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ari's world

あるかどうかわからないけど、あるみたい。ありがとう。

楽しんで成長する7つの心がけ

楽しんで成長する7つの心がけ

三人の子どもと時間を過ごしている。 「子育て」といいながら、子どもに学び、子どもと一緒に成長させてもらっているような気がする。 そのような経験の中で、子どもと向き合うときに、それなりに心がけていることがある。 現時点で、心がけてきたことを紹介したい。

  1. みんな大人:成熟した人としてつきあう
  2. 小さな原石:小さな声を拾う、トコトンつきあう
  3. 地につけた足:現象を見つめ、耳を澄ませる
  4. 自分の足:常識や知識を忘れ、自分で考える
  5. のびのび、ひとり:やりたいようにのびのびとやる
  6. 石の上にも三年:投げ出さない、諦めない、そして待つ
  7. 飛び立つひな鳥:のんびり冒険しよう、自由に空を飛ぼう

ひとつの事例として、6歳から7歳の子どもの自由研究を進めるときを背景にした。 ただ、子どもと向き合うときだけではなく、多くのことがビジネスやコミュニティでも同じことが言えそうだ。 本文では「子ども」と書いたが、試しに、部下、同僚、友人、家族など関係する身近な人として、適宜置き換えてお読みいただければと思う。

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1. みんな大人:成熟した人としてつきあう

勉強をしてほしかったり、家事などの仕事を手伝ってほしかったり、ノートをまとめてほしかったり、いろいろな願望がある。

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教えても、うまくいかない。指示しても動かない。 話したことを、すぐに理解してくれないし、言うことを聞いてくれないように思える。 そもそも、子どもが学ぶことに着手してくれない。

  • いくら教えても、自分から勉強しようとしない。
  • いくらほめても、言うことを聞かない。
  • いくら怒っても、子どもが言うことを聞いてくれない。
  • 塾や習い事に通うためには月謝が必要だ。しかも、週に一度程度では、率直なところ、あまり身に付くとも思えない。
  • 具体的に丁寧に教えても、話しが長くなったとたん、途中から興味がなくなってしまう。
  • 目的を設定しても、一緒にその目標を達成しようとしてくれない。

なぜだろうか。子どもは未熟だからなのであろうか。未熟な状態とは、どのようなことだろうか。

  • 欲やむさぼりが強い。自分さえ良ければ、他人がどうなっても良い。みんなで取り組んでいるものを自分のものだと主張するなどをくり返せば、周りは疲弊する。
  • 怒る、意味なくイライラする。そのような感情は、周りにイライラが感染する。
  • 自分・相手を関わらず、存在、能力、やっていることなどを軽視すること
    • 自分にたいしては「私は、たいしたことがないので…」や、自信がないこと。
    • 相手に対しては、馬鹿にする、"なめて"いること。挑発的な態度を取ること。
    • 「それ、知っているよ」と言う態度は、思考停止に陥りやすく、それ以上の成長や気づきがなくなってしまう。本人が判断することとはいえ、たぶんつまらないことだ。
  • ねたんだり、うらやましがっていると、周りにそのような意図がなくてもネガティブな印象を持ってしまう。

つまり、未熟とは、知識や経験がないことではなく、不健康で成長できない状態だ。 このような態度に接していると体力や元気を吸われて、へとへとになってしまう。 体力がないときや、疲れているとき、忙しいときは、特にしんどい。 結局のところ建設的な話し合いが無理なので距離を置き相手にせず待つことになる。

感情や考え方、態度はお互いに影響し合い、自分に跳ね返って戻ってくる。 まるで、金子みすゞの詩『こだまでしょうか』にある「「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。「ばか」っていうと「ばか」っていう。」のようだ。 親が子どもにイライラいれば、間違いなく親に返ってくるだろう。

未熟な状態にあれば、それに対応するように、相手は未熟になるし、いやいやながら意見を聞く人になる。 おそらくは、反抗したり、言い訳したり、逃げ出したくなっているはずだ。 自分の関わり方で、相手を子どもにしてしまうのだ。

それゆえ、まずは一人の成熟した人間として尊敬して接しよう。

むろん、待つことや距離を置くこと、自分の身を守ることも大切だ。 まずは自分が健康的で成長できる状態になりたい。 そして、子どもには「相手に汚い言葉をかけると、すべて返ってくるよ、たとえばね…」と教えている。

一人のしっかりした人間としてつきあうことが、お互いに成熟し、楽しむきっかけになる。 従うことや与えられる関係ではなく、ひとりの人としてつきあう。 おそらく時間はかかるかもしれないけれど、あきらめず一歩ずつ進みたい(参照:6. 投げ出さない、諦めない、そして待つ)。

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今のところ、仕事や遊び、研究や勉強などの時間を自分で判断し、取り組んでいるようだ。

2. 小さな原石:小さな声を拾う、トコトンつきあう

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人はそれぞれ、異なった世界を見て、異なった興味を持っている。 彼らなりの世界は、非常にユニークであることが多い。 そして、感じたことを聞き取ってほしいと思っている。 大人だって、いろいろな思いがあって、それを話したいと思っている。 誰もが同じように話したいと思っている。

話したいと思っていても、多くの声でかき消されてしまう。 他の声の大きな人や話し好きな人は、長時間に渡って自分たちの話しをしがちだ。 その声の大きさに圧倒され、子どもたちは上手に話しができなくなってしまう。 このような圧倒され無言の圧力の中でも、その場を壊しても発言するようなことは大切である一方、興味を引き出すことは難しくなってしまう。 発言するトレーニングは別の機会で行おう。

話しを聞いても、当たり前でつまらない話しのように感じるかもしれない。 逆に、とんちんかんで現実的ではない内容に感じるかもしれない。 しかしながら、そのような当たり前であったり、とんちんかんであったりすることであっても、改めて考えてみると、とても示唆に富んでいることが多い。 それだけアイデアが面白くても上手に話すことが求められる。

感じていることは言語化し説明することが困難であることも多い。 直感でひらめいたことは、妥当性や説得性を獲得するためには、豊富なボキャブラリや論理などのスキルや訓練が必要である。 そのために話すスキルを、子どもや相手に求めると、話したいことが話せないようにイライラすることが多い。

小さな消え入りそうな声は、宝石の原石かもしれない。何気ない言葉を拾おう、なぜ(WHY)にトコトンつきあう。

"人の話をただ聞くのではなく、注意を払って、より深く、丁寧に耳を傾ける"傾聴に似ている。 認識が違った場合は、事実や背景を注意しながら聞く。 その際、自分の感情を入れずに、いったん受け取ろう。 その理由(WHY)を聞き出すと、その話しはとたんに面白くなってくる。

その小さな声は、宝石の原石のようなものかもしれない。 論理トレーニングや、豊富な言葉などのスキルを、一緒に学ぶ良い機会だ。 原石を磨くように、丁寧に話しをききたい。

特に「なぜ」と言う質問や疑問には徹底的につきあう。 わからないことは、正直に難しいと伝え、一緒に調べる。 まだ解明されていないことは、どのようにしたら解明できるのかを一緒に考える。 あくまで教えるのではなく、一緒に考え、磨き上げるのだ。

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今回は、散歩しているとき、街路灯の影が変化する様に興味を持ってくれたようだ。

3. 地につけた足:現象を見つめ、耳を澄ませる

「博士になりたい」「優秀賞をとりたい」「世界から戦争をなくそう」など、いろいろな目的やビジョンがある。 その目的の実現に向けて、活動を進めることもあるので、とても大切だ。

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目的や目標を意識すると、現実にある現象に鈍感になりがちだ。 知らないことは目的にできないし、世の中には知らないコトだらけである。 "あるべき姿"や目的に応じた選択が行われ、多様性が排除され、寛容さも失われることがある。

低いレベルの目的やビジョンをとらわれ、実現しても問題を大きくし、意味のない案件も散見される。 あらかじめ自ら限定することほど、つまらないことはない。 共通の価値観や目的は、関係性の中で勝手にできる。

自分の能力を遥かに超えた目的やビジョンにとらわれると、実現し成果が現れるまで、時間とコストが掛かりすぎてしまう。 その結果、成功体験を積むことが困難で、成功することが困難になってしまいがちだ。

それゆえ、目的や目標はいったん忘れ、現象を見つめ、できることをする。

関心(問題、興味)は、社会や現実の中にたくさんある。 現実にあるいろいろな現象や意味をしっかりと見つめ、地に足をつけて考える。

「目的を言うと、理想はダメになる」──プログラミング教育で大切なこと(阿部和広氏に聞く:後編) | サイボウズ式より

目的を言った時点で、理想はダメになります。プログラミングをやる理由は「面白いから」です。 プログラミングを通じて抽象化や論理思考力などが養われる、といった話もありますが、それは結果であって、目的にしたらダメです。

計算機科学者、未踏統括PM 竹内郁雄が語るエンジニアに伝えたいこと | 三年予測 |IT・Web業界の転職ならDODAエンジニア ITより

「真の創造者は目的をもたない。しかしまさにそのことによりすべての目的を見事に果たす」。

最後の最後のがんばりや、話題を収束させたいときには、目的やビジョンが使えるときがあるけれど、あまり多用すると疲労し、永続することが困難になることが多い。 むしろ、"しらけ"てしまうなどのネガティブな面も気を配る必要がある。

日常生活や社会にも、いろいろな疑問や面白いことがある。 まずは、よく感じることが大切だ。 感じたことを共有すると、話は尽きなくなる。

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夜、歩いていると街路灯の影は大きくなったり、二つになったり、消えたりする。 なんだか不思議なのである。 いろいろな発見があるようだ。

4. 自分の足:常識や知識を忘れ、自分で考える

話を聞いていると、突拍子もない疑問や質問がでてくる。 たとえば、なんで花が咲くんだろう、なんで影ができて動くのだろうとか、遠くにある海や月が動くのはなぜだろうとか、一瞬答えに詰まるような質問が多い。

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物理の基本原則である作用反作用の法則や質量保存の法則、エネルギー保存の法則でさえ、子どもは知らないなりに、彼らが見ている現象を理解しようとしている。 たとえば、なんで月が動くんだろう、どうやって影が動くんだろう、なぜ手首・足首は細いのかと不思議に思うのは当然だ。 大人にとって常識であるけれど、改めて考えると面白い。

「社会の常識や科学の知見ではこれは◯◯だから」とか考えてしまいがちだ。 しかしながら、その常識や科学の知見は時代を通じて変わってきたではないか。

それゆえ、自分の常識や知識をいったん捨てて、自分(たち)で観察し考える。

歩くと月がついてくる、また影が動くのも不思議な現象だ。 改めて観察すると、いろいろなことがわかる。 じっくり観察する。

観察して気がついたことは、なぜなんだろうかと一緒に考える。 なぜ歩くと月がついてくるのだろう、なぜ影もついてくるのだろうか。 同じことなのか、違うことなのか。そして、それはなぜなのか。

手を動かして実際に確かめることを心がける。 難しい科学の実験装置ではなく、身近で、おおよその見通しができるようなことを一緒にさがすのだ。 いろいろな理論や思想があるけれど、いったん保留にしておき、手を動かして確かめた事実やデータを尊重する。

STAP細胞を発表された小保方博士は「過去何百年の生物細胞学の歴史を愚弄していると酷評され、掲載を却下された」 という経験をされた。地動説のコペルニクスだって、遺伝に関するメンデルだって、歴史的に却下されたことばかりだ。せめて身近な人の意見を尊重し、耳を傾け一緒に考えてみようではないか。

多様性や寛容さは創造性の根源なので、"何でもあり"な考えから面白いことが生まれでる。 いろいろな視点や意見、とらえかたは一見変なことがあるかもしれない。 でも、意表をつく枠組みから外れた考えを尊重し、丁寧に向き合い、大切に育てる。

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たとえば、当時4歳児の気づきは、「透明人間が月を動かしている」 - ari's worldらしい。 その過程は、子ども自身だけでなく大人でもワクワクして楽しいことだ。

5. のびのび、ひとり:やりたいようにのびのびとやる

勉強も、こんなところをやってほしい、 遊びも、こんな風に遊んでほしい、 といろいろ想定しがちだ。 たとえば、苦手な教科をもっとやってほしいし、 本を読むだけでなく、もっと手を動かしてほしいとか、ついつい考えてしまう

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親と子どもでも、望むものは違う。 こんなことをしてほしいな、と願っていても、それを違う(上回る?)行動をとる。

しかし、そこで合意を取り付けても興味を失うような妥協やあきらめになってしまうことが多い。 本当に納得するには、本人の経験が必要である。しかしながら、経験や学習をしていない以上、腑に落ちないことに繋がる。 むろん、視点が異なり、やりたいことが違うことも多くあり、話しを聞くと逆に納得する。 つまり説得しても多くの場合は無理強いになってしまいがちだ。

会議でも、声の大きい人や立場のある人から合意させられ、良いアイデアがもみ消され、つまらない思いをしている人もよく聞く。 先日、別々の機会で、同じ主張を聞いた。

合意形成は、抑圧する暴力的な側面がある。

対立したときは、順番で遊ぶ練習や、一緒に遊ぶ練習をする良い機会でもある。 ただし、一人で考え一人で進むことをも大切である。 逆に、友達や親に話したところで、その悩みは共感されず、萎縮してしまうことさえある。

それゆえ、一緒に楽しむことも尊重するけれど、基本的に一人を前提とし、一人一人の考えや気持ちを尊重する。 自分がやりたいことを自分が決めて、一人で楽しもう。 また、周りの人は、そのような時間を使えるようにこっそり環境を整える。 子どもと向き合うときも、自分の気持ちを押し付けないようにする。

友達を作ることも大切だけれど、友達に左右されすぎる人生もつらい。 友達がいなくてお弁当をトイレで食べるという話しもニュースで聞いたことがある。 仲間はずれにされて、自らの命を絶った人もいると聞く。 友達や仲間がいなくても気にし過ぎはよくない。 一人でも背筋を伸ばして生きる背中を見せよう。

特に、完全ではないときや、思いどおりではないとき、間違いだ、と言うのは萎縮してしまうので慎重になろう。 放っておくのではなく、そっと、そして、暖かく見守る。 あくまで主役は自分だけではない。 みんなが主役だからこそ、一人を大切にしよう。

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このところ、自分で決めたやりたいことに集中しているようだ。

6. 石の上にも三年:投げ出さない、諦めない、そして待つ

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ついイヤになったり、投げ出したりしがちだ。

何かをやりだしても、すぐ簡単には答えがでない。調べても、答えは出ないことが多い。何らかのことが書いてあっても、それをきちんと理解することは難しい。なんらかのことを理解しよう、成し遂げようと思ったら、それなりに時間がかかり、紆余曲折するものだ。

単純な計算をしているときなど間違っているところにチェックしても、げんなりして嫌な気分になってしまう。このような嫌な気分になると、取り組んでいること投げ出してしまいがちだ。

それゆえ、失敗や負けることが当たり前だと知ろう。経験者は、失敗談を語り、一緒に乗り切ろう。

親も先生も、すごい人もみんな失敗を経験してきた。自分の失敗談は、恥ずかしいかもしれないが、多くの学びをえることができるので、正直に話そう。苦労した話し、困った話し、それをどのように乗り越えたかの話しからこそ、学ぶことがある。

「皿を割らないのは、皿洗いしない人だ」失敗して、落ち込んでいるのは本人だ。そこを叱咤しても、何もしなくなるだけで、改善効果を得ることはない。それより、どのようにリカバリすればよいのか、一緒に考える。そして、結果だけでなく、努力している行為を学び、そのことを素直に評価する。

失敗して、すねたり、へそをまげ、投げ出したくなるときもあるだろう。でも、失敗するのは諦めたときだ。それより、どうすれば良いのか一緒に取り組む。 その結果、飽きたときや厳しいときでも投げ出さず諦めなければ、もう少しで世界は広がるはずだ。

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気がついたことを、自分の研究ノートを、絵日記として三歳の頃から続けていた。 二日間だけ、自由研究としてまとめた。

7. 飛び立つひな鳥:のんびり冒険しよう、自由に空を飛ぼう

ある程度の領域に達したところで、一気に世界が広がるような感覚になることがある。孔子論語』(金谷治訳)学而第一より

学而時習之。不亦説乎。 
学びて、時にこれを習う。また説(よろこ)ばしからずや。

この「習」の上の部分は、「羽」で鳥がぱたぱた飛び立つ様を示す。ひな鳥がくりかえしはばたいて飛ぶ練習をすることで、習うという意味になっている。まさしく、わかったときの喜びは、初めてひな鳥が飛び立てたときのようだ。親鳥も、ハラハラしながらも、飛び上がったときはうれしい。子どもが初めて歩いたときの気持ちは、原点のひとつだ。なんて楽しいのだろう。

同じく孔子論語』(金谷治訳)学而第一より、他の人に理解されないかもしれないし、自分たちも理解できないかもしれない。

人不知而不慍。不亦君子乎。
人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや。
人がわかってくれなくても気にかけない、いかにも君子だね。

いつかわかってくれるときがくるかもしれないし、自分がわかるときがくるかもしれない。投げ出さず諦めず進もう。

大人になるまで傷が残る、後遺症になるような大きな怪我になりそうなことは安全対策をしておくけど、たいていのことは大丈夫だ。過酷なものであっても冒険してほしい。 長い付き合いになるし、無理すると疲れてしまうので、身の丈でのんびり冒険することが大切だ。そして新しい発見や、できたときの喜びを一緒に分かち合いたい。

初めてひな鳥が空を飛ぶときは、ドキドキな不安だったかもしれない。 でも、山に登ると世界が見渡せるように、視界が高くなるとすっきり清々しく、ワクワクするし楽しい。 いろいろ学び、自由に空を飛ぼう。