ari's world

あるかどうかわからないけど、あるみたい。ありがとう。

子どもと話した公園に行く一番近い道について

公園へは、最短の道のり(距離)を使っていた

いつもの公園へのランニングコースは、たいてい同じ道を使っている。 最初は、気分によって左回りにし、信号や川の脇を通るなど、いろいろな道を使っていた。 しかしながら、あるときに地図で見て、一番近そうな道を見つけてしまった。 練習を兼ねているので、長い距離を走る選択肢もあるけれど、つい、その道を使ってしまう。 子どもとその公園に行くときも、距離が短くて楽そうだから、いつもの道を使う。

あるとき「いつもと違う道を通りたい。」というリクエストがあった。 「歩く距離(道のり)が伸びるけど、いい?」と答えたところ「それはなぜ?」と質問された。

紙で確認してみた

帰宅後、適当な紙を出して、比較してみた。 その紙は、一辺が7.5cmあった。 なお、まだ小数点を学んでないので、実際は7cm5mmや75mmと説明している。

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斜めに進むルート(A)は約10.5cmで、二辺を進むルート(B)は15.0cmだ。 比較すると 4.5cmほど道のり(距離)が伸びたことがわかる。 7.5×21/2は10.6cmなので、ほぼ計算通りだ。

Google Mapの距離測定で比較してみた

次に、地図で距離測定: Google Mapsで調べてみることにした。

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ルートA

いつものルートの一部を測ってみると約500mだった(A)。 このルートを外れると、歩く道のり(距離)が増える。たとえば、ルート(B)では約910mになり、410mも道のり(距離)が増えている。

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ルートB

他にも通園路や通学路、お散歩ルートを確認してみる。 多少、複雑になっても現在地と目的地をまっすぐ結んだ線に近いほど道のり(距離)が少ないことが確認できた。 いつも通っていた道より、もう少し短い道を見つけたので、今はそっちを使っている。


自転車や車の場合、安全にスピードを出しやすいかどうかも影響する。 自転車に乗りながら話したけれど、いつか話したい。

macOS バックアップ:Time Machine の容量制限を簡単に設定する方法

TimeMachineを使い、TimeCapsuleにファイルをバックアップしている(私の環境は OS X Mavericks 10.9.5)。TimeCapsuleのディスクには、他のファイルも保存しているけれど、どんどんTimeMachineがディスクを食いつぶし、空き容量がなくなってしまう。TimeMachineで作られるファイルの容量を制限する方法を検索したところ、紹介されている方法は手間がかかるように感じ、設定しなかった。

たまたまSecure Time Machine Backup with Size Limit on Mac OSX Mountain Lion - Michael Sliwinski - Passionate Productivityという記事を見つけた。ディスクを選択するときに Encrypt backups をチェックしセキュアなバックアップを選択すると記述されているが、セキュアオプションを使用せずに実行してみた。

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なお、操作に失敗してももう一度バックアップすれば良いので、そのまま試してみたが、もし重要度が高いのであれば大切なファイルは別のところにコピーしておこう。すでにバックアップはしている(初回バックアップ時ではない)状態である。

  1. Time Machine で通常のバックアップができていることを確認する。以下の操作には、管理者権限でログインしている必要がある。
  2. System Preferences → Time Machine で、Time Machineを停止する。バックアップが停止したことを確認する。
  3. Finderで、Time Capsuleのバックアップ先をマウントする。(標準では)Finder 左側のSidebarのSHAREDにあるTime Capsuleのマシン名をクリックし、その中のフォルダをマウントする。ここでは、Data というフォルダとして説明する。
  4. フォルダには、マシン名.sparsebundleというファイルがあることを確認する。私のマシン名は、motobookなので、motobook.sparsebundleとなっている。
  5. Terminal を起動し、ディスクイメージを操作する以下のコマンドを入力し、enterキーを押す。決めた容量が950GBだったら"950g"、1テラバイトであれば"1t"となる。

    hdiutil resize -size 950g /Volumes/Data/マシン名.sparsebundle

    私の場合、hdiutil resize -size 950g /Volumes/Data/motobook.sparsebundleと入力し、enterキーを押した。

  6. 有効にするために、以下のコマンドを実行する。

    chflags uchg /Volumes/Data/マシン名.sparsebundle/Info.*

    私の場合は、chflags uchg /Volumes/Data/motobook.sparsebundle/Info.*と入力し、enterキーを押した。

  7. 上記のコマンドが実行できたら、System Preferences → Time Machine で、Time Machineを起動する。

上記のコマンドを実行しても、Time Machine で過去の状態に戻れることは確認した。

追記 (2015年2月6日)

今回、Encrypt backups の設定をしていないにもかかわらず、3TBのディスクのうち、設定通り1TBに至った段階で、ディスクがいっぱいになったとのメッセージがあらわれたため、紹介した設定は有効だと認識している。

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OS X Yosemite 10.10.2 にアップグレードして使用している。

追記 (2015年10月11日)

OS X El Capitan 10.11にアップグレードしても、継続して設定は有効である。

追記 (2016年11月11日)

macOS Sierra 10.12 にアップグレードしても、継続して設定は有効にみえる。

追記 (2017年10月01日)

macOS High Sierra 10.13 にアップグレードしても、継続して設定は有効である。 あくまで個人の責任において実施してほしい。

運動会で場所取りする話し

運動会で場所取りする話し

子どもの通っている小学生は、おおよそ600名の児童数だ。 東京の この行政区においては、小学校の平均在席児童数が約410名なので、比較的大きめの学校である。

運動会も、気合いが入っている。 六年生のマーチングバンドも、曲数も多く、音楽や行進の質も高く、感動して涙が出てくる。 四年生の一輪車の演技も、学年全員が一輪車に乗れているだけでなく、息も合っていて感銘してしまう。 それ以外の学年も、力が入っている。 これだけの圧倒的なパフォーマンスを提供されると「うわーっ」としか声が出せない。 どれだけ練習したのだろう。

都内の学校なので、校庭はそんなに余裕があるわけではなく、観戦できる場所が限られている。 カメラやビデオに、自分の子どもの姿を納めるために、朝から場所取りするんだろうな、と思っていた。 しかしながら、下にも赤ちゃんがいるので、朝から場所取りにもせず、のんびり小学校に向かった。 よい場所でのカメラ撮影や観戦は、あきらめながらもだ。

しかし、場所取りをしていないにも関わらず、カメラやビデオ撮影や観戦は、ほぼほぼ問題なかった。 いや、いい場所で観戦し、撮影できた、と言えよう。

なぜか。

簡単なことである。

自分の子どもが出場するときに、親御さんが前に行って撮影し、子どもが退場すると、その親御さんは後ろに下がる。 場所を共有し、譲り合っているから、けっこう一番良い場所は空いている。 その結果、誰もがよく観戦でき、良い写真も撮れる。

下の子どもが前に来たけれど、演技が見えないようだった。 カメラの操作に気を取られていたら、見知らぬ人が「見える?だっこしようか?」と助けてくれた。 ぴりぴりしておらず、助け合っている。

なんで、このようになったのかは、よくわからない。 よく見ると、A4の紙に「譲り合ってください」と書いてあることを発見した。 でも、後ろに貼ってあるだけで、どう見ても目立つ場所ではない。 その場の風潮や文化が醸成されていた、としか言いようがない。

二年間の観察範囲において「これは私の場所だから入らないでね!」と話す人は見たことがなかった。 もし自分だけの場所を主張する声の大きな人がいたら、その場所は変わってしまうだろう。 この譲り合って助け合う風潮や文化は貴重だけれど、もろく壊れやすいのかもしれない。


秋山仁の遊びからつくる数学―離散数学の魅力』では、グラフ理論が急激に発展した原因は、他の分野に比べると非常に家庭的なのアットホームであり、だれが一番貢献したかとか言う争いは止めようよと紹介されていた。 とんでもないアイデアが出てきても、批判せず、どのように改善すれば良いのかをみんなで育てている。

著者順は貢献した人から書くのが一般的であるが、そこでは関係者をABC順に入れるぐらいに徹底している。 みんなを平等の著者として扱うことによって、みんなで成果を共有する。

その結果、そのコミュニティは、数学の、いや、世界の大きなひとつの流れを作り出した。


先日、ある会議に行った。 その場所は、みんなで助け合うことができていた場所だった。 昔、世界を大きく塗り替えるような革新的な成果をいくつも出していた。 世界中のみんなが「当たり前のこと」として毎日のように使っているようなものだ。

そこでは、いいアイデアがあると、それを助け合うようなグループを作り、みんなで育ててレベルアップしていた。 何冊もの本が出ているし、いくつもの世界(分野)が生まれてくる場所だった。

しかしながら、今、その場所は違う。

ある方が教えてくれた。 ほかの人から良さそうなアイデアを聞けば、それをすぐに試してみて、自分の論文として発表するそうだ。 さらに、彼は、すでに発表された論文を読んで「この論文は素晴らしい。自分だったら名前を変えて発表するよ。」と彼は話した。 その後、彼は、その論文を引用せず、アイデアの名前を変え、発表していたようだ。 多くの関係者は、彼の仕事だと思うだろう。

そういえば、別の人もディスカッション中にアイデアに対し「そのアイデアを、あなたより早く論文に書きます」と宣言していたことを思い出した。

彼らの言う通り、この世界は戦いで誰がその場所をとるのかが大切だ。 つまり、場所取りが大切なのだ。 その意見は、おそらく正しいのかもしれない。

その結果、その場の家族のような雰囲気はなくなり、新しいアイデアやコメントを安心して話せなくなってしまった。 助け合う風潮は廃れ、競合し、戦いの場所になってしまった。 ある分野の世界でトップに入るような人は、彼の論文に対するコメントの質の低さに怒り出し、ついには呆れていた。

たまたまなのかもしれないが、ここ最近、その分野は着目されているにも関わらず、革新的で創造的なアイデアはまったく耳にしない。 せっかく素晴らしい人が集まっているのに極めて残念なことだ。

日常生活だけでなく、ビジネスでも学術でもどこでも、場所取り問題がある。お互いを尊敬し信頼し、助け合う風潮は貴重だけれど、もろく壊れやすい


どうやって安心して、意見を出し合い、アイデアや結果を共有し、ゆずりあい、助け合うような文化を醸成し、それを維持するのか。 もし、そのような文化が再び醸成できれば、グラフ理論が世界を大きく変えたように、大きく世界を変えることがいくつもできるだろう。

何はともあれ、自分ができることをやって、自分の道をしっかりと歩みたい。

関連する情報

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追記 (2014/12/31)

関連する情報として秋山仁の遊びからつくる数学―離散数学の魅力 (ブルーバックス)を追加し、それに合わせて本文を修正しました。

なんだか体の動かし方を忘れる話し(身体的な知を獲得する時に混乱する話し)

なんだか体の動かし方を忘れる話し(身体的な知を獲得する時に混乱する話し)

保育園の運動会の直前の事だった(フィクションです)。
先生「お父さん、ごーちゃんのことで…」と話しかけられた。
「はい、どうしましたか」
先生「ごーちゃん、運動会の練習をしているのですが、(運動会の競技の)山登りの最後で登れなくなったのです。」その保育園の運動会の競技で、園児は2メートルぐらいの山に登る。
「(楽しく元気に遊ぶのが好きな先生なので、子どもが)ふざけているんじゃないですか。」
先生「いや、ごーちゃんは真剣なんです。先日まで できていました。怖がってもいないし、その力があるのに、最後はぶら下がっているばかりで…」
「うーむ…確かに、ぼそっと『山登り、できなくなった』って話していました。理由を聞いても『わからない』って」
先生「頑張るように園長先生からも話ししてもらったのですが、最後に足を上げることができないのです(おそらく問いつめるように、その競技を)やるかどうか、聞きました」

ちょっと考えてみよう。


状況

生活や仕事の中で、様々な体の使い方を身につけていく必要がある。 たとえば、子どものときは、言葉を話し方から牛乳の注ぎ方、自転車の乗り方、跳び箱や逆上がりをする。 大人になっても自動車の運転から、習い事をしているなど、様々な場面で、体を使い方を学ぶことは、とても大切な技術となっている。

問題

突然、体の使い方がわからなくなる。 そのときまで、できていたことが、ある瞬間に「抜けた」かのようにできなくなる。

似たようなことは、いくつも経験している。 私自身は、習い事のお稽古を始めた頃、とつぜん混乱してしまい<型>を忘れてしまうこともあった。 むろん、先日までできていた<型>だけど、手や足の動きが崩壊してしまった。

それ以外にも、運転免許を取ってばかりのとき、ハンドルを握ると右も左もわからなくなってしまうことがあった。 ナビがない車に乗っていて、助手席の人に「右に曲がって」と言われても、左にばかりに意識が行ってしまう。 むろん18歳になり自動車運転免許を取得しているので、右も左も、知っている。言うまでもない。 自分でも笑ってしまうほどだ。理由は、自分でも わからない。

これは軽いパニック状態というのだろうか。 自分の体の動きを意識して把握することができなくなる。 特に、慣れない頃の車の運転や、高い所に登ることは、高いプレッシャー配下に置かれると、このような傾向がある。 自分の体が、自分の体ではない気がするのだ。

解決に向けて

  • いつも以上に応援されると気になるだけで、プレッシャーが高くなり、体を使うことができなくなる(応援を力にすることができない)。
  • 同じ難易度のことをしても、体の動かし方を忘れているので、達成できない。
  • 本人なりに高いパフォーマンスを出そうとしているため「やるのか?やらないのか?」などと問いつめると気持ちが折れてくる。
  • 無意識でやっていることが多いため、「なぜ失敗したか」とか言われてもよくわからない。本人がよくわからないのだから、むしろ混乱する。

しばらく同じことを繰り返していても、向上しにくい状態になっている。 意図したように動かそうとしても、思った通りに動かず、いっぱいになっている。 そのように無意識でなされる動きのレベルと、言葉に近いレベルの間で齟齬(違い)が起こっているはずだ。

そのため、意図と体の動きについて差異を見つけ出し、修正しつつ言語などのようなタグ付けをしているのではないだろうか。 このような段階を経て、体を意図の通り動かすことができる。

整理しようとしていることに処理がとられてしまっているのではなかろうか。 そのような時に、他のリソースが発生してしまうと、余計に混乱してしまう。

解決

  1. すでにいろいろと考えている。プレッシャーはかけずリラックスする。深呼吸するのも、手足をブラブラし、脱力するのもよい。そして、手を水平に上げてみる、などの調整を行う。
  2. 安心できる状況を作る。2メートルぐらいの高さがあるのであれば、50センチメートルぐらいの低いところで、安心して試せるようにする。その際、自分や相手を卑下しないように気をつける。
  3. 一つのことだけを意識し、極めて単純な動きだけを行う。たとえば、「右足を上げる」だけの練習をするなど、混乱しにくい状況にする。パニックになっていれば、「右」すらわかりにくいので、動かしたい箇所を触ることなどで、意識を集中しやすくなる。
  4. 感覚が復帰してから、通常の練習に戻る。

ついつい焦ったりしがちだけれど、焦れば焦るほど、時間がかかるようになってしまう。 本人も周りの人も辛抱して待つことが大切だ。 本人も周りも、雰囲気と体をゆるめて取り組もう。

結果(追記)

次の日、子どもが保育園から帰ってきて「(山登り)がんばったよ。先生も ほめてくれたよ。」とニコニコしながら話をしてくれました。


これは、身体的な知に限った話しだけではなく、計算するとか、抽象的な事象にも同じことが言えそうだけど。

父は、子どもが健康であるだけで、ホッとする。 運動会、楽しもうね。

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妖怪セッションを支えた技術:プロジェクトランゲージと未来(フューチャー)パターン

早稲田大学で開催されたXP祭り2014において、妖怪セッションを行った(XP祭り2014:H-4 アジャイルコミュニケーションプログラム1:コミュニケーションの妖怪を召喚であります!~コミュニケーションの問題を妖怪に見立てて解決を探るワークショップ~【ワークショップ】)。 参加してくださった方から評価いただき、ほっとしている。 その妖怪セッション(1)を支えた技術について簡単に紹介したい。


パターンとパターンランゲージ

いわゆるパターンやパターンランゲージは、過去の成功体験を記述している。 たとえば、レビューの方法や考えを広める方法、学習の方法からソフトウェア開発プラクティスなど、様々な工夫や方法がパターンとしてまとめられている。 そのため、成功体験におけるパターン作りは、解決策(工夫)から、問題や文脈を発見することが多い。 パタンの書き方 – はじめてのパタン執筆者のためのラフなガイド | 合同会社カルチャーワークスを用い、Agile Japan 2013 でのプレゼンテーション資料であるパターンライティングワークショップ AgileJapan 2013に作り方が記述されている。

(フューチャー)パターンとプロジェクトランゲージ

プロジェクトランゲージは、その人やそのプロジェクトにおける固有なランゲージ(言語)を、パターンという器を用いて構築する。 そのため、過去の成功体験だけではなく、その環境や文脈固有の現象からモデル化し、パターンを作り出す。 それらのパターンは、可能性のある解決策の集合を持つものの、まだ仮説の域を出ない。 そのため、成功体験を記述した熟成されたパターンと区別するために未来のパターン(Pattern for the future) と名付けた (Motohashi et al. 2013)。 このプロジェクトランゲージは、過去の成功体験であるパターンと、問題解決手法を伴うフューチャー・パターンの両方を用いて構築できる。 プロジェクトランゲージについての概論は、ソフトウェアパターン−時を超えるソフトウェアの道−:4.これからの みんなのことば,みんなのかたち−パターンランゲージからプロジェクトランゲージへ−情報学広場:情報処理学会電子図書館にある。 プロジェクトランゲージは、環境固有であるため、他の環境では役に立たない。

過去の成功体験のパターンと、未来を記述するためのパターンについてのプロセスの違いについては、パターンライティングワークショップ AgileJapan 2013のスライド36を参照にしてほしい。

妖怪セッションでは

パターンの機能のひとつは、ある現象を枠組み(フレーム)を通じて捉えることだ。 その機能を用いて、枠組みを外す(リフレーミング)ための器としてパターンは使える。 妖怪セッションでは、このプロジェクトランゲージやフューチャーパターンを用いて枠組み外し(リフレーミング)を行った。

そのテンプレートは、2013年5月8日にクリエイティブコモンズライセンスで公開しているパタンキャンバス(エッセンシャル版)のテンプレート | 合同会社カルチャーワークス をベースにした。

もうひとつ深層には関連する大切な技術があるのだけれど、それはいつか…。


妖怪セッション(2)を支えた技術についてはAgile Communication Programの記事で紹介している。

では、楽しい妖怪探しを!

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チームの育て方(6):ダブルバインドとの戦い

わかりやすく理解を促すため、具体的な会話を記述した。 もしかしたらプロジェクトや仕事場に類似したケースがあるかもしれないけれど、このシリーズに特定のモデルはいない。


AさんとBさんは、対等な関係性にあるが、Aさんはリーダーになりたいと公言している。 AさんとBさんは、別々のプロジェクトを各々進めているが、Aさんは一緒に仕事がしたい、ということで、どんなプロジェクトにしようか、という話しになった。 そんなときの会話だ:

A「一緒に仕事がしたい。一緒に仕事ができなければ意味がない。」
B「いいよ〜。」
A「何がしたいの?」
B「僕のビジョンは◯◯だから、こんな仕事がしたいんだ…(と詳細を具体的に述べる)」
A「ダメだ、なってない。それは違う!」
B「では、△△は?」
A「興味ない」
しばらく、くりかえし…
B「え…ところでAは何をしたいの」
A「ビジョンを作りたい。まったくビジョンがないからダメだ。だから一緒に仕事はできない!」
B「えっ…」

ふりかえりを経て企画会議になった。

A「抽象的考え方はダメだ。(方法論である)××法とか興味ない。」
B「そうなんだ…(確かに具体的な話しも必要だよな)」
A「で、何がしたいの?」
B 自分の経験したプロジェクトで繰り返し発生したケースで示したあと「これらのケースに共通する根本的な問題を解決したいから、このような戦略をとりたい、こんな効果を期待しているよ。」
A「××で言うとね…」と、その後、専門用語を使いながら指摘を続ける。
B「××の理解が違うんじゃないの?」
A「そんな方法論なんかに興味はない!」
B「では、このケースの問題について、どうすればいいかな」
A 「xxでやるんだ」
B「え?××とか、方法論なんかに興味ないんじゃないの?」
A「実は興味あるよ。」
B「…ごめん、この会議は何だったんだ…すっげー疲れた…」

つまり、Aさんは自分の宣言と言動が不一致なのだ。 抽象度(メタレベル)が違うメッセージにおいて、抽象度が高い会話と、具体的な会話のメッセージが食い違っているから、Bさんは混乱してしまうのだ。 Bさんは、会話が理解ができず、理解のため質問や指摘したところで、Aさんは激しい口調で はぐらかしてしまうため、健全な議論が成り立たない。

それ以外にも、こんな例もある。

A 「報告や相談が足りない!」
B 「◯◯はどうする?(相談)」
A 「自分で考えられないのか!」
B 「えっ…?」
この場合、どうして欲しいのか、質問することが解になるかもしれない:
B「どうして欲しいの?」
A「あなたなら、どうして欲しい?」

のように、要望しておきながら、自分の気持ちを言わない、というのは基本的なパターンで、Bさんは、よくわからない苦しい状態にはまり込みやすい。

メッセージとメタメッセージの矛盾が引き起こす問題

このような状況は、ダブルバインドになっている。定義と内容を見てみよう(Wikipediaより)。

ダブルバインド(Double bind)とは、ある人が、メッセージとメタメッセージが矛盾するコミュニケーション状況におかれること。

つまり、楽しい内容のメッセージを会話で伝えているときに、悲しい表情やトーン等のメッセージを伝えるためのメッセージ(=メタメッセージ)を送ると、受け手は混乱する。 先の例だと、メタメッセージと、矛盾した個別のメッセージをくり返し、受け手は混乱する。 どのように判断していいのか、わからなくなるからだ。 続けていると、自分が自分でなくなるような暗い気持ちになってくる。

理論の内容

  1. 2人以上の人間の間で
  2. 繰り返し経験され
  3. 最初に否定的な命令=メッセージが出され
  4. 次にそれとは矛盾する第二の否定的な命令=メタメッセージが、異なる水準で出される
  5. そして第三の命令はその矛盾する事態から逃げ出してはならないというものであり
  6. ついにこのような矛盾した形世界が成立しているとして全体をみるようになる

という状態をいう。

プレッシャーを与えた上で、メッセージとメタメッセージが異なるダブルバインドをしかけられると、追いつめられたような極めて苦しい心理状況になる。 通常の健康的な思考ができなくなるため、簡単にコントロールされやすい状況に陥ってしまうのだ。

このような症状が現れる。

  • 言葉に表されていない意味にばかり偏執する(妄想型)
  • 言葉の文字通りの意味にしか反応しなくなる(破瓜型)
  • コミュニケーションそのものから逃避する(緊張型)

Bさんは、コミュニケーションをとることを回避するようになったようだ。

自分が持つ盲点や矛盾は自分では気がつかないため、基本的に言動と行動が一致しないことは、仕方ないことと言えよう。 たとえば、目的の大切さを述べながら、目的を大切にできていない、とかもあるだろう。 ただ、立場が異なる場合や、その矛盾点を指摘した瞬間、激しく怒りだすなど健康的ではないことが続くと深刻だ。

ダブルバインド状態に深くおちいると、深い問題を引き起こす可能性が高い。 自分が発したメッセージが、適切なフィードバックが得られないし、自らの行動や思考が停止してしまう傾向にある。

Aさんは、(無意識か意識的かは不明だが、事実として)このような矛盾したメッセージを送り続け、相手をコントロールしやすい状況に持ち込むことができる。 他方、ダブルバインドを仕掛けられた Bさんは、灰色で苦しい日々を送ることになってしまうのだ。 まるで、自分が自分ではないような、とても苦しい気持ちである。

解決にむけて

Aさんにどのような指摘をしても効果がない、もしくは、時間と体力を消費する。 なぜならば、Aさんは「(Bは)なってない」「できないやつだ」などのように、見下した態度で謙虚さを失い、Bさんに対して尊敬せず、信頼していない状態だ。 このような状況に陥ると、BさんのメッセージをAさんは受け取らない。

さらに、この状況下において、Bさんも影響を受け、コミュニケーションが停止し、メッセージを受け取りにくい状態になっている。 お互いの成長が困難になっている。

しかし、このような状況においても、ビジネスの場面において、効果的な結果を出す必要がある。

ダブルバインドの構造を知る

チームで作業しているときに「メッセージとメタメッセージが矛盾するコミュニケーション状況におかれる」ダブルバインドが発生している可能性を知ることは有用だ。 このようなダブルバインド状態では、あたかも自分が自分ではないような喪失感を伴った感覚になり、健全ではなくなる。

ただし、ダブルバインドは成長のキッカケになることさえある。 たとえば、師弟関係のあるときに、その師匠のメッセージは理解できない場合がある。 もしくは、属している文化が違うと、統一的なメッセージであるにも関わらず、それを矛盾なく受け取ることができない。 そのため、ダブルバインド状況であると認識してしまう可能性がある。

ただ、上記の状態も含め、ダブルバインドになれば、健全で対等なコミュニケーションは難しくなりがちだ。 もし可能であれば、チームにおいてダブルバインドについて共通理解を得る機会を設けることもひとつだろう。

矛盾している事項を指摘する

矛盾を感じている事柄について、指摘や質問する。

しかしながら、多くの場合において、隠れたメッセージが「相手をコントロール下に置きたい」であるため、その指摘や質問について真摯に対応され、回答がとられることは少ない。 たとえば、「そんなこともわからないのか」などの見下しから始まり、激怒などの反応を引き出すことさえ多くある。 真摯に応答していれば、相手はダブルバインドから脱して、対等な立場になってしまうからだ。

そのため、指摘が更なる混乱を導くことを理解した上で、体力と時間、優先順位などを考え、矛盾を指摘しつづけることもひとつの手だ。

距離を置いて、健康な状態を維持する

このようなコミュニケーションを続けるためには、体力と時間が必要だ。 場合によっては疲労し健康が損なわれる場合さえある。

自分の健康が保てる範囲を超えていれば、距離を置き、修復を待つことが長期的な視点での効果を得られる選択しうる方法だ。 基本的に、見下し、見下されるような関係性では、議論しても時間の無駄になる。

一方でダブルバインドを仕掛ける方は、自分のコントロール配下に置きたいため、「逃げてはならない」とか「避けられない」などをはじめとする強い束縛を望みがちだ。 距離を置く、という選択をとることが、まずは自分の健康を守ることになる。 時間は限られている。 無駄な時間を過ごすことはない。

自分の感情に素直なままでいる

もしその体力があるのなら、素直な自分の感情に耳を澄ませ、その感情に従うようにする。 批判にさらされながらも素直なままでいるのは体力がいる。 このマイペースで、自分の心のままでいられるのであれば、相手にとっても等しく成長の機会を得られる。

結果

ダブルバインド状態はプライドや個人の思いなどと深くつながりやすいため修復や成長に時間がかかる場合が多い。 健康的な状態を確保した上で、効果的なアウトプットを出すなど、営みを続けていくしかない。 のんびりいこう。

関連情報

妖怪とうまくつきあう(妖怪のしくみ、もんげーずら)

このところ妖怪ウォッチという人気テレビアニメを子供たちと見ることが多くある。 最初、マーケティング手法などが鼻につき、あんまり好きではなかった。 しかしながら、妖怪がいろいろな役割を果たしていることがわかってきた。

問題を妖怪のせいにして主体性を確保する

親が、子どもに怒ることがよくあった。 子どもが食事中に遊んでご飯を食べない、話しを聞いていない、兄弟同士でケンカする…怒るようなネタはたくさんある。 その度に、親は「もーもー」と怒っていた。 しかし、その怒りを表出したところで、残念ながら役に立たないのだ。 そんなとき、その怒っている状態に対し「妖怪モーモー」と名前を付けた。 モーモーは、ひたすら怒っているのだ。

妖怪モーモーが出てきたときは、「おおっ、妖怪モーモーが出てきた」と指摘する。 そうすると、話す相手は親ではなく、取り憑いている妖怪モーモーなのだ。 自分が責められている気がせず、落ち着いてその行動について話しができる。 妖怪とお話しして、気持ちが落ち着いてから、建設的な会話をするのだ。

その後、子どもには妖怪イヤダーや妖怪ボクノモノなど、様々な妖怪が出てきた。 私自身には、なかなか宿題や作業に手をつけない「妖怪 万尾獅子(満を持し)(YW)^1」が出てきたときには、思わず「オレオレ!」と笑ってしまった。 このブログ記事を書きながら、おせんべいを食べようかと思ったけど、「つまみぐいのすけ(YW)が出た」と思って手を止めた。 このように、妖怪はどこにでもいる。

妖怪はどこにでもいるにも関わらず、その行動や問題を指摘しても指摘されても、落ち込みやすい。 特に正論のときは、その指摘事項に対して行動が止まってしまう。 指摘した人と指摘された人は、一時的な敵対関係に陥りやすいのだ。 その結果、その問題に対して効率的な決断ができない。

しかし、妖怪を登場させることによって、自分の行動を客観的に見ることができる。 その行動は、自分自身ではなく、あくまで妖怪がしたことだ。 だから、「妖怪」という問題とすることで、問題に対する私たち、という構造を作りやすい。 その結果、自分の問題に対して、主体的に取り組むことができるのだ。

不明な事象を妖怪にして安心と勇気を得る

科学が発展し、いろいろなことのしくみがわかってきた。 明日、雨が降るかどうかも、なぜ蛍光灯がつくのか、なぜ月は動くのか…。

一方で、日常生活で不明なことはまだ多い。 なぜ親は怒るのか、ケンカするのはなぜ、とか。 そのような不明な事象はある。 さらに、友人との別れや、家族との死別のような悲しいことや、 子どもにとっての暗闇や、自然災害など恐怖などもある。 自分では、かかえきれない多くの、多くの悲しみや苦しみ、恐怖がある。

そのような事象に対して、乗り越えて生きていく必要がある。 問題や感情を含む不明な事象に名前を付け「妖怪のせい」にすることで扱いやすくする。 直面している事象と、それに対する認識や、発生している感情を切り離す動きがあるのだ。

その結果、わからないことや、恐怖や悲しさに直面したとき、頭の中が真っ白になって固まってしまうのではなく、妖怪のせいにすることで、共感し、受け流したり、笑い飛ばしたり、安心し次の行動を引き起こしやすい状況を作る。

そういえば、妖怪ウォッチのオープニングの歌詞は、こんなだった。

予測できない説明つかないことばっか
そんなら未来はもうワクワクでいっぱい

妖怪は、乗り移り、場を作り出す

ある人に妖怪が取り憑くと、他の人にも影響する。 たとえば、妖怪モーモーが親に取り憑くと、子どもにも乗り移り、イライラが伝播していく。 その影響の連鎖によって、場を作り出す傾向にある。 その伝播のスピードは早く、その妖怪に場が支配されてしまうことがある。

逆に、その妖怪の呪縛を解くと、それも連鎖する。 楽しいことも、うれしいことも、連鎖していくのだ。 だから、その場を選ぶか、場に影響を及ぼす覚悟が必要だ。

問題(妖怪)は善意によって発生する

妖怪は悪さをするのだろうか。 たとえば、妖怪モーモーは、子どもにご飯を食べ欲しい(食べて、健康を維持してほしい)という善意から発生している。 妖怪万尾獅子(YW)も、より良いモノを作ろうと作戦を練っている。 妖怪イヤダーや妖怪オレノモノは、自我の芽生えとして成長に必要なことにすぎない。 生きていくためには、雨も必要だけれど、多すぎると洪水になる。

つまり、妖怪は、悪さをしようとしているのではない。 あくまで、妥当なこと(その多くは良いこと)をしようとしているだけなのだ。 ただし、ちょっとその主張や行動が強すぎる、相手の状況やコンテキストに合わないと、問題になるだけなのだ。

だから、あらゆる事象は、善意による妖怪のしわざによる。 ただ、その善意もエゴやプライドが強いと、妖怪になりやすい傾向にある。

問題が発生したとき(妖怪に取り付かれたとき)、その問題は善意をベースにしている、といったん考えてはどうだろうか。 そうすると、多くの妖怪は、消え失せることになる。

妖怪を友達にして、バランスを修正する

このように妖怪は、表面上は悪さをし、感情や問題などの苦しみを生み出す。 これらの妖怪は昇華し、消滅することもあるけれど、多くの場合は消えることはない。 この社会に根強く残ったままだ。

では、その妖怪に対して、どのようにすればよいのか。 友達になるのだ。

たとえば、牛の形をしている怒る「妖怪モーモー」は、草を食べると落ち着く。 その怒りと友達になるためには、妖怪モグモグを召喚するのだ。 落ち着いて水を飲み深呼吸し、それから建設的な話しがしやすい。 その結果、「ご飯をちゃんと食べよう」などのメッセージが持つ妖怪モーモーは友達になる。

このように、その妖怪を消したり、友達になることで、とても成長することが期待できる。

今は、ほとんど妖怪モーモーは出てこない。 出てくる必要さえないのだ。 そして、イラッとしたときは「おっ、妖怪モーモーが来そうだった」と言うだけですむようになった。

ただし距離感を忘れると、妖怪に乗っ取られる

ただ妖怪も万能ではない。 妖怪を使えば、どんな問題でも解決するわけではない。 あくまで適切な距離を置いてつきあう必要がある。

妖怪による健全なコミュニケーション

とかくに人の世は住みにくい。(夏目 漱石

昔も、これからも、住みにくいのは続くだろう。 妖怪はいなくならないだろう。 ただ、少しずつ妖怪ではなく自分自身を取り戻し、 少しでも楽しく、幸せに過ごせたらいいなと思う。

大人でも同じだけれど、特に子どもが、精神的なしんどい苦しみに向き合うためには(身体的な)体力も大切だと実感する。 そういえば、妖怪ウォッチのエンディングテーマ曲は「ようかい体操第一」や「ダンダン ドゥビ・ズバー!」であり、両方とも体を動かす。 子ども達は、よろこんで踊っている。 体を動かして、心身ともに健康になってほしい、というメッセージかもしれない。

しんどいときは、ちょっと妖怪を見つけ、たまには妖怪のせいにして、乗り越えていくのはどうだろう。


2014年9月6日(土)に早稲田大学理工学部キャンパスでAgile Communication Programが、こんなワークショップをやるよー。ぜひ、遊びにきてね!

(この妖怪のスゴさについては2014年8月12日に打ち合わせして、8月15日にプログラムの更新していただいた)。

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追記

  • 友人に教えてもらいました。こちらも参考になります。 『妖怪ウォッチ』が子供社会を救う? ~ 問題の可視化、許しと共存 ~ - Togetterまとめ

  • プロジェクトランゲージやコミュニケーション技術をベースにした 2014年9月6日のワークショップでは、たくさん妖怪を発見することができました。参加してくださった皆様のアンケートや感想によると、とても満足していただいたようで、ほっとしております。どうもありがとうございました。