手の主張にも丁寧に耳を傾ける。 自分の考えを過度に守る必要がないため、自然体でいられ、自信を持ち強くいられる。 そして、大きくゆったりと成長し、器を広げていくことができる。

「謙虚であれ」とは、他人には言えない。 あくまで自分で気づくものである。 「謙虚でありたい」と思う。

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楽しんで成長する7つの心がけ

楽しんで成長する7つの心がけ

三人の子どもと時間を過ごしている。 「子育て」といいながら、子どもに学び、子どもと一緒に成長させてもらっているような気がする。 そのような経験の中で、子どもと向き合うときに、それなりに心がけていることがある。 現時点で、心がけてきたことを紹介したい。

  1. みんな大人:成熟した人としてつきあう
  2. 小さな原石:小さな声を拾う、トコトンつきあう
  3. 地につけた足:現象を見つめ、耳を澄ませる
  4. 自分の足:常識や知識を忘れ、自分で考える
  5. のびのび、ひとり:やりたいようにのびのびとやる
  6. 石の上にも三年:投げ出さない、諦めない、そして待つ
  7. 飛び立つひな鳥:のんびり冒険しよう、自由に空を飛ぼう

ひとつの事例として、6歳から7歳の子どもの自由研究を進めるときを背景にした。 ただ、子どもと向き合うときだけではなく、多くのことがビジネスやコミュニティでも同じことが言えそうだ。 本文では「子ども」と書いたが、試しに、部下、同僚、友人、家族など関係する身近な人として、適宜置き換えてお読みいただければと思う。

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1. みんな大人:成熟した人としてつきあう

勉強をしてほしかったり、家事などの仕事を手伝ってほしかったり、ノートをまとめてほしかったり、いろいろな願望がある。

❖ ❖ ❖

教えても、うまくいかない。指示しても動かない。 話したことを、すぐに理解してくれないし、言うことを聞いてくれないように思える。 そもそも、子どもが学ぶことに着手してくれない。

  • いくら教えても、自分から勉強しようとしない。
  • いくらほめても、言うことを聞かない。
  • いくら怒っても、子どもが言うことを聞いてくれない。
  • 塾や習い事に通うためには月謝が必要だ。しかも、週に一度程度では、率直なところ、あまり身に付くとも思えない。
  • 具体的に丁寧に教えても、話しが長くなったとたん、途中から興味がなくなってしまう。
  • 目的を設定しても、一緒にその目標を達成しようとしてくれない。

なぜだろうか。子どもは未熟だからなのであろうか。未熟な状態とは、どのようなことだろうか。

  • 欲やむさぼりが強い。自分さえ良ければ、他人がどうなっても良い。みんなで取り組んでいるものを自分のものだと主張するなどをくり返せば、周りは疲弊する。
  • 怒る、意味なくイライラする。そのような感情は、周りにイライラが感染する。
  • 自分・相手を関わらず、存在、能力、やっていることなどを軽視すること
    • 自分にたいしては「私は、たいしたことがないので…」や、自信がないこと。
    • 相手に対しては、馬鹿にする、"なめて"いること。挑発的な態度を取ること。
    • 「それ、知っているよ」と言う態度は、思考停止に陥りやすく、それ以上の成長や気づきがなくなってしまう。本人が判断することとはいえ、たぶんつまらないことだ。
  • ねたんだり、うらやましがっていると、周りにそのような意図がなくてもネガティブな印象を持ってしまう。

つまり、未熟とは、知識や経験がないことではなく、不健康で成長できない状態だ。 このような態度に接していると体力や元気を吸われて、へとへとになってしまう。 体力がないときや、疲れているとき、忙しいときは、特にしんどい。 結局のところ建設的な話し合いが無理なので距離を置き相手にせず待つことになる。

感情や考え方、態度はお互いに影響し合い、自分に跳ね返って戻ってくる。 まるで、金子みすゞの詩『こだまでしょうか』にある「「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。「ばか」っていうと「ばか」っていう。」のようだ。 親が子どもにイライラいれば、間違いなく親に返ってくるだろう。

未熟な状態にあれば、それに対応するように、相手は未熟になるし、いやいやながら意見を聞く人になる。 おそらくは、反抗したり、言い訳したり、逃げ出したくなっているはずだ。 自分の関わり方で、相手を子どもにしてしまうのだ。

それゆえ、まずは一人の成熟した人間として尊敬して接しよう。

むろん、待つことや距離を置くこと、自分の身を守ることも大切だ。 まずは自分が健康的で成長できる状態になりたい。 そして、子どもには「相手に汚い言葉をかけると、すべて返ってくるよ、たとえばね…」と教えている。

一人のしっかりした人間としてつきあうことが、お互いに成熟し、楽しむきっかけになる。 従うことや与えられる関係ではなく、ひとりの人としてつきあう。 おそらく時間はかかるかもしれないけれど、あきらめず一歩ずつ進みたい(参照:6. 投げ出さない、諦めない、そして待つ)。

❖ ❖ ❖

今のところ、仕事や遊び、研究や勉強などの時間を自分で判断し、取り組んでいるようだ。

2. 小さな原石:小さな声を拾う、トコトンつきあう

❖ ❖ ❖

人はそれぞれ、異なった世界を見て、異なった興味を持っている。 彼らなりの世界は、非常にユニークであることが多い。 そして、感じたことを聞き取ってほしいと思っている。 大人だって、いろいろな思いがあって、それを話したいと思っている。 誰もが同じように話したいと思っている。

話したいと思っていても、多くの声でかき消されてしまう。 他の声の大きな人や話し好きな人は、長時間に渡って自分たちの話しをしがちだ。 その声の大きさに圧倒され、子どもたちは上手に話しができなくなってしまう。 このような圧倒され無言の圧力の中でも、その場を壊しても発言するようなことは大切である一方、興味を引き出すことは難しくなってしまう。 発言するトレーニングは別の機会で行おう。

話しを聞いても、当たり前でつまらない話しのように感じるかもしれない。 逆に、とんちんかんで現実的ではない内容に感じるかもしれない。 しかしながら、そのような当たり前であったり、とんちんかんであったりすることであっても、改めて考えてみると、とても示唆に富んでいることが多い。 それだけアイデアが面白くても上手に話すことが求められる。

感じていることは言語化し説明することが困難であることも多い。 直感でひらめいたことは、妥当性や説得性を獲得するためには、豊富なボキャブラリや論理などのスキルや訓練が必要である。 そのために話すスキルを、子どもや相手に求めると、話したいことが話せないようにイライラすることが多い。

小さな消え入りそうな声は、宝石の原石かもしれない。何気ない言葉を拾おう、なぜ(WHY)にトコトンつきあう。

"人の話をただ聞くのではなく、注意を払って、より深く、丁寧に耳を傾ける"傾聴に似ている。 認識が違った場合は、事実や背景を注意しながら聞く。 その際、自分の感情を入れずに、いったん受け取ろう。 その理由(WHY)を聞き出すと、その話しはとたんに面白くなってくる。

その小さな声は、宝石の原石のようなものかもしれない。 論理トレーニングや、豊富な言葉などのスキルを、一緒に学ぶ良い機会だ。 原石を磨くように、丁寧に話しをききたい。

特に「なぜ」と言う質問や疑問には徹底的につきあう。 わからないことは、正直に難しいと伝え、一緒に調べる。 まだ解明されていないことは、どのようにしたら解明できるのかを一緒に考える。 あくまで教えるのではなく、一緒に考え、磨き上げるのだ。

❖ ❖ ❖

今回は、散歩しているとき、街路灯の影が変化する様に興味を持ってくれたようだ。

3. 地につけた足:現象を見つめ、耳を澄ませる

「博士になりたい」「優秀賞をとりたい」「世界から戦争をなくそう」など、いろいろな目的やビジョンがある。 その目的の実現に向けて、活動を進めることもあるので、とても大切だ。

❖ ❖ ❖

目的や目標を意識すると、現実にある現象に鈍感になりがちだ。 知らないことは目的にできないし、世の中には知らないコトだらけである。 "あるべき姿"や目的に応じた選択が行われ、多様性が排除され、寛容さも失われることがある。

低いレベルの目的やビジョンをとらわれ、実現しても問題を大きくし、意味のない案件も散見される。 あらかじめ自ら限定することほど、つまらないことはない。 共通の価値観や目的は、関係性の中で勝手にできる。

自分の能力を遥かに超えた目的やビジョンにとらわれると、実現し成果が現れるまで、時間とコストが掛かりすぎてしまう。 その結果、成功体験を積むことが困難で、成功することが困難になってしまいがちだ。

それゆえ、目的や目標はいったん忘れ、現象を見つめ、できることをする。

関心(問題、興味)は、社会や現実の中にたくさんある。 現実にあるいろいろな現象や意味をしっかりと見つめ、地に足をつけて考える。

「目的を言うと、理想はダメになる」──プログラミング教育で大切なこと(阿部和広氏に聞く:後編) | サイボウズ式より

目的を言った時点で、理想はダメになります。プログラミングをやる理由は「面白いから」です。 プログラミングを通じて抽象化や論理思考力などが養われる、といった話もありますが、それは結果であって、目的にしたらダメです。

計算機科学者、未踏統括PM 竹内郁雄が語るエンジニアに伝えたいこと | 三年予測 |IT・Web業界の転職ならDODAエンジニア ITより

「真の創造者は目的をもたない。しかしまさにそのことによりすべての目的を見事に果たす」。

最後の最後のがんばりや、話題を収束させたいときには、目的やビジョンが使えるときがあるけれど、あまり多用すると疲労し、永続することが困難になることが多い。 むしろ、"しらけ"てしまうなどのネガティブな面も気を配る必要がある。

日常生活や社会にも、いろいろな疑問や面白いことがある。 まずは、よく感じることが大切だ。 感じたことを共有すると、話は尽きなくなる。

❖ ❖ ❖

夜、歩いていると街路灯の影は大きくなったり、二つになったり、消えたりする。 なんだか不思議なのである。 いろいろな発見があるようだ。

4. 自分の足:常識や知識を忘れ、自分で考える

話を聞いていると、突拍子もない疑問や質問がでてくる。 たとえば、なんで花が咲くんだろう、なんで影ができて動くのだろうとか、遠くにある海や月が動くのはなぜだろうとか、一瞬答えに詰まるような質問が多い。

❖ ❖ ❖

物理の基本原則である作用反作用の法則や質量保存の法則、エネルギー保存の法則でさえ、子どもは知らないなりに、彼らが見ている現象を理解しようとしている。 たとえば、なんで月が動くんだろう、どうやって影が動くんだろう、なぜ手首・足首は細いのかと不思議に思うのは当然だ。 大人にとって常識であるけれど、改めて考えると面白い。

「社会の常識や科学の知見ではこれは◯◯だから」とか考えてしまいがちだ。 しかしながら、その常識や科学の知見は時代を通じて変わってきたではないか。

それゆえ、自分の常識や知識をいったん捨てて、自分(たち)で観察し考える。

歩くと月がついてくる、また影が動くのも不思議な現象だ。 改めて観察すると、いろいろなことがわかる。 じっくり観察する。

観察して気がついたことは、なぜなんだろうかと一緒に考える。 なぜ歩くと月がついてくるのだろう、なぜ影もついてくるのだろうか。 同じことなのか、違うことなのか。そして、それはなぜなのか。

手を動かして実際に確かめることを心がける。 難しい科学の実験装置ではなく、身近で、おおよその見通しができるようなことを一緒にさがすのだ。 いろいろな理論や思想があるけれど、いったん保留にしておき、手を動かして確かめた事実やデータを尊重する。

STAP細胞を発表された小保方博士は「過去何百年の生物細胞学の歴史を愚弄していると酷評され、掲載を却下された」 という経験をされた。地動説のコペルニクスだって、遺伝に関するメンデルだって、歴史的に却下されたことばかりだ。せめて身近な人の意見を尊重し、耳を傾け一緒に考えてみようではないか。

多様性や寛容さは創造性の根源なので、"何でもあり"な考えから面白いことが生まれでる。 いろいろな視点や意見、とらえかたは一見変なことがあるかもしれない。 でも、意表をつく枠組みから外れた考えを尊重し、丁寧に向き合い、大切に育てる。

❖ ❖ ❖

たとえば、当時4歳児の気づきは、「透明人間が月を動かしている」 - ari's worldらしい。 その過程は、子ども自身だけでなく大人でもワクワクして楽しいことだ。

5. のびのび、ひとり:やりたいようにのびのびとやる

勉強も、こんなところをやってほしい、 遊びも、こんな風に遊んでほしい、 といろいろ想定しがちだ。 たとえば、苦手な教科をもっとやってほしいし、 本を読むだけでなく、もっと手を動かしてほしいとか、ついつい考えてしまう

❖ ❖ ❖

親と子どもでも、望むものは違う。 こんなことをしてほしいな、と願っていても、それを違う(上回る?)行動をとる。

しかし、そこで合意を取り付けても興味を失うような妥協やあきらめになってしまうことが多い。 本当に納得するには、本人の経験が必要である。しかしながら、経験や学習をしていない以上、腑に落ちないことに繋がる。 むろん、視点が異なり、やりたいことが違うことも多くあり、話しを聞くと逆に納得する。 つまり説得しても多くの場合は無理強いになってしまいがちだ。

会議でも、声の大きい人や立場のある人から合意させられ、良いアイデアがもみ消され、つまらない思いをしている人もよく聞く。 先日、別々の機会で、同じ主張を聞いた。

合意形成は、抑圧する暴力的な側面がある。

対立したときは、順番で遊ぶ練習や、一緒に遊ぶ練習をする良い機会でもある。 ただし、一人で考え一人で進むことをも大切である。 逆に、友達や親に話したところで、その悩みは共感されず、萎縮してしまうことさえある。

それゆえ、一緒に楽しむことも尊重するけれど、基本的に一人を前提とし、一人一人の考えや気持ちを尊重する。 自分がやりたいことを自分が決めて、一人で楽しもう。 また、周りの人は、そのような時間を使えるようにこっそり環境を整える。 子どもと向き合うときも、自分の気持ちを押し付けないようにする。

友達を作ることも大切だけれど、友達に左右されすぎる人生もつらい。 友達がいなくてお弁当をトイレで食べるという話しもニュースで聞いたことがある。 仲間はずれにされて、自らの命を絶った人もいると聞く。 友達や仲間がいなくても気にし過ぎはよくない。 一人でも背筋を伸ばして生きる背中を見せよう。

特に、完全ではないときや、思いどおりではないとき、間違いだ、と言うのは萎縮してしまうので慎重になろう。 放っておくのではなく、そっと、そして、暖かく見守る。 あくまで主役は自分だけではない。 みんなが主役だからこそ、一人を大切にしよう。

❖ ❖ ❖

このところ、自分で決めたやりたいことに集中しているようだ。

6. 石の上にも三年:投げ出さない、諦めない、そして待つ

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ついイヤになったり、投げ出したりしがちだ。

何かをやりだしても、すぐ簡単には答えがでない。調べても、答えは出ないことが多い。何らかのことが書いてあっても、それをきちんと理解することは難しい。なんらかのことを理解しよう、成し遂げようと思ったら、それなりに時間がかかり、紆余曲折するものだ。

単純な計算をしているときなど間違っているところにチェックしても、げんなりして嫌な気分になってしまう。このような嫌な気分になると、取り組んでいること投げ出してしまいがちだ。

それゆえ、失敗や負けることが当たり前だと知ろう。経験者は、失敗談を語り、一緒に乗り切ろう。

親も先生も、すごい人もみんな失敗を経験してきた。自分の失敗談は、恥ずかしいかもしれないが、多くの学びをえることができるので、正直に話そう。苦労した話し、困った話し、それをどのように乗り越えたかの話しからこそ、学ぶことがある。

「皿を割らないのは、皿洗いしない人だ」失敗して、落ち込んでいるのは本人だ。そこを叱咤しても、何もしなくなるだけで、改善効果を得ることはない。それより、どのようにリカバリすればよいのか、一緒に考える。そして、結果だけでなく、努力している行為を学び、そのことを素直に評価する。

失敗して、すねたり、へそをまげ、投げ出したくなるときもあるだろう。でも、失敗するのは諦めたときだ。それより、どうすれば良いのか一緒に取り組む。 その結果、飽きたときや厳しいときでも投げ出さず諦めなければ、もう少しで世界は広がるはずだ。

❖ ❖ ❖

気がついたことを、自分の研究ノートを、絵日記として三歳の頃から続けていた。 二日間だけ、自由研究としてまとめた。

7. 飛び立つひな鳥:のんびり冒険しよう、自由に空を飛ぼう

ある程度の領域に達したところで、一気に世界が広がるような感覚になることがある。孔子論語』(金谷治訳)学而第一より

学而時習之。不亦説乎。 
学びて、時にこれを習う。また説(よろこ)ばしからずや。

この「習」の上の部分は、「羽」で鳥がぱたぱた飛び立つ様を示す。ひな鳥がくりかえしはばたいて飛ぶ練習をすることで、習うという意味になっている。まさしく、わかったときの喜びは、初めてひな鳥が飛び立てたときのようだ。親鳥も、ハラハラしながらも、飛び上がったときはうれしい。子どもが初めて歩いたときの気持ちは、原点のひとつだ。なんて楽しいのだろう。

同じく孔子論語』(金谷治訳)学而第一より、他の人に理解されないかもしれないし、自分たちも理解できないかもしれない。

人不知而不慍。不亦君子乎。
人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや。
人がわかってくれなくても気にかけない、いかにも君子だね。

いつかわかってくれるときがくるかもしれないし、自分がわかるときがくるかもしれない。投げ出さず諦めず進もう。

大人になるまで傷が残る、後遺症になるような大きな怪我になりそうなことは安全対策をしておくけど、たいていのことは大丈夫だ。過酷なものであっても冒険してほしい。 長い付き合いになるし、無理すると疲れてしまうので、身の丈でのんびり冒険することが大切だ。そして新しい発見や、できたときの喜びを一緒に分かち合いたい。

初めてひな鳥が空を飛ぶときは、ドキドキな不安だったかもしれない。 でも、山に登ると世界が見渡せるように、視界が高くなるとすっきり清々しく、ワクワクするし楽しい。 いろいろ学び、自由に空を飛ぼう。

メタ認知や抽象的思考を鍛える ふたつのゲーム

メタ認知や抽象的思考を鍛える ふたつのゲーム

このところ抱えていた問題について、背景にある根本的な原因がわからなかった。数ヶ月前に、その原因が抽象的思考のレベルであることに気がづいて、あらゆることが腑に落ちた。奇しくも、数日前に知ったメタ認知や抽象的思考ができない人が心がけ実践すべき3つの事柄: DESIGN IT! w/LOVEと似ている内容で、とても共感した(リンク先は2009年11月21日の記事ですが、知ったのは数日前ということです)。

目の前にある状況から骨子を抜き出し、それをモデルとして示すことは、実生活でも役に立つ。「自分で考え、自分で答えを出す」ために、このような抽象化思考と、それを具象化する能力は、とても重要だ。

さて、上記のブログで紹介されている「思考を文章や図にしてまとめるクセをつける」や「あきらめずにむずかしい本を読む」をという内容をブレークダウンしてみた。思いついたゲームのうち手軽にできる二つを紹介する。あくまでゲームなので、正解はない。楽しんでやってほしい

要約ゲーム

複数人で、同じ文章に対して、要約が妥当かどうか比較する。

  1. みんなで同じ文章を読み、要約する文章を書く。
    • 最初は、段落からはじめ、節や章まで、本一冊まで、難易度を上げることができる。
    • 140文字で要約する、論文のアブストラクトを使わない、のような制約があると面白い。
  2. なぜ、その要約になったのかをそれぞれ説明する。
  3. 挙手などによって選ばれた的確な要約に拍手を送る。

読書会にも応用でき、一冊の本で、章ごとに別々の人が要約し、時間や手間ひまの短縮にもなる。

  1. 一冊の本を選ぶ。
  2. 担当する章を選び、担当者はその章を要約してくる。
  3. その要約をベースに議論する。
    • 要約の妥当性を議論する。
    • 自分たちのところで、どのように役立つか、とか自分たちに置き換えて議論する。
  4. 最後に、本全体の要約をみんなで作る。

的確な要約は、自分の宝や財産のように感じる。試してみてほしい。

「ふたつのニュース」

このゲームは、目についたニュースを使って、ひとりで行う。

  1. 新聞や雑誌でもニュースウェブページでもよいのでニュースふたつを開いてみよう。同じジャンルにあるニュースが比較的容易だ。以下の例は、47NEWS(よんななニュース)のヘッドラインにあった記事だ。

    バンコク警察占拠へ集結か タイでデモ続くバンコク共同】タイのインラック政権打倒を訴える反政府デモ隊は3日、バンコク警察本部の占拠に向けて集結する見通しだ。デモを主導する野党民主党のステープ元副首相は2日夜、全デモ隊を動員して首相府に近いバンコク警察本部の占拠を目指す考えを表明。警官隊との衝突になる可能性が高まっている。

    海洋安保で主導的役割 中国けん制、毅然対応 政府が、外交・安全保障政策の包括的な指針として初めて策定する「国家安全保障戦略」最終案が2日、判明した。10月下旬に公表された概要に加え、中国による沖縄県・尖閣諸島周辺海空域での進出を念頭に「開かれ安定した海洋の維持・発展に向け、主導的な役割を発揮」すると明記。「現状変更の試みには冷静かつ毅然として対応」するとして、中国へのけん制をより強く打ち出したのが特徴だ。

  2. 共通する単語を抜き出してみる。共通する単語がないときは、共通する意味や背景を持つ単語を探してみる。文を作りたいので、主語と述語があると良い。多少の違和感や飛躍、ブレがあったときは、それをメモしておこう。

    • 「警察」と「海洋安保」 → 政府の治安組織
    • 「反政府デモ隊」と「中国」 → 反対勢力
    • 「警官隊との衝突になる可能性が高まっている」と「けん制をより強く打ち出した」→ 衝突圧力が高まっている。
  3. 共通する単語を使って、文章を作ってみる。
    • 政府の治安組織と反対勢力との間で衝突圧力が高まっている。
  4. 作られた文章が、元の文章と関連しているか確認してみる。

関係なさそうニュースを持ってくると、難易度があがる。

簡単なゲームを二つ紹介したが、会話や仕事など鍛える場所はたくさんある。ぜひとも楽しみながら実践してほしい。

現場の声を開放しよう!未来のパターンとプロジェクトランゲージ

現場の声を開放しよう!未来のパターンとプロジェクトランゲージ

DevLOVE Advent Calendarの18日目の記事です。

非常にレベルの高い記事の後ということもあり、緊張している。 このところ、勉強会も研究会もほとんどご無沙汰である。 参加したい勉強会やイベントが多いだけに身を切られる思いだ。

実は、DevLOVE Advent Calendarの記事として、事前に現場の定義と書籍の選び方についてブログ記事を書いていたのだが、どうも緊張してしまって、この記事を書いてしまった。時間が許せば、そちらの記事もお楽しみください。

私自身、ソフトウェアやIT、ビジネスの現場の中で探求しながら、さまよい歩いているとき、中埜さんや羽生田さんが取り組んでいるパターンの先進性と器の大きさに触れ、自分ながら研究や実践を続けてきた。たとえば、参加のまちづくり演習の開催や、パターンの国際会議AsianPLoP 2011でもプログラム委員長として関わる機会を得た。去年・今年と大量のパターンを記述する機会に恵まれた。また今後も、パターンに関連したイベントやプロジェクトも計画しているので、楽しみにして欲しい。

今回は、現場の声を記述し、未来をデザインするための技術として、パターンとプロジェクトランゲージについて簡単に解説する。

現場ごとの文脈や問題を認識しよう

IPA アジャイル型開発におけるプラクティス活用事例調査」の報告書とリファレンスガイドクリエイティブコモンズライセンスで公開されており誰でも使える。

このレポートを読むと、現場ごとに全く異なったプラクティスを用いている。たとえば、インシデント(トラブル)が発生したときの重大さをラーメンの具の量で表現する素敵なプラクティスが紹介されている[p.116 楽しい工夫]。東京では「ぜんぶのせ」とか「ましまし」とか具沢山のラーメンがある。しかしながら、ラーメンの本場、博多で紹介したところ、こんなコメントが…

そうか!博多では、たくさんの具がイメージされないので、このラーメンのプラクティスは成立しないとは!うーん、おもしろすぎ♪

そのほかでも、ふりかえりプラクティスを読むと「その内容や効果は事例によってバラつきがあり、チームにとって不可欠になっている場合もあれば、あまり定着しないという場合もあった。」と紹介されている。そして、手法や実施タイミングまで、現場ごとに違っているのが、良く見て取れる。それ以外のプラクティスも、現場ごとに全く異なっている。

つまり、代表的なパターンが共有されているが、現場ごとの文脈や問題がある、ということだ。

プロジェクトランゲージ

パターンランゲージは、エキスパートや先駆者による何度も成功している体験をまとめている。そのため、代表的なパタンが語られる傾向にあり、自らの現場に適合しないことが多い。

具体的なプロジェクトの実現という特別な目的を持つパタンランゲージであるプロジェクトランゲージがある。プロジェクトランゲージは、まさしく自分たちの現場での声をまとめ、未来のパターンを作りながら、自分たちの物語やシナリオを紡ぎ、デザインする。プロジェクトランゲージの目的は、エキスパートの成功体験をシェアすることではなく、自分たちの言語を生み出し、自分たちの対象物をデザインすることだ。

未来のパターンを作ろう

パターンというと、過去や現在の成功体験を文字にしたものと捉えがちだが、文脈や問題、期待する結果(夢やビジョン)などからパターンを作ることはできる。たとえば、

  1. 入ってきた新人に、主体性がなく、言われたことしかしない。
  2. 異なるチーム間の関係が悪い/コミュニケーションが不自由

などの問題があれば、それぞれの固有の制約や文脈を洗い出した上で、解決策案を作ることができる。

  1. リスクの少ないプロジェクトを任せ、成長を見守る(獅子の子落とし
  2. 複数チームからのメンバーをシャッフルしてふりかえり [pp.23-24 IPA アジャイル型開発におけるプラクティス活用リファレンスガイド]

このように現場ごと、その時期ごとの問題をパターン集として作ることができる。

シナリオや物語を語ろう

パターンを単語として扱うことができる。そのパターン辞書は、このようなものがある。

  • 自分の現場の問題や現場のパタン集
  • 会社や業界のパタン集
  • 著名なパタン集(例、スクラム、XP、DDD、IPAリファレンスガイド…などふさわしい辞書を選ぼう)

そのパターンを単語として、シナリオや物語を書いてデザインしよう。そこで描かれたビジョンと、現場をつなげるロードマップをデザインすることになる。たとえば、IPA リファレンスガイドを用いた物語の例だ 「アジャイルプラクティス・パターンをつくるワークショップ」セッション資料より

昨日は初回リリースが無事に終わり、今はふりかえりをしている。最初、スパイク・ソリューションで技術的なリスク事項を確認し、シンプルデザインを心がけたので見通しは良かった。共通の部屋で、チーム全体がひとつになって開発を行った。チームは、ファシリテータ(スクラムマスター)と開発をした。プロダクトオーナーは、様々な調整に走り回りなかなか仕様が決まらなかったことが課題であった。 昨日のリリースに対して障害の報告があがってきた。バグ時の再現テストですぐに確認できたので、継続的インテグレーションを用いてリリースを行った。リファクタリングのタイミングについては意見が割れている。 今後の体制は、顧客プロキシを実現しつつ、組織構造のバウンダリをゆるめながら進むことで、合意を得られた。このプロジェクトは、TOC-CCPMと組み合わせるなど組織にあわせたアジャイルスタイルが実現できている。ただ楽しい工夫をもくろんでいることは内緒である。

参考資料

次に向けて

パターンの形式を使って自分たちの現場に耳を傾け、自分たちの声で未来を語る。なんてワクワクするんだろうか。プロジェクトランゲージは、製品やサービスのデザインに向いているが、今回は現場の声を開放するためのパターンとプロジェクトランゲージを簡単に紹介した。ぜひ使ってほしい。

次は、いとじゅんさん!よろしくお願いします!

あふれる矛盾する情報から判断する7つのステップ

あふれる矛盾する情報から判断する7つのステップ

先日、インフルエンザのワクチン接種について、前向きな記事と、否定的な記事を同時に見たGoogleで「インフルエンザワクチン」と検索してみると、百万件を超えるヒットがある。ニュースやブログ記事などメディア情報にあふれ、その情報が一貫していないことが多い。そのような多様性の中で、自分にふさわしい判断や選択を下すことは困難だ。そこで、身近なインフルエンザワクチンを接種するかどうかを題材に、自分にとって適切な判断を導く手順をまとめてみた。

  1. 5W1Hを整理してみよう
  2. いつどのように判断するのか考えてみよう
  3. 問いを立てて、解決策を探ってみよう
    • 問いを立ててみよう
    • 大きな問いを立て、解決策をさぐってみよう
  4. 複数の情報ソースを確認し、要点を理解しよう
    • できる範囲で当事者や原典も確認しよう
    • 周りの人に聞いてみよう
  5. 誰がどのように得するのか意図を考えよう
  6. 安全度合いを考えて試してみよう
  7. 好きか嫌いかを感じてみよう

(2013年11月28日 「大きな問いを立て、解決策をさぐってみよう」を追記しました。)

1. 5W1Hを整理してみよう

案外、何が問題かを見落としていることがあるので、関心のあることについて簡単に整理しよう。どのようなことを(WHAT)、なぜ(WHY)、いつ(WHEN)、どこで(WHERE)、だれが(WHO)/だれに(WHOM)、どのように(HOW)判断するのか:

  • WHAT: インフルエンザワクチンを接種するかどうか
  • WHY: なぜなら、インフルエンザワクチンが有用だと思っていたが、疑わしい報告や事象があるので
  • WHEN: 本年度は接種してしまったので、来年度のワクチン接種時期までに
  • WHERE: 自分自身と家族や職場で
  • WHO/WHOM: 自分自身が(自分自身と自分の周りの人のために)
  • HOW: ニュースやウェブページなどの情報を調べ、自ら妥当な範囲で試すことで、判断する。

5W1Hは、事前に決めたことにこだわらず、適宜変更していくことがポイントだ。

2. いつどのように判断するのか考えてみよう

いつ(WHEN)判断するのが適切なのであろうか。今できる判断は何だろうか。

その情報を判断するとき、情報が少なければ少ないほど、不適切な判断をしてしまう。情報を増やし、その情報を取捨選択することによって、その判断は適切で容易になる。判断する情報を増やすためには二つの方法がある:試すことと時間の経過を待つことだ。

当事者になって試すと、思わぬ情報を得られる。試したら案外行ける(けど、崖っぷちにいるのかわからないけどね)ということもあるが、試すことが難しいこともあるし、判断をするためにかけた時間などのコストやリスクは高くなる。

今後インフルエンザワクチンや予防法も改良されるだろうし、それについての情報もアップデートされ、洗練されてくるだろう。今、判断すべきか、それとも、あとで判断しても大丈夫なのか判断する条件を考えよう。たとえば、「本年度はインフルエンザワクチンを接種したので、来年の10月にワクチン接種の可否を判断しよう、それまでは情報の収集に専念しよう」と決めることで、いつどのように判断するかがわかる。

そのように判断を保留もしくは延期することによって、情報が洗練され、適切な判断を行いやすくなる。今、判断しないこともひとつの選択肢だ。永遠に判断しないこと(関係ないと判断すること)という選択も忘れてはならない。

3. 問いを立てて、解決策を探ってみよう

問いを立ててみよう

事前に仮説を立てておいて検証する、という考え方もあるが、あまりうまく働かない。仮説に基づいた情報を集め、それ以外の情報を見にくくなるためだ。たとえば、「インフルエンザワクチンが有用だから接種しよう」と仮説を立てると、その仮説を実証するような情報のみを集めてバイアスがかかってしまいがちだ(情報が矛盾している前提に立っているので、「三度目の正直」と「二度あることは三度ある」のように自分が好きな意見を集めることができしまう。)

そこで問いを立てて、判断を保留するのが、妥当なことが多い。本質的には同じことなのだけれど、バイアスを排除するために「インフルエンザワクチン接種するかどうか」レベルにしておく。

大きな問いを立て、解決策をさぐってみよう

インフルエンザワクチンを接種するか、接種しないかに着目している。しかし接種するかどうかが決まれば良いのであろうか。もう少し深く考えてみよう。

たとえば、ワクチン接種にとらわれず「インフルエンザに罹らないためにはどのようにすればよいか」という問いを立てれば、「SkypeやHangoutsなどの電子会議システムを利用しリモートで仕事する」などの選択肢によって、感染の機会を減らすことができる。それ以外にも、手洗いうがいの実施などに気づくことができる。

さらに大きな問いである「健康的な生活を送るためにはどうすればよいのか」に対しては、「人ごみに出ないために自転車やランニングで移動(通勤・通学)する」と、感染の機会を減らすだけでなく、健康的な体を得られるだろう。

このように大きな問いに着目した方法を考えてみると実現可能な大胆な解決策が見つかるかもしれない。少なくとも道に迷わないですむ

4. 複数の情報ソースを確認し、要点を理解しよう

インフルエンザのワクチン接種について、ここに二つのレポートがある。

  1. ヘルシーリポート:インフルエンザ ワクチン接種が最も効果的- 毎日jp(毎日新聞)
  2. インフルエンザワクチンは打たないで! 【常識はウソだらけ】 - NAVER まとめ

(インフルエンザワクチンに前向きな内容を1. 、否定的な内容を2.として表示する)

朝日新聞の「ワクチン接種が最も効果的」という記事と、NAVERまとめの「インフルエンザワクチンは打たないで!」という記事だ。まさしく正反対の内容である。その中の具体的な記事の例として、インフルエンザワクチンの集団感染についても、このように意見が異なっている。

  1. かつては日本でも学校で集団接種が行われていたが、鶏卵アレルギーの問題のため現在は任意 [Wikipedia インフルエンザ]

  2. インフルエンザ・ワクチンで流行は阻止できないことがわかり、厚生省は1994年に集団接種をやめました。流行を阻止できないということは、すなわち、他人にうつしてしまうことは避けられないということです。 [NAVER まとめ(前掲)]

インフルエンザワクチンを接種するのが良いのか、接種しないのが良いのか、これでは全くわからないが、片方だけの情報だけでは偏った決定になってしまう。国や地域によっても事情は異なるかもしれない。複数の情報ソースを確認してみよう(ただし、調べすぎに注意)。

逆に、情報があふれ、その情報が一貫していないことが多いことが前提の中で、逆に同じような情報が流れているときは、何らかの操作や圧力があるかどうか調べてみることも考えてみよう。パラダイムが同じで、同じような結論が導きだされていることも多々あるけれど、面白い情報が見つかるかもしれない。

できる範囲で当事者や原典も確認しよう

それぞれの発言の妥当性を確認するため、当事者に当たり、原典を調べると 思わぬ事実や観点が見つかったりする。当事者に確認することによって、メディアでは公開されていない情報が出てくることも多い。しかし、原典が論文だとすると、多少のお金がかかり、読むためには訓練が必要だ。特に、複数の論文で書かれていることが、矛盾する結果を導く場合になってしまうこともあるので、読んで理解しただけでは堂々巡りになることもある。

周りの人に聞いてみよう

当事者や原典への確認は大変なので、周りにいる人に聞いてみると情報が得られる。統計的にいろいろな意見を分析してみるのもひとつの手だけれど、まずはTwitterSNSを見たり、周りの人に聞いてみよう。

  1. 友達の会社では、全社員への接種を推進している。
  2. 去年度と今年のワクチン接種数日後、家族のうち二人が39度を超える熱を出している。接種しない人のみが罹患しなかったものの、ワクチン接種した家族はすべてインフルエンザに罹患した。近所に住んでいる皆勤賞を狙っている小学生の親子は、インフルエンザワクチンを接種していない。

"統計学的"に十分な情報ではないことを理解した上で、このような情報は参考になる。

5. 誰がどのように得するのか意図を考えよう

誰がどのように得するのかを確認(うがった見方を)すると、このようになる。

  1. インフルエンザワクチンの接種が普及することによって、薬品会社や病院が儲かる。
  2. 大胆な意見を言うことによって、本が売れる。著者や出版社が儲かる。

双方の共通する目的を確認しておこう。おそらく共通の目的は、読者(国民)の健康を実現することだろう。

その妥当性を確認するために「誰が得をするのか」を確認しておくと、論点がわかりやすい。ここで「儲けたいからやっているんでしょ?」とか「儲けることが良くない」のような気持ちを持ったならば、その選択肢を削除すれば良い。ただし、人間や組織が生きていくためには、適切な収入を得ることの必要性など相手の文脈を理解する努力も忘れてはならない。

6. 安全度合いを考えて試してみよう

このインフルエンザワクチンを接種するかどうかは、身近な問題なので試すことができる。局所的な解かもしれないが、少なくとも事実は確認できる。

薬の専門家や認可団体は、慎重に注意深く統計処理を行い、ある一定の割合の人に効果があるかどうかを確認しているが、ある一定の割合で薬が効かない人もいる、ということだ。周りには、普通の社会生活や学校生活を送っているにも関わらず、ワクチンを接種したことがなく、インフルエンザにかからない人が、全く別の友達関係の中で、一定数いる。顔色や生活を見ている限り、一年を通じて、とても健康そうに見える。

試せるかどうか安全度合いを考えてみよう

むろんリスクが高く試すことができないこともある。たとえば、原子力発電所の事故によって発生した低線量被爆の健康への影響などは科学的には証明されているとはいいがたいが、簡単に試すことはできない(人生と世代をかけた実験になってしまうだろう、そのような時は工学的な視点に立ち、より安全な選択肢を着目するのが妥当であろう)。でも、インフルエンザワクチンを接種するかどうかのリスクを考えてみると…

  1. インフルエンザワクチンが有用かどうかわからないが、接種して損がないなら、接種しておこう。
  2. ワクチンを接種しても、インフルエンザに罹患したら会社や学校を休まなければならない。試しに接種をやめておこう。

どちらもリスクの範疇だ。試してみても良いかもしれない。そんなステップを経て、試しにインフルエンザワクチンを接種せずに様子をみようかと思っている。

7. 好きか嫌いかを感じてみよう

結局のところ、あらゆる情報を調べても調べきれず、試しても試しきれない。究極のところ、好きか嫌いかを感じてみよう。他人に押し付けると、何かとしんどそうだけれど。

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