ari's world

あるかどうかわからないけど、あるみたい。ありがとう。

ウソツキのアンパンマンはウソツキか(ウソツキクラブのアンパンマン7)自己言及のパラドックス

このところ盛り上がった話題である.

ここで紹介されているアンパンマンはウソばかりついている.そのためか,アンパンマンはいつもウソツキだと言われ,ちょっと困ったようだ.そこで,子どもたちに聞いてみた…

アンパンマンは「僕はウソツキだ」と言った.さて,アンパンマンは,本当のことを言っているか,ウソを言っているか,と質問した.

  1. 子ども1は「アンパンマンはウソを言っている」と答えた.

    僕はウソツキだ」と言ったことがウソということだから.アンパンマンウソツキではない ってことだね.

  2. 子ども2は「アンパンマンは本当のことを言っている」と答えた.

    アンパンマンは,本当のことを言っているからウソツキではない ってことだね.

つまり,ウソツキクラブのアンパンマンはウソツキではない ということが説明された.

なんどか同じやり取りをした後,「あーっ,そーゆーことね」と腑に落ちたようだ.

このパラドックスをいかにやぶるのか,それが宿題である.


古来から「自己言及のパラドックス」とか「クレタ人のパラドックス」のように言われている種類のものだ.どのように破ってくるのか楽しみなのである.

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アンパンマンはみんなの味方だ. おなかを減らした友達を助けるときは,自分の顔を傷つける. 今回もアンパンマンに助けてもらった. ありがとう,アンパンマン

なぜ子どもは勉強できなくなるのか

子どもを育ている上で留意したいポイントをメモしておく.この文章は,特に目新しいことはないし,むろん想定通りになんかならない.

基本を学ぶこと

人生,学力だけではないし,学校で学ぶことだけでもない.地域社会や友人,家族など,様々な機会からも学べる.親は子どもに義務教育を受けさせる義務はあるが,その内容を理解する/させる義務はないかもしれない.しかし,義務教育における割り算や分数,読解力は,日常生活や業務においても必要であることが多い.義務教育の内容は,おおよそ生きるために必要な糧になるといえよう.

たとえば,「牛丼屋」を経営するなら,お金儲けができるかを知るためには社会を使い,食材の安全性は理科を使い,お金の計算や仕入れについては算数を使い,お客さんや従業員とのやりとりは国語を使う.むろん,判断をするために道徳が基準になり健康な体を使う体育,料理するには家庭科と,あらゆる教科を活用できる.これらの道具を使いこなし,さらに新しい道具を生みだしながら,気持ちを形にして生きてほしい.つらいこともあるけれど,なにより楽しいことだし,自由を獲得する手段のひとつでもある.

今後も内容や方法は議論されていくとはいえ,「教育」は大切なことだと世界中の多くの国が考えている.自分の子どもには「天才」にならなくても,せめて基本的な教育として義務教育の内容は身につけてほしいと願っている.

義務教育で学べていない子どもたち

そのような義務教育における学力低下について話をよく聞く.一方,平均的な学力低下についての賛否両論の意見があり,どちらが正しいかの意見は保留にしたい.他方,局所的な学力低下については,いくつか報告がある.

  • 「「教育困難大学」のあまりにもひどい授業風景 | 学校・受験 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準」の記事に 小学生レベルの知識が欠落している学生たち」が出てくる.小学生の学習が大きく欠落していれば,中学や高校における学習も困難になりやすい.

  • 東京都のすべての公立小・中学校は授業改善推進プランを公開をしている.学力調査の実施後「調査の結果報告書を作成し,結果の詳細や授業改善のポイント等を発信するとともに,東京都のすべての公立小・中学校が,調査結果から自校の課題を分析して「授業改善推進プラン」を作成し,授業改善を行っていく」ものである.

    近隣の小学校の状況は,このようになっているようだ1

    • A小学校の授業改善プランより

      • 6年生の国語> 文章全体の構成を考えて書こうとしているが、十分身に付いているとは言えない。学習した漢字を正確に読んだり書いたりして、文章の中で使うことが十分にできていない。
      • 6年生の算数>四則演算では わり算、分数の通分、約分を苦手としている児童が多い。 のように わり算や分数の計算が難しいようだ.
    • B小学校の授業改善プランより

      • 6年生の国語> 正しい鉛筆の持ち方ができない
      • 6年生の算数> 0のあるわり算の計算も定着が難しい。既習事項の定着が不十分なため、新しい単元にスムーズに入れない

    分数は2年生から段階的に学び,わり算は3年生で学ぶ内容が6年生になっても理解できていないことを示している.

    さらに,中学校の状況も見てみた

    • C中学校の授業改善推進プランより引用
      • 国語> 小学校低学年で修得するはずの漢字が書けなかったり、作文のルールが定着しておらず、正しく書けなかったりする生徒が見受けられる。
      • 算数> 小学校段階の基礎的な知識や技能の定着が不十分な生徒もいる。
    • D中学校の授業改善推進プランより引用
      • 国語> 語彙力が低く、長文を読むことに抵抗はある
      • 算数> 基礎的な学力不足から授業内容の理解が困難な状況がどの学年にも見られる。
      • 理科> 実体験の不足からか、現象をイメージできないことがある。

この地域の学力調査において,改善傾向にあるものの都道府県平均や全国平均を下回っている教科が多かった. 小学校低学年のつまづきが,そのまま中学から,その継続する高校や大学へ影響していることが想像できる.

小学校や中学校に通うだけでは義務教育の内容を十分に理解できない局所的な問題があることがわかる.

生活習慣と家庭学習への関心

学力調査および授業改善プランにおいて,生活習慣と家庭学習だけでなく,学校の授業についての調査および評価が含まれている.たとえば,アクティブラーニングの実施,ICTの活用,授業のめあて(ねらい・目標)の提示,家庭学習のサポート,研修や研究会に参加した成果の還元などが調査されている.さらに,公開授業(授業参観)の機会を通じて授業を評価し,学校長を含めてフィードバックや対話することは現実的ではある.

しかしながら,ある親として,実施可能性の観点が必要である.たとえば,いったん入学した公立小学校においてクラス替えや転校などの手段は,日常的に行われているように見受けられず,容易に実施可能とは言えない.また,第三者の授業の調査に基づいた改善活動は,教職員以上に専門的な知識や経験の必要性,個別の状況理解,現実的な先生への負担を鑑みて,ある親として実施する範疇を超える.そのため,すでに入学した小学校における授業は,おおよそにおいて与えられた状況として受け入れることが,ひとりの親として現実的である.

そのため,この記事は,授業の調査およびその改善については範疇とせず,ある親(私)として実施しやすい領域である生活環境と家庭学習に関心を持って記述する.

学力と関連する生活習慣

学力調査では生活習慣などのアンケート調査が行われている.結果と考察から学力との関係性が見出されている抜粋する(太字と下線は筆者).2

  • 生活習慣について
    • 朝食を毎日食べている」と回答した児童の平均正答率は、全ての教科で平均値を上回っている。
    • 家の人と学校での出来事について話をしている」と回答した児童の平均正答率は、全ての教科で平均値を上回っている。
    • 月-金曜日に、テレビゲームをしている時間が2時間以上の生徒の平均正答率は、全ての教科で平均値を下回っている
    • 月-金曜日に、テレビゲームを「全くしない」又はテレビゲームをしている時間が2時間以下の生徒の平均正答率は、全ての教科で平均値を上回っている。
    • 読書が好きである」と回答した生徒の平均正答率は、全ての教科で平均値を上回っている。
  • 規範意識
    • 「規則を守っている」意識のある児童の平均正答率は、全ての教科で平均値を上回っている。
    • 「規則を守っていない」という児童の平均正答率は、全ての教科で平均値より15p以上(中学では20p以上)下回っている
    • 「いじめはどんな理由があってもいけないことだと思いますか」の問いに対し、「当てはまらない」「どちらかといえば当てはまらない」と回答した児童は、全ての教科で平均値を下回っている
  • 学習に対する関心・意欲・態度
    • 家で、自分で計画を立てて勉強をしている」「どちらかといえば、している」と回答した生徒の平均正答率は、全ての教科で平均値を上回っている。
    • 家で、学校の宿題をしている」と回答した生徒の平均正答率は、全ての教科で平均値を上回っている。
  • テレビ鑑賞やテレビゲームについてのデータ
    • 「普段(月-金曜日)、1日当たりテレビやビデオ・DVDを見たり聞いたりするのに費やす時間は3時間以上である」と回答した児童の割合が32.8%。「4時間以上見たり聞いたりしている」と回答した児童の割合 は17.3%。
    • 「普段(月-金曜日)、1日当たりテレビゲーム(コンピュータゲーム、携帯式ゲーム含む)に費やす時間は3時間以上である」と回答した児童の割合は17.7%。「4時間以上している」と回答した児童の割合は9.8%。

この調査では,長時間(2時間以上)テレビゲームの時間を多さと学力低下の関係性,朝食と家族との会話が増やすことと学力向上との関係性があることがわかった.家での学習も計画を立て,宿題を行うことと学力の関係が示されている.

平日の1日4時間は,17時に帰宅すれば,就寝時間に近い21時までである.帰宅してから就寝まで,ほぼテレビかテレビゲームを行なっていることを意味している.長時間のテレビ鑑賞やテレビゲームは,学習時間を減らし,学習に対する意欲をも減らすのだろう.

心がけたいこと

先の調査では,テレビ鑑賞やゲームを少なくし,朝食を食べ家族との会話を増やすことが大切であることが示されていた.月並みな結果とはいえ,このような日々の習慣が,小学校や中学校の学力,ひいては大学や社会における学力に結びつくのだろう.むろん,大切なことは学力だけではない.しかし,義務教育の内容を知り,それについて考えることは,社会的な生活を歩むことを容易にするのではないだろうか.

金銭的な余裕があれば,通塾や家庭教師もひとつの選択肢かもしれない.学習する時間と習慣を身につけられる.親は,日々の日常で忙しいし,様々な事情もあるとは思うが,親と学校や宿題の話題にすることも忘れてはいけない.子どもと朝ごはんを食べ,会話するたびに,子どもの意見に新鮮な驚きをよく感じる.自分自身が学習したことのアップデートもできる.我々が「常識」と思っていることでも,よくよく考えてみれば不思議なことが多くある.なにより楽しい.

私自身,子どもを天才に育ていることを目的にしていないものの 5000人の天才児を45年間追跡してわかった、親が知るべき「8ヵ条」と「4つのポイント」 | クーリエ・ジャポンでは "「天才児を産むのは、遺伝子と環境の相互作用である」と主張。「生まれか育ちか」論争に意味はなく、親が適切な教育を施すことで子供の才能を伸ばすことができる" とある.遺伝子の操作は現実的に難しいことが多いが,できるなかで環境を作っていくことは可能ではないだろうか.

義務教育の内容を理解し,その理由や不思議を探究することも良い経験になるだろう.家では,テレビを消しゲームをお休みして,子どもとの時間を共有し,会話していくことを大切にしていきたい.このように心がけることによって,子どもの学びを支援し,子どもたちに少しでも自由に生きるための手段を身につけてほしい.そして,さまざまな経験や関係を通じて学び,それを,活用していく喜びを感じてほしい.

小学生の子と,これから小学生になる子へ.

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追記

  • 学校の授業について調査の必要性について指摘があり「生活習慣と家庭学習への関心」の章を追記しました(2017/09/21).ご指摘ありがとうございました.

  • 友人H氏による「学習や勉強,自己研鑽は,自由になるための手段である(文言は修正)」を本文に反映させた.ありがとうございました(2017/10/03).

  • 子どものとのやり取りを楽しんで成長する7つの心がけ - ari's worldにまとめてあります.


  1. 子どもたちの通っている学校へ配慮し,引用および抜粋の元資料の名前およびリンクは示さない.

  2. 子どもたちの通っている学校へ配慮し,引用および抜粋の元資料の名前およびリンクは示さない.

二分の一成人式の参観メモ

二分の一成人式の参観メモ

地元の公立小学校に通う自分の子どもの二分の一成人式を参観する機会を持った.二分の一成人式がどのような内容であったのかメモしておく.

参加した二分の一成人式の内容

私の子どもの二分の一成人式が開催されたので参観した,まずそれぞれの児童が発表を行い,次に代表児童とその保護者が前に立ち代表として感謝の意を表し,最後に児童全員で合唱した.自分の考えたテーマについて発表資料をプレゼンテーションソフトを用いており,力作ばかりであった.全体を通じて,私も含めて涙を流す参観者が多かった.

二分の一成人式では,子どもたちが主体的に決定し動いていた.式の司会進行も子どもたちが行なっていた.全体のテーマも子どもたちで考えたとのことである.担任の先生は,スライドの操作や合唱の指揮などの支援に徹していた.

  • 多様な生い立ちと目標・夢:子どもたちの発表は多様であり興味深かった.大きな病気や病気や取り組みや.未来の夢もいろいろであった.たとえば,未来の夢は「(YouTubeのコンテンツを制作し配信して収入を得る)ユーチューバー」と発表し,さらに「ユーチューバーが売れないときのため,会社員をやる」との話に現実を見ていると感心した.それぞれの過去や目標(夢)を語った.大きな怪我をしたこと,いろいろな国に住んだこと,夏休みはフランスの学校に行く児童や,モンゴルに行く児童など,多様な生き方を知ることができた.
  • 発表:発表については,電子黒板が導入されたこともあり,プレゼンテーションのスライドを作成するソフト(Microsoft PowerPoint)を用いていた.自分が気に入った写真を貼り付け,分かりやすい構成やデザインを考え,文章を考えていた.アニメーション機能を多用しすぎな感もあったものの,それは素晴らしいものであった.
  • 感謝の言葉:代表児童が,自分の親に対して感謝の言葉を述べた.さらに,それぞれの主だった発表内容については,自分の生い立ちやイベント,学校での経験,将来の夢や目標だった.そのため,児童の全員が親に対する感謝を強制されわけではなかった.むしろ,子どもたちや先生も,センシティブな状況にいる子どもたちについては,丁寧に取り扱っていることを感じた.
  • 参観者二分の一成人式の参観者,通常の授業参観より人数は多いものの,参加できなかった家庭もある.通常の授業参観と同じように,それぞれの家庭の状況や方針によって決定した.

それぞれの関心について丁寧に準備し,それを発表する会であった.特に,子どもたちはプレゼンテーションツール(パワーポイント)の資料を用意し,司会や挨拶,合唱などを通じて子どもの成長を楽しく参観した.

よかったこと

  • 子ども自身で,自身の10年をふりかえる機会:学校では,漢字や計算問題のように教科書や指導要綱をベースに授業を進めているため,自分自身について振り返る機会は多いとは言えないだろう.しかし,二分の一成人式では,小学校に入る前の生活や小学校に入ってからの生活について貴重な機会であろう.
  • 子ども自身で,自身の未来を考える機会:インターネットやテレビなどの環境に影響を受けているとはいえ,"ユーチューバー"のように自分ならでは未来像を考えていた.小学校では,文章を書く機会を増やしているとはいえ,自分の未来像を考える機会はそれほど多くはない.これから,中・高校という多感で,その後の人生に影響を与える大切な時期を迎える.この大切な時期を迎えるにあたり,自らの未来や夢を考える貴重な機会であろう.
  • 子ども自身の考えを発表し,他の子どもたちの考えを知る機会:今の子どもたちは,様々な環境で生きてきた.友達同士での会話や授業でのやりとりではわからない.過去に大きな病気や怪我をした児童,夏休みはフランスの学校やモンゴルに行く児童,お菓子職人を目指す児童など,他の児童の多様な経験や夢を知る貴重な機会であった.
  • 協力してことと準備することを経験する機会:このように子どもが自分自身の過去と未来について考え,自分たちの手で成功させるため数カ月もかけて準備していた.方針づくりや司会進行はクラスのみんなと相談し,合意形成することを経て経験できる.むろん,自分たちで取り組むように進めた担当の先生の指導や,その環境づくりの保護者や地域の関係者,他の先生たちの応援もあっただろう.二分の一成人式を成功させることも通じて,このように準備することや協力することも合わせて経験し,学ぶことができるだろう.

考慮すべきこと

ウェブの記事を見ている限り,配慮すべき事柄があるようだ.二分の一成人式において「プライベートへの配慮」と「公教育としての必要性」が主だった懸念点のようである.

プライベートへの配慮

考え直してほしい「2分の1成人式」――家族の多様化、被虐待児のケアに逆行する学校行事が大流行(内田良) - 個人 - Yahoo!ニュースには,このような記述があった.

2分の1成人式では,親への感謝の手紙は定番である。「お母さん,ありがとう」「お父さん,お仕事がんばって」とお決まりのセリフを,子どもたちは書くことになる。ここで何よりも問題なのは、「親は感謝されるほどに、子どもに尽くしているはず」という幻想が、式全体さらには学校教育全体を覆っているということである。

こちらでは,虐待されている子どもが感謝の気持ちを強制させることが問題提起されている.この指摘の通り,多様な児童と家庭環境があるため,その配慮は必要であろう.しかしながら,私の参観した授業において代表児童のみが感謝を述べるなど,すべての児童が感謝する必要がなかった.このような回避策や運用上の留意点について,議論や連携が進むことによって,問題が回避されることが期待される.

ただし,そもそも虐待や育児放棄は,大きな社会問題である.二分の一成人式における表現で回避したとしても本質的な解決には至らない.こちらは「親に感謝すべきかどうか」についての表現の問題ではなく,本来的な適切な親子関係や家族関係の議論を継続する必要があるのではなかろうか.

さらに「お決まりのセリフを書かせる」という教師については,子どもの持つ意見や気持ちの表現を支援する教育技術が不足だった可能性が考えられる.このような教育技術について,研究や実践が豊富であり,ワークショップや研修が容易な領域である.そのため,このような技術が不足している教師がいるのであれば,指導側の理由や状況の把握すると同時に教師への研修や指導を含めて学校や行政として対応する必要があるだろう.

むしろ子どもの虐待や教師の指導技術の問題を,二分の一成人式で配慮するだけの問題に矮小化してしまうのではないかと心配してしまう.むろん,二分の一成人式においても配慮すべき事柄はあるため,二分の一成人式を含む取り組むべき問題をしっかり見極めていきたい.

公教育で行うことかどうか

元小学校教員が挙げる、2分の1成人式を即刻やめるべき5つの理由 – トウマコの教育ブログには,”公教育は、様々な家庭状況や学習環境にある児童がいるなか、「学習のスタートラインを揃えること」で平等な学習の機会を与えるべきもの”として,公教育で行うべきではない,と主張している.

私自身は教育者ではないため公教育で行うべきことかどうかはわからないが,教育の範囲であるかどうかは,たとえば,教育基本法の第二条(教育の目標)から考えてみる:

二  個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。 三  正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。

二分の一成人式は,この教育基本法における教育の目標と合致する.具体的には,二分の一成人式は,教育基本法における「個人の価値の尊重して,その能力を伸ばす」「創造性を培う(つちかう)」「自主および自律の精神を養うこと」「主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと」に即している.この二分の一成人式の目的を,親のためだけの行事であると置くことは,狭い範囲に規定し過ぎている感がある.児童自身が,自分の人生をふりかえり,夢や目標を確認する機会,発表する機会であるとも考えると十分な教育効果があると考えられる.

特に,「思考力・判断力・表現力」「主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ態度(主体性・多様性・協働性)」(参考:こう変わる!大学入試 ~2020年度からセンター試験に代わる試験を実施~|Kei-Netが重視されつつある時代において,児童の多様性や主体性,協働性にシフトすることは,当然の流れであろう.つまり,二分の一成人式を公教育で行う選択肢は十分に妥当 であろう.

この二分の一成人式という授業を参観可能にするかは,地域連携や家族連携の大切さの中で行われることに,別段の違和感は覚えない.身内の不幸は,人間が生物であるかぎり,どの家庭でも必ず発生し直面する.どのように発生した不幸とつきあっていくのか,これからも引き続き大切な課題であろう.

おわりに

二分の一成人式は,9割が満足! 親子で感涙する「2分の1成人式」とは!?|ベネッセ教育情報サイトにあるとおり感動的なだけでなく教育効果が期待できる取り組みであると感じた.子どもたち自身で,このような式を運営し発表することに改めて感心した.

  1. 二分の一成人式に限らず,苦しむ子どもには配慮と取り組みが必要である.
  2. 親を喜ばす目的ではなく,それぞれの子どもが今までをふりかえり,目標を考える節目となる学習である.
  3. 子どもたちが自分たちの目的や目標を確認し,多様性を尊重することと勉強の動機を得る機会である.
  4. 運動会や学芸会と同様に,公の教育で行う妥当性はある.

子どもから親への感謝だけでなく,親から子どもへの双方向の感謝が生きていく上で大切である.たとえこの世に生を受けても,何らかの理由により10歳になれず,二分の一成人式を迎えることができない子どももいる.二分の一成人式に参加する子どもたちは無事に成長し,式に参加できた子どもたちである.ありがたいことではないか.

これから,子どもたちが,まだまだ知らない職業はたくさんあるし,これからも新しい職業が出てくるだろう.仕事や生活そのものが変わってしまう可能性も捨て切れない.生き延びるのが困難な時代を迎えるのかもしれない.それにもかかわらず,これからも子どもたちは,楽しみながら貪欲に学び,のびのびと成長してほしい.

父より.

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後悔しないための私的なメモ(小さなお子さんがいらっしゃる方へ)

後悔しないための私的なメモ(小さなお子さんがいらっしゃる方へ)

この10年強ほど心がけてきたことを書く。私的なメモであるため、共感いただくことや お役に立てることを期待しないし、ご質問を頂いても答えられないだろう。聞き流してほしい。


人は、いつか必ず死ぬ。 医療や技術の発展により、病気が減り寿命が延びているとはいえ、死ぬことは避けることができない。

人は、人と共に生きる。 特に大切な人と共に生活し、長い間を過ごし、自分と一体となるような状況になる。大切な人がいなくなることは自らを失うことと同義か、もしくはそれ以上である。

人は、いつ亡くなるかわからない。 明日はどうなるかわからない。震災の発生や事故や事件へ巻き込まれるかもしれない。ただ、ある日突然やってくる。

だから今日を生きる。 明日、後悔しないために、今日できることを一生懸命にやる。明日は明日の風が吹く。なるようになる。 そのため、このように心がけてきた:

  • 共にいる:失われた子どもとの時間は取り戻せないため、特に子どもが小さい時は、共に生活する時間を大切にする。私以外にも、たくさんの友達や同僚にもいるが、子どもにとっての親はあなたしかいない。仕事は変われるかもしれないが、子どもとの時間は変われない。
  • リスクを減らす:コントロールできないこともあるけれど、その中でもリスクを減らす。水の事故や交通事故の防止、体を冷やさない/鍛えることなど、できることを実施していく。
  • 近くにいる地震津波、犯罪や火事などが発生した場合、一緒にいたい。それは守ることになるかもしれないし、見守ることになるかもしれない。ただ単に近くにいたい。
  • 思い出を作る:子どもに残すのは思い出だけかもしれない。けど、楽しい時間を一緒に過ごすことは貴重である。
  • 楽しく笑顔で:今日で最後かもしれないと思うなら、小さなことで喧嘩しても仕方ない。笑顔で楽しく過ごす。
  • 感謝する:今を生きられるのはすごいことなのだ。存在が難しいのにもかかわらず存在するのは、ありがたいことである。

逆に私がいなくなっても後悔しないための取り組みもある。たとえば、楽しんで成長する7つの心がけ - ari's worldを参照してほしい。

あれから11年経つ。これから10年は、子どもたちと、その子どもたちのため、ほんの少しでも手助けがしたい。ほんのほんの少しだけだろうけど、それでも もがくことぐらいはできるだろう。

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2016年12月18日記す

ことばが通じていく人の判断基準

ことばが通じていく人の判断基準

国語辞典編纂者・飯間浩明さんが語る「ことばが通じない人」の判断基準 - Togetterまとめの内容について,私の考えをまとめてみた.

ことばというものは通じないものです。あなたの頭の中で考えたことを、100%相手に理解してもらうことはそもそも不可能。それでも、何とか伝える方法を考えたい、というのが私の希望です。ただ、社会生活上、「ことばが非常に通じにくい人」を見極めることも必要です。その判断基準を挙げてみます。

「ことばが非常に通じにくい人」の判断基準として三つをあげている.抜粋して引用する:

1. 語句を理解しない:
    双方の持つ語彙(の量)が大きく異なる。話し手は、相手に分かる語句を用いるべきですが、語彙の隔たりが大きいと大変です。
    例:
    A「ボルダリングやってます」
    B「何ですかそれは」
2. 語句の意味の理解が不正確:
    語句の意味を自己流に解釈する。「言ってないことが言ったことになる」のはこのパターンです。
    例:
    A「うちの親、たびたび電話してくるのよ」
    B「毎日は迷惑だね」
    A「毎日じゃないんだけど」
    B「『たびたび』って言うから毎日かと思った」
3. 表現意図を理解しない:
    相手がどんな意図で言ったかを把握するのは難しい。この種の行き違いが多い相手とは距離を置くのも一方法です。
    例:
    A「では、そのうち飯でも」
    B「来週ですか再来週ですか」

この三点は,ことばが静的もしくは変化が少ないと認識した場合の判断基準としてふさわしい.たとえば,言葉の持つ意味が変化する必要がないため,語彙,意味理解,表現意図などが違いすぎると,ことばが通じない状態になっている.

しかしながら,語彙や意味,意図があいまいで多義性を有し,変化する現実がある.そのような多義性やあいまいさを有している多様で変化するような状況において,ことばを動的,もしくは変化が激しいものとして理解しなくてはならない(ゆる思考の定義における多様性,多義性,あいまいさを示す).このような多様で動的な世界(ゆるい世界)では,いかに情報を共有し学習するかについてが判断基準となる.

いくつかの判断基準があるが,ことばが通じない人の判断基準は「謙虚さの欠如」である.つまり,ことばが通じていく人は謙虚さを有している.一般的に謙虚とは「素直な態度で接するさま」であり,素直な態度によって情報を入力し学習しやすくするからである.ここで,謙虚であることは相手の意見を尊重した上で,自らの意見を素直な態度で伝えることでもあり,相手の意見をそのまま鵜呑みにする,という意味ではない.

  1. 「語句を理解しない」から「語句を理解していく(謙虚)」へ
    1. 語彙の量が違い隔たりがあることは前提であり,同じような語彙を持つ人を見つけることの方が困難である.
    2. 謙虚であれば,定義や意味を確認する行為によって会話が成立すること(ことばの意味)が期待されるからである.「ボルタリング」の意味を確かめることは,相手に興味を示し,情報を入力する態度を持つため謙虚であると判断する.
    3. 逆に知らない言葉をそのまま用いること,もしくは,あやふやなまま会話を続ける行為は謙虚ではなく,ことばが通じにくいと判断する.
  2. 「語句の意味の理解が不正確」から「語句の意味を理解していく(謙虚)」へ
    1. 語句の意味の理解が不正確であることは前提であり,日常会話における自然言語はその要件を満たしていない.
    2. 謙虚であれば,聞き間違えた/言い間違えた(現実の運用としては判断がつかない)を相互に修正しながら「ことばの意味が通じる」ことが期待できる.
    3. 逆に語句の意味の理解の正確性を自他共に求めると,ことばを通じさせるための心理的コストが高くなる(エネルギーや労力を用いる)ため,ことばが通じにくくなる.
  3. 「表現意図を理解しない」から「表現意図を理解していく」へ
    1. 相手がどんな意図で言ったかを把握するのは難しいため,すれ違いが大きい場合に距離を置いてしまうと,意図を理解する機会を失う.
    2. 謙虚であれば,すれ違いが多いときは,その元になる前提や文化を推測した上で,こちらの意図理解を相互に交換して「ことばの意味が通じる」ことが期待できる.たとえば,「飯でも」と言われた時に,文字通りの意味なのか別の意味なのかを確認し,双方にとって納得できるような状態に持っていく.
    3. 逆に,すれ違いが少なくても,謙虚さが欠如しているのであれば,すれ違いが増えて距離を置くことになる.

このように相互の謙虚さによって学習していく機会を増大することによって,語彙,語句の意味理解,表現意図の理解を得る.その結果,相互に「ことばが通じる」ようになる.逆に,片方でも謙虚さが欠如している場合「ことばが通じない」状況になりがちだ.つまり,あいまいで多義性を有したゆるい世界において,ことばが通じていくかの判断基準のひとつは謙虚さであると言えよう.

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macOS SierraでOS X Lionの日本語類語辞典を使う

macOS SierraでOS X Lionの日本語類語辞典を使う

類語辞典は、私の乏しい語彙を補ってくれ、言葉の関係を知るため気に入っている(英英でも類語辞典を愛用している)。macOSは標準で、知りたい言葉を強くクリック(もしくは三本指クリック)で、辞書を引けるので便利だ。しかし、OS X Mountain Lionから標準で、日本語の類語辞典がなく不便であった。そこで、OS X LionのインストールディスクからmacOS Sierraで類語辞典を使えるようにした。

  1. Lion をダウンロードし、類語辞典をサルベージした。 Mac OS X 10.8 Mountain Lionで失われた類語辞典を求めて | 配電盤を参照し、行った作業である。

    1. App Store からOS X Lion をダウンロードする(ダウンロードできない場合は、次からの作業に進めない)。
    2. Applicationsフォルダにある「Mac OS X Lion install」をCtrl+クリックし「Show Package Contents」を選択する。
    3. Contents/SharedSupport/InstallESD.dmgをダブルクリックする。
    4. Terminal.app で以下の操作行った。

      cd ~/Desktop #参照記事と同じ

      pkgutil --expand "/Volumes/Mac OS X Install ESD/Packages/Essentials.pkg" ./tmp

      ditto -x --bom ./tmp/Bom ./tmp/Payload ./

    5. Library/Dictionariesに類語辞典があるので、必要なフォルダにコピーする。

    6. Desktop にたくさんのフォルダができるので、全作業完了後削除する。

    ただし、macOS Sierra には、ルート直下の /Library/Dictionaries フォルダがなく、そこにフォルダを作って辞書ファイルをおいても使えなかった。

  2. ホームディレクトリ直下の ~/Library/Dictionaries フォルダに辞書ファイルを置いた。 奥村 晴彦先生のmacOSページを参照した。

  3. Dictionary.app の Preferences で類語辞典を選択する。

便利♪

2016年の初めに書いた「やらないことリスト」と自己採点

2016年1月6日に書いた「やらないことリスト」を,2016年の終わりが近づいていることもあり,見直してみた.

  • この「やらないことリスト」は,アウトプットを増やすことを目指したものである.
  • 否定形を使ったのは,自分自身へのメッセージとして強化されるかもしれない,と思ったからだ.
  • いくつかの項目は,アジャイルソフトウェア開発関連のプラクティスを参考にしている.

やらないことリスト2016と 自己採点

  1. 優先順位を決めずに,作業を始めるな.時間は限られている.
    • タスクやTODOを整理しろ.
    • 金曜日の夕方に,次週の見通しを立てる.
    • 前日の夕方か夜に,翌日の見通しを立てる.難しいときは,朝に計画を立てる.
    • 思いつきで,いろいろなことをやろうとするな.目先のやるべきことをやれ.
    • 自己採点:内容によって状況が変わっていくため,見通しや見積は,ほぼあてにならなかった.見積や計画より,チケットやTODOを作り,それに集中して消化する方法がふさわしいと感じた. 40点
  2. ふりかえりせずに,次に行くな.計画前に簡単にフィードバックせよ.
    • 自己採点:疲労と時間の関係で できなかった.この記事が唯一のふりかえりかもしれない 40点
  3. いくつかのことを同時に作業するな.だらだらやるな.時間を区切って集中しろ.
    • 25分間集中するポモドーロ法を使い倒せ(アプリは,値引きで安かったBe Focused Proを使用).
    • 作業中は,音楽を聴いて集中する.
    • 自己採点1:ポモドーロタイマーを使うにつれてリズムが作られる.ただし,ポモドーロ法があるから集中できたのか,切羽詰まっているから集中できたのかは明確ではないが,休憩も取りながらメリハリをつけられる.特に作業スピードが落ちていることを実感できる(計測の機能がある).
    •  自己採点2:自分の集中できる音楽であるU2XTC, Les Miserable,RCサクセションを聴きまくった.YouTubeの作業用音楽も重宝した.
    • 集中できた気がする 80点
  4. 注意を散漫させるものを近くにおくな(環境を整えろ).SNSやメールソフト,メッセンジャー,ゲームを開くな.通知を切れ.アプリを開くな.守れないときはアプリやブックマークを削除せよ.
    • 自己採点:通知がくると気になってしまう.アプリやブックマークの削除はよかった.習慣づけには環境を整えることから始める 90点.
  5. 作業環境やツールについて悩むな,浮気するな.
    • バックアップ環境で作業しようとするな.メイン環境で十分だ.
    • いろいろな環境やツールを試そうとするな.手元にあるMicrosoft WordやMarkdown (ツールBywordiA Writer),HTML+CSS(ツールSublime Texts)を使い,浮気するな.ツールを検討する時は,その時間をとろう.
    • 思考停止,大事.
    • 自己採点:たまに考えてしまうこともあるが,ほぼ できている.文書はBywordiA Writerで書き,Wordで体裁を整える運用が多かった. 80点
    • 参考:Wordで編集しているとファイルが壊れることが何度かあった.履歴管理できるバックアップ(macOS標準 Time Machine機能)には救われた,バックアップ重要. 自分で作った文書データと長い友達でいるためのメモ - ari's world
  6. 体に無理をさせるな.
    • ごはんやおやつを食べすぎるな.
    • スキマ時間で気持ちを整える.
    • 体を動かせ.
    • 自己採点:食事を取りすぎ,体を動かせていない.かなりボロボロの状態で,疲労回復が当面のテーマである 3点
  7. 家族との時間をおろそかにするな.大切にしろ.
    • 自己採点:家族の協力もあり,家族との時間はとれた.ほぼ100点

全体を通じた自己採点:

  • 去年の夏から一年間ぐらい集中して,自分なりにアウトプットの量は増えたと思う.この心がけの中で「3.時間を区切る(=メリハリをつける)」「4. と5. 集中できるような環境を整える」が,アウトプットの量に有効だったと感じる.
  • 否定形で表現したことによって,自分へのメッセージしては強まり,戒めとして働いた気がする.
  • この夏から,その反動がきていて疲労を感じる.疲労感が高いと,ほかの心がけにも悪い影響を及ぼしパフォーマンスに影響を出す.通年としては65点ぐらいだろうか.自分の疲労を発生させやすい原因を推定し,その対策を検討中もしくは実施中である. 

まだ終わっていない.たらたらといきますよー

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