ari's world

あるかどうかわからないけど、あるみたい。ありがとう。

洋式トイレで男子の尿ハネを減らす方法

日本の家庭で男子は、洋式トイレで立っておしっこをすることが一般的だ。 洋式トイレで立っておしっこすると水滴が飛び散る(尿ハネ)。おしっこのにおいがつくと、トイレが臭くなる。掃除も大変だ。

便器の前に立つ通常の足の位置である。矢印は、足の位置を示している。

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日本人の平均股下は約78cm、便座高さ約42cmとすると、おおよそ36cmの落差がある。12cm以内の位置から おしっこするのがよいとされている(家族が涙!トイレ問題 大解決SP : ためしてガッテン - NHK)ので、成人男子が洋式トイレに立っておしっこすれば、水滴が飛び散る尿ハネが当たり前だ。

ただし、座ってトイレをすると、ズボンを下ろす必要があり、少し面倒くさい。プライドが傷つく人もいるかもしれない。

そこで、前開きの下着を履いている場合、構え(立ち方)を変えることで、12cm以内の距離を実現し、尿ハネを減らすことを提案したい。

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左右対称であるが、左足前の例を示す。

  1. トイレタンクの近くまで、左足を出す。左のヒザを90度近くまで曲げる。
  2. 目安としては50cm程度、右足の位置を下げる(身長170cmの筆者の場合)。かかとはつけたままで,右足の指先を30度から45度ほど外に向ける。
  3. 必要と思われる位置まで腰の位置を下げる。
  4. 尿ハネが少ない、手前を狙う(家族が涙!トイレ問題 大解決SP : ためしてガッテン - NHK)。

その結果、便器の高さまで約10cmの距離を実現でき、座った状態とほぼ変わらない。距離が短いだけあって、尿ハネも少ないようだ。

これは空手の「前屈立ち」を参考にしている。体勢がつらい?稽古であります、押忍。

頭の中の小人たち(どのように考えているかのメモ)

頭の中の小人たち(どのように考えているかのメモ)

頭の中のアレクサンドリア大図書館の話(認知特性について) - 成人発達障害当事者のブログ | decinormalが興味深かった。この投稿は、Twitterでコメントを書こうとしたら、意外にも長くなってしまったのでブログ記事にした。

私的なことなので、違う考え方が適切なのかもしれない。ただ、この文章は、文献や他のページをまったく見ずに、自分の中の気持ちを探りながら書いてみたほやほやのオリジナルである。科学的観点から遠いだろうし、ツッコミどころはあるだろうが、暖かく見守っていただけたらと思う。なにせ自分自身ですら確信がないのだから。

NLP神経言語プログラミング)の代表システム

NLP神経言語プログラミング)にコミュニケーションで意思疎通を行う際にどの感覚が優位かを判断する代表システムがある。Visual、 Auditory、 Kinesthetic (VAK:視覚、聴覚、体感覚)のどれを優位に使っているのかを判断するモデルがある。

私自身は、身体感覚(K)優位のようだ。そのため、理解に時間がかかるものの、大枠の理解が得意である。むろん入力をもとにどんどん変わっていくが、一度理解したら(入ってきたら)たいていのことはブレが少ないようだ。

視覚の認知は少し弱めである。例えば、人の顔をきちんと覚えていることが苦手だ。判別の方法は、その人のかもしだしている雰囲気としか言いようがない。なので、映画を見ることは苦手だ。雰囲気が変わると、同じ人かどうかがまったく判断できないから、物語がわからない。

聴覚(聞くこと)の認知は、もっと弱い。時間とともに過ぎてしまうのが特に苦手だ。きちんと理解した時や、質問が明確になった時には別の話題になることは多い。

練習するように身体感覚を身につける。あわてずじっくり熟成するのを待つのが良さそうだ。

頭の中の空間と位置

decinormalさんの場合:

何か知りたいことがあると私は頭の中のアレクサンドリア大図書館に行く。すると、目録カードのみっしり詰まった棚のいくつかがひとりでに開き、そこから該当の情報の書かれたカードが飛び出す。

私の場合も、同じように空間や場がある。これは物理空間(の理解)とは違うが、うまく表現できない。色もついてるか不明だけれど、近いと遠い、強いと弱いはあるように感じる。図書館とも違うが、似たようなものを表現しようとしているのかもしれない。

その空間や場には、位置がある。その位置では、勝手に何かやっている。記憶や言語、連想や風景、匂いや音などがごちゃごちゃにある。その位置が活性化され優位になって、場や空間を支配する感じだ。絶対座標ではなく、相対座標に近い気がする。

この複数の位置で、同時に別々のことをやれるので、マルチタスクは普通にやっていた。10年ぐらい前は、五つぐらいの仕事や作業は同時並行が可能だった(その代わり、体力を使う)。考えることについてのコンテキストスイッチ(作業切り替え)のコストはあまり気にならなかった。むしろ複数の仕事をやっていた時は飽きず、アウトプットの量も質も良かったように思う。特に、その位置や場を活性化するのに時間がかかるだけに、複数の位置がアクティブなのは問題なく効率よく進められる。ただ、似ていることは同時にできない、近すぎてしまって混ざってしまうからだ。

記憶のされ方

記憶も位置にある。自分の空間の中にある、位置(人)は、たいていの場合、物語(ナラティブ)や論理、出来事(イベント)がごちゃまぜに入っている。連想できるが、連想とは限らない。時系列に近いことも多いが、そうでもない。なんとなくある、としか言いようがない。

本などの知識は、その位置に行くと、本の内容、その時の匂いやページなどがごちゃまぜに入っている。記憶にあるうちは、ページ番号を見ていれば、ページ番号も合わせて、もう一度読むことができた。要約している場合は、その要約した概念もある。

理解しやすいこと/理解しにくいこと

身体感覚による理解は、身体の感覚だけに言葉にならず、説明が難しい。文章や絵にするなどの表現をしようとしても、適切な言葉や構図を選び出すことが難しい。

数学や古典などは理解しやすい。仏教の古典の蛇や犀、牛飼いや、よくできた数式は、理解に時間がかかるけれど、鳥肌が立つように体感覚として理解した(入ってきた)ことが何度かある。

逆に、矛盾した主張をしている場合、その主張がまったく理解ができない。距離が離れすぎていて、体をどこに置けばいいかわからないし、ひとつのことをだと認識が困難なのだ。たいていの場合、矛盾しているときはそのままにしておくのだけれど、「俺ってすごいんだぜ」的な相手のエゴが気になる時、そのエゴがこちらに入ってくるのが気持ち悪い。

抽象化マシン:お仕事する位置たち

理解の方法は、いくつかある。たいていは位置に紐づけられているのだが、機能に結びついているので「マシン」と名前をつけてみた。仕事のような場面で話を聞く時によく使う抽象化マシンを紹介したい。抽象化マシンは、1. データをインプット 2. 解釈/抽象化マシン 3.アウトプットの流れで使う。

  1. データ(記憶マシン): 連想が強い場所に行く(もしくは、優位になる)感覚である。例えば、ランチ(麻婆豆腐)を食べに行った時の位置に行くと、食べたおかず(映像)や匂い、音、話した人の雰囲気、風景などの連想の塊がある。
  2. 抽象化マシン: データの意味や内容を理解する。ある関心をベースにノイズを切り取って、他のデータを探しながら整合性のある概念を得る。「それって、○○ってことなんだ」と感じる(ただし、言葉ではなく概念のままのことが多い)。
  3. アウトプット(言葉探しマシン): 理解した概念にふさわしい言葉や図を探す。実は、ここがいつも難しい。例えば、辛いものを食べる喜びは、麻婆豆腐の辛さなど複雑になった味と、その中に旨みを見つけた時の喜びもあるのような言葉である(うまく表現しきれていない)。

このような抽象化マシン以外にも、具象化マシン、連想マシン、意味発見マシン…などがお仕事している。このマシンは、学習することが可能で、獲得すると色々使える。

普段は、これは抽象化マシンを使おう、というように使うのではなく(普段は、名前も住所もついていないしね)、ウロウロしていると丁度良いマシン(位置)に出会う感じである。一度、その抽象化マシンを使うと、その抽象化のプロセスと一緒に、その位置に紐付けられるようだ。

言葉さがしと表現

言葉さがしは、難しい。なかなかピタッと はまる言葉は見つからない。特に体感覚優位なので、その言いたいことと言葉との距離が遠いことが多いからである。(別の位置にある)社会性や場の空気、相手と自分の良いところも入るので特に難しくなる。

自分の場合、極めてわかりやすい表現だと思っても、なかなか難しい時もあるし、わかりやすい、と言ってくれる人も一定数以上いる。アウトプットには翻訳のような努力が必要だ。単語がない時は、状況や背景を説明したり、定義したり、いろいろ試している。ただ相手の話すことに聞くことに注意しながら、ゆっくりやっている。

他人の位置

自分の空間/場に、他人が入り込むこともあり、その人がどのように考えているか、その思考の順番や視線の位置が手に取るように感じる。その時、その人の具体的なアウトプットは予測不可能だけれど、枠組みとしては外れていないことが多い。

普段、他人の感情的な部分は極めて弱い、いや、弱めている。相手の場所に自分が行く(相手が入ってしまう)と、共感しすぎてしんどいからだ。怒っているかどうかなどの共感はすっぽり抜け落ちている。

自己同一性(いつも自分は変わらず、一緒の自分であると感じること)は強くなく、ゆるい感じだけど、安心感はある。

マインドマップは苦手(KJ法は得意)

マインドマップは、苦手である。「とりあえず100枚マインドマップを書け」と書いてあったので書いてみたけれど、馴染むことができなかった。結局、単語や文章の羅列に線を引く形式に落ち着いている。

普段、私の考えるプロセスは、1. 具体的な話や経験をインプット(記憶マシン) 2. 抽象化や内容理解、カテゴリが決まる(抽象化などの処理マシン) 3. 文章や図、話などにアウトプットする(言葉探しマシン)である。

いろいろ書いてから、それが整理されて、何者かがわかるのだ。マインドアップの場合、中心から発展させるので、記憶マシンの経験が歪められてしまってナチュラルな記憶にならないのだ。結局、納得できるようにならない。

逆に、記憶マシンから言葉探しマシンを使って出力した後、抽象化マシンや論理マシンを使ってまとめ上げた方が、自分でも発見することが多く、納得できるので、KJ法と、そのプロセスの方がしっくりする。

年をとって

このところ、いろいろなことを忘れるようになった。同時実行なんてとても無理。ひとつのことですら精一杯だ。なんて幸せなんだろう。

とりあえず、感じるままに書いてみたが、本当なのかよくわからない。たとえば、便宜上書いてみたののの「頭の中」かどうかも検討が必要だ(なんとなく頭の中だけじゃない気がするのだ)。もっと広がりがあるようなので、いつか言葉にしたい。

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ゲームと学びと子どもたち(2): ゲームをすること(ゲームに熱中し冷めるポイントとその過程)

ゲームと学びと子どもたち(2): ゲームをすること(ゲームに熱中し冷めるポイントとその過程)

  1. ゲームの体験:ゲームを体験し、よかったことと気になること
  2. ゲームをすること:ゲームに熱中し冷めるポイントとその過程(本記事)
  3. ゲームからの学び:マーケティング、執着と物語
  4. ゲームと学びと子どもたち:ゲームとうまく付き合うパターン

本記事では、ハマりやすく中毒性があるゲームに、なぜ熱中し冷めていくのかその過程を考えてみた。自分自身のゲームを通じた経験をであるため、ひとつの事例として紹介したい。これからも検証しつつ更新したい。

  1. なぜゲームにハマるか。
  2. ゲームから醒める理由。
  3. ゲームに熱中する過程、醒める過程。

なぜゲームにハマるか

よくできているゲームは、自然と引き込まれ熱中するように熱中する。その熱中していく過程に、どんなポイントがあるのか気づきをまとめた。

  1. 新たな視点(世界)を知る
  2. ルールや制約の中で創造性を発揮
  3. 成長を感じる喜び(小さな成長)
  4. 困難を打ち負かす気持ちよさ
  5. チームで作業する喜び
  6. 習慣の力(中毒性)

新しい視点(世界)を知る

新しい視点(世界)を知ることはワクワクする。普段、何気なく歩いている場所が、イングレスによって目印がつき、色鮮やかにリンクやフィールドがある、とは知らなかった。今いる場所がどんな色になっているのか知るだけでもワクワクする。私が子どものころから、上野、新宿や池袋のような人が集まる場所は、なんらかの物質やエネルギーの「場」ようなものを定義し計測できるのではないか、と想像していて、それを体験し検証する機会にもなっている。

ゲームの世界の中で創造力を発揮

ゲームのルールや制約を学んでいく。始めてからゲームそのもののルールをおぼろげながら知る。たとえば、味方の地点同士を結び自陣を確保できることを知り、身近なところで試してみる。最初は小さい面積ながら自陣が確保できた。次にもう少し広めの面積を確保を考えて試してみる。ゲームする上での制約には時間や体力などのリソースや、家族や友人などの関係性、活動できる場所などがある。たとえば、一般的な勤務体系であればゲームをする時間は業務時間外や休み時間である。家族や友人関係も制約とするかは選択がせまられる。

ルールや制約の中で創造性を発揮する。だんだんと面白くなってきたので、街全体がスッポリ入る作戦を考えてみる。タイミングのよい時に自転車に乗り、邪魔になるリンクを消して街を横断するような自陣を作ることや、敵陣や自陣の行動を読みながら、攻撃に強い陣形や、同じ空間でポイントを稼げる(密度が高い多重構造)などを試すようになる。 このような作戦は時間がかかるため、少し早めに家を出て通勤時間に組み込んだり、効率よくポイントを稼げるコースをかんがえる。

このようにルールや制約を学びながら、その中で創造性を発揮することはワクワクして楽しい。

成長を感じ達成する喜び

イングレスをはじめ、さまざまなゲームはレベルの概念を取り入れている。レベルがあがると持っている武器の火力が高まり、射程距離が広くなるなど、できることが多くなる(ただし、イングレスではレベル8以上は同じ火力や射程距離になっている)。レベルアップのためには、ポイントを貯めメダルを集める必要があるため、その目標に向けて進むことが多い。また、武器などの在庫を増やすと強い敵にも立ち向かうことができる。その結果、今まではできなかった困難を克服することはうれしい。レベルアップや困難な地点を攻略するなどの目標を達成し、成長を実感することは、小さな卒業式のような喜びを感じつつ、次に向けて進み出す。

困難を打ち負かす気持ちよさ

敵が設定した高いハードルを打ち負かすことはスカッと気持ちいい。たとえば、イングレスの地点にはシールドと呼ばれる防御力を高める仕組みがある。なかなか足を運びにくい地点に防御力の高いシールドが設定されていると攻略しにくい。さらに、リンクやフィールドを持つ地点を攻撃すると反撃される。特に集中している地点があり、そこを攻略するためには時間がかかる。そのような困難な状況を打ち負かし、その世界へ自分が影響を与えられるのは気持ちよい。

チームで作業する喜び

他人とネットで繋がるゲームの場合、同じチームの人と力を合わせられる。たとえば、ひとりでは攻略が困難な地域も、数人が集まって一気に攻撃するとたやすく落とせる。明示的にチームを作らなくても、いつも同じ顔ぶれで行動パターンが読めてくるので、なんとなく補強するなど共同できる。さらに、わざと弱い地点を作っておくとお互いに容易に攻略でき、高い点数を稼げるなど、何気なく敵チームとさえも力を合わせられる。

習慣の力(中毒性)

日常のリズムにゲームが組み込まれると習慣になってしまう。スマートフォンのお知らせ(notification)がでるので、現状はどうなっているのか気になってしまう。ゲーム画面を開くと「ちょっとこの辺りは美味しい(高いポイントが得られそうだ)」とか「ここは強化しないとダメだな」などのように思い、ゲームを始めてしまう。一旦ゲームを始めると次から次へと攻撃範囲を広げたり、より強化したりと ゲーム時間が延びてしまう。

その結果、歯を磨かないと気持ち悪い、顔を洗わないとすっきりしないように、ゲームが気になってしまい習慣になってしまうとやめることは困難になってしまう。その結果、さらにゲームに熱中し、中毒のスパイラルに入ってしまう。

このようにゲームは楽しいため、どんどんとハマり、抜け出すことが困難になってしまう中毒性がある。

ゲームから醒める理由(仮説)

ゲームをやめる、もしくは、クールダウンするのには複数の理由がある。しかし、私自身はまだ経験していないため、仮説としていくつか紹介したい。

  1. 環境的要因: 家族や友人との関係や業務多忙など さまざまな環境的な要因によってゲームを継続することが困難になることはよくある。
  2. 達成しきる: 自ら決めていた目標を達成することで、燃え尽きたようにゲームをやめてしまう。
  3. 興味の移行: 他のゲームなどに興味が移ってしまうと、そのゲームをやめてしまう。私自身は、ごくたまにテトリスをやっていたが、イングレスを始めてからほとんど起動することはなくなった。
  4. むなしさを感じる: イングレスをやらずとも日は登って朝は来るし夜も訪れる。イングレスで自陣を広げたところで、ゲームを閉じれば、それとは関係なく世界は歩んでいる、何も変わっていない。私自身、初めて自宅でゲームをして感じたことがむなしさであった。
  5. 義務感を感じる:ゲームは、主体的に自分の意思で楽しむものだ。自分自身でも周りからも義務感を感じると途端にシンドくなり、継続の意思が消失してしまう。

ゲームに熱中し、冷める過程

ゲームに熱中し冷める過程を一般化はできないが、私自身の感覚も含め、よく目にする過程をたどることが多いようだ。あくまでひとつのケースとして、その過程を考えてみたい。

  1. ゲームに始めた最初は、一気にハマってしまう。特に他のゲームにハマったことがないので、ハマることに対する耐性がないためか、もともとハマりやすい性格なのかは不明だが、昼夜を問わずゲームのことをかんがえるようになってしまう。
  2. しかし、家庭や仕事など他の要因によって、ゲームを続けることが困難になる。たとえば、配偶者への関心減り質が悪くなり、コミュニケーションの量が極端に少なくなると、配偶者から問題提起がされる。そのような状況になるとゲームを続けられなくなる、もしくはゲームの時間が極端に減る。場合によっては、やめてしまうこともある。
  3. 発生した問題を解決、もしくは解消することによって、新たなペースでゲームを楽しむようになる。たとえば、家族への関心が減ってしまった場合、家族と一緒にゲームをする、もしくはゲームの実態を調べるためという理由を伝え家族と一緒にゲームから得られた知見を話し合う(筆者のこと)などのように問題を解消し、継続して楽しむことがある。

人によっては、熱中している期間が長い場合もあり、一生を通じて熱中しているケースもあるだろう。逆にすぐに他の関心に移るケースもあるかもしれない。個別性を持ちながらも 大きな流れとして似たような過程を経ているのではないだろうか。

「ゲームをすること」の応用

プレイヤーが熱中し、それが継続できるように注意深くデザインされていると感心することがある。たとえば、イングレスでは、ある地点から補給する回数が限られているため、プレイヤーは一点に止まらないよう移動するしかない。レベルアップによってできることが増えるが、イングレスではレベル8になると頭打ちになってしまうため、チームワークや戦略を考えてゲームを楽しむようになる。メダル獲得によって、歩く距離やいろいろなところに足を運ぶようになっている。このようにゲームを楽しめるよう注意深く設計されていることがわかる。

「ゲームをすること」に通じて、子どもが勉強や学習などに応用できる。よくよく考えると学校での勉強も同じような構造を使っている。問題集やテストでは、困難を打ち勝ち成長する喜びを実感できる。しかし、あまりに成績が悪いとその仕組みが働かず、継続した学習が困難になってくる。そのようなときは、学習できていないことを探し強化しつつ、継続して学習できるようにチームやペアでサポートできる体制作りや、学習についての習慣を検討できるだろう。

「ゲームをすること」の本質

ゲームで遊ぶことからも、学べ、いろいろと応用できることがわかる。たとえば、日常生活をゲーム化することによって、生活習慣を身につけることもできるだろう。たとえば、二歳児がトイレの仕方を学ぶときもシールや印をつけると、トイレに行くことが楽しみになり、それがあたりまえの習慣になる。そして、食事の習慣など次のゲームに移行すれば良い。このようにゲームで遊ぶことを応用すれば、実生活でも役にたつ。

これはゲームで遊ぶことから学ぶことも、生活から学ぶことも本質的には同じことかもしれない。ただし、評価される対象や効果(環境的要因)が違う。ゲームで勝利した時に周りからの評価が、もし他のプレイヤーからの評価が高くても、ゲームを知らない家族や仕事場での評価は低い。逆に、どんなに仕事や家事をしていても、他のプレイヤー間からの評価は低くなるだろう。どこから評価されるかを考え、自分で選択する必要がある。

このように、よくできたゲームは楽しく熱中するものの、その行為を評価し、どのように選択していくのかが大事である。

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ゲームと学びと子どもたち(1):ゲームを体験する

ゲームと学びと子どもたち(1):ゲームを体験する

普段ゲームする経験がほぼない筆者がゲームをやってみた。なぜゲームをやってみたのか、その経験からなにがわかったのか、どうすればよいのか、現時点でわかったことを紹介したい。

本記事は、4回+αの予定である。

  1. ゲームの体験:ゲームを体験し、よかったことと気になること(本記事)
  2. ゲームをすること:ゲームに熱中し冷めるポイントとその過程
  3. ゲームからの学び:マーケティング、執着と物語
  4. ゲームと学びと子どもたち:ゲームとうまく付き合うパターン

はじめに(問題意識)

ゲームにハマっている子どもが多い。近所の公園で集まって、ゲームしている子どもたちを見たことは衝撃だった。子どもたちは、ボールや鬼ごっこなどではなく、公園で静かに黙ってゲームしているのだった。電車でもスマフォを使ってゲームをしている人が多い。

ゲームは、何がこんなに面白いのだろう、何でみんなやるのだろうか。その影響はなんだろう。私自身、ゲームをしたことがあるが、ハマったことをすでに忘れてしまっている。子どものころ、隣人からゲーム機をもらったものの、最初のゲームで虚しさを感じ、やめてしまった。その後、テトリスやカードゲームを時間のスキマにやってはいるものの、ゲームに熱中することはあまりなかった。

子どもたちがゲームにハマり、それについて考察するためには、自分が経験することが一番だ。真性ではないため、究めるまでハマることは困難ではあるが、自分なりに経験することはできる。

  ゲームをやってみた(イングレス)

SNSを通じて面白いと聞いていたイングレス(Ingress)を友人の勧めもあり試すことにした。その友人は私を招待し、丁寧に説明してくれた。

その後、イングレスには、年齢制限があることを知り、子どもはイングレスをプレーすることができない。しかし、子どもがイングレスができない前提を置きながらも、ゲームをする経験の共通性はあるだろう。

イングレスは、"スマートフォン向けの拡張現実技術を利用したオンラインゲーム・位置情報ゲーム ^ingress_wikipedia"である。参加者が申請し、承認された文化遺産や公共機関などのポイントがGoole Maps上に表示される。その2つのチームに分かれ、そのポイントで囲った面積の大きさ(正確には人口の多さ)を争うゲームである。そのため、実際の場所に行って、その地点を奪い合ったり、補強助け合ったり、さまざまなことを行う。

友人の招待で、ゲームがインストールされ、やり方を聞いたものの、あんまり面白くない。単純にその場所に行って補給することを淡々とこなしていくだけである。その友人にも「つまらないから辞めるね」と話して、ゲームを起動することはなかった。

数ヶ月はたっただろうか。たまたまゲーム画面を開いてみた。面白くなったのは、味方のポイント間を結んだときだ。かっこいい音と共に、自分の場所からすーっと線が伸びる。その線で三角形を囲い陣地を獲得できると、真っ黒な地図上に味方の色が広がり気持ちよかった。

イングレスは、敵味方の行動がログとしてわかるようになっている。だれだれが、どの場所を攻撃した、またリンクを張り自陣を広げた、などのような行動がわかるようになっている。街中でゲームしていることがわかると、声をかけられることがよくある。味方チームと何度か声をかけられ、情報交換や部品交換なども行われる。敵チームのプレイヤーに声をかけられ、最初は攻撃的な態度であったのだが、あまりに素人だと思ったのか丁寧にゲームの仕方を教えてもらった。

そのうちに自分の陣地を広げるために、地図を見ながら作戦を立て、実行する。たとえば、弱い陣地の取り方がありそうであれば、その弱点に着目し、改善するプランを作ってみるなど創造性を発揮して、ワクワクしながらゲームをしていた。他にも、レベルを上げるため、ポイントやメダルをどのように取得するのか考え、他のメンバーが動きやすいように手配するのも想像力を発揮できて面白い。

この記事は、イングレスのレベル8を取得した時に書き始め、その後もレベルがあがった。レベル8は、空手で初段の黒帯、スキー(SAJ)で一級のような、本当のゲームが始まるスタート地点と言われている。まだまだこれからではあるが、ひとまず現時点の気づきを記録している。

よかったこと

イングレスを起動すると見慣れた土地が色づいてみえ、わくわくする。イングレスのキャッチコピーであるThe world around you is not what it seems.(あなたの周りの世界は、見たままのものとは限らないのとおりである。

イングレスは、いろいろな場所にある文化やものに気づくことができる。地元でも気がつかず知らない公園や神社仏閣を知ることができた。子どもと公園めぐりをして楽しんだり、地元の神社仏閣をめぐって歴史を感じることができたのものゲームをしていたからだ。新しいレイヤーを通じて世界を見える気がしました。そして、自分の歩いている土地に興味が湧き、少しだけ好きになることがあった。

地図上のポイントを歩き回るので、多少的にも健康になったようだ。基本的に、その登録されている場所に足を運ぶ必要があり、ゲームをしながら数時間歩くこともある。敵の攻撃を受け、自陣を壊される前に走って移動することもあった。その結果、体を動かすことが少ない時に比べて、体重が減り、太る前のズボンを履くことができた。少し日焼けし、少し健康的になった。

イングレスは仲間ができる。一定レベルに上がることによって、攻撃力や防護力などが強化されるため、レベルアップに専念する人が多い。紹介してくれた友人がレベルアップに付き合ってくれた。さらに、その友人の勧めもあり、自分チームの地元チャットルームに参加することになった。そのゲームの特性により、ご近所さんが増えたようなものである。食材が余ったと聞けばもらいに行き、あまった食材をもらったり、ゲーム上の部品が余れば不足している人にあげに行く。困ったという地域があれば、何気なくテコ入れをするのように力を合わせる。歩いていると友達と出くわして、いろいろ話す楽しみもできた。

実際の場所に足を運ぶ必要があるため観光や商業施設の宣伝になる。神奈川県横須賀市は、イングレスのユーザー向けに無人島のフェリーを半額キャンペーンを実施した^sarushima。地元にあるクレープのお店は、いつも安定した高いレベルを維持していることもあり名前が知られ、定期的にクレープを食べた報告がなされている。

よかったことのかわりに

ゲームは時間を消費する。歩いて15分程度の距離を抜けるのに一時間ぐらい経過していることはザラである。ちょっとのつもりでも長い時間が経過している。イングレスの時間をあらかじめ見積もっておいて、その中で楽しむようにする。しかしながら、よくあるようにその見積もりはよく超過するし、そもそも予定した時間を過ぎていることすら忘れてしまう。他の人でも、たまたま休みなのかほぼ終日ゲームをしているようなでもあり、時間をかけている。

ゲームは手間がかかり、気が取られる。何かほかのことをしていても、自分の地元など気に入った地点が攻撃されると通知が来る。そのため、他のことに集中しにくくなり、自分の地点に強化するなどに取り掛かってしまう。一度、ゲームを起動すると、ほかの地点を補給なども気にあり手を入れたくなる。さらに歩きながらスマフォを触るようになる。家族と一緒にいても、地点が近づくとゲームを立ち上げ、攻撃や強化を行う。都心は地点が多いため、スマフォをしまうことがなく継続的に操作することになる。そうなると、歩きながら常時スマフォを立ち上げ、ゲームし続けるようになってしまう。

家庭の危機や衝突を引き起こす。子どもを自転車に乗せながら、もしくは一緒に歩きながらイングレスをすると子どもが待つことになる。当たり前のことであるが、子供は待つのはシンドイので苦情が頻発する。敵の急襲を受けて家を飛び出すと家族からは不審がられる。家族との衝突や調整は、仲間うちではよく話題になる。夫婦や親子でイングレスをやっているケースも、この調整の一環となっている。

FacebookTwitterなどをはじめとする他のSNSやメールを見る機会が激減した。もともと関心が薄いためか、SNSへの敷居が高くなり「よいしょ」という感じで、アプリケーションを起動する。ゲームに集中していると仕事や恋愛、友人などへのほかの関心が相対的に減ってしまう。これは全体の関心が一定で、あることに関心をもつと相対的に他のことの関心が減ってしまう(「関心一定の法則」と名付けている)。

イングレスは攻撃や構築、補強などのログがすべて公開されているため、実生活のリスクが発生する。そのログを見ると、いつ誰がどの場所にいるのかわかってしまう。敵陣営のある人は、攻撃通知を受けるとすぐに自転車で駆けつけて復旧させてしまう。私自身にも何度か声をかけて「お前は嫌いだ」「ふざけんじゃねーよ」などと攻撃的なセリフを吐き続ける。嫌いだ、と伝えるためにわざわざ丁寧なやつ(迷惑なやつ)である。他のメンバーも被害にあっているらしい。ごくごく一部とはいえ、恫喝(どうかつ)やつけまわしなどの事件も起きているようだ。

神社仏閣や閑静な住宅地などにできた場所が登録され、イングレスのために人が訪れることで、近隣の人が迷惑に感じる事例も聞く。公共の場所しか登録できないが、深夜も含めて多くの来訪者に地元の人が驚いて反応してしまう。イングレスで遊ぶ人が増えたため、このようなローカルな社会的な問題も発生している。

まとめ

ゲームを楽しむことは、それなりの時間を消費し、リスクもある。それらのマイナス要因をコントロールする技術や習慣が大切なことがわかった。

よかったこと

  1. イングレスを起動することによって見慣れた土地が色づいてみえる。
  2. 場所にあるに気づき、文化を知り、その土地が好きになる。
  3. ゲームを動機として、たくさん歩くことで健康になる。
  4. 出会うことで仲間や友達ができる。
  5. 観光や商業施設の宣伝になる。

気になること

  1. 熱中するようにできているため、時間を浪費しがちである。
  2. 手間暇がかかり、ほかへの関心が減ってしまう。
  3. 家庭内の問題や衝突が発生する場合もある。
  4. 敵陣営の人から付きまとわれるなど、実生活のリスクが発生する場合もある。
  5. 多人数で閑静な場所に訪問することになり、社会的な問題が発生することもある。

謝辞

  • イングレスを教えてくれた友人に感謝する。
  • 敵チームでありながら、攻撃的な声掛けながら、いろいろ教えてくれた方に感謝する。実質的なキッカケになった。
  • 地元のコミュニティのみなさま、声をかけてくれた方々、ゲームを通じて助け合ってくれている皆さまに感謝する。とても刺激的な時間を過ごしてます。
  • 何よりも あたたかく見守ってくれた家族に感謝する。

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ジャムおじさんがパンを作るために、バイキンマンの力が必要だった(ウソツキクラブのアンパンマン7)

子どもたちが寝るとき、いろいろなお話をする。 よく話していたネタを少しだけ紹介する。


パンを作るジャムおじさん

パンを作るジャムおじさんは、年に数回バイキンマンとこっそり会う。 バイキンマンは、ジャムおじさんに助けてもらったので、断ることができない。 バイキンマンは、友達のかびるんるんを一緒に連れていく。かびるんるんは、バイキンマンの仲間で、食べ物をダメにしてしまう。

ジャムおじさんは、特別の服を着て、特別の部屋にバイキンマンを迎え入れた。 ジャムおじさんは、注意深く お気に入りの かびるんるん を探し、取り出した。 「おーよしよし、これからもよろしくな」と、取り出した かびるんるん に声をかけた。 かびるんるんは、さらに奥にある特殊な暖かい部屋に連れて行かれた。どんどん仲間が増え、部屋いっぱいになったころ、ジャムおじさんは「よしよし、このぐらいで良いだろう」とバイキンマンに話した。

この選ばれたかびるんるんは、パンを作るときに一緒に仕事をする。 小麦粉やお水などと一緒に入り(アルコールを作りながら)膨らませるのだ。 そのため、ジャムおじさんのパンはふっくらと美味しく食べられる。

バイキンの中にでも、役に立つバイキンがいるのだ。

アオカビのお話

このところ見なくなった(これはこれで問題?)だけれど、パンやお餅はカビることがある。これはかびるんるんの仕業だ。 カビは、見た目で気持ち悪いし体に悪そうだから、外して食べることが多い。

でも、このカビは、チーズをおいしくしたり、お薬(抗生物質)になったりする。 だから、このかびるんるんは、人にも役に立つんだよ。

納豆のお話

稲のわらに、たくさん住んでいる菌のひとつは、大豆をおいしくするんだ。これは、みんなが大好きな納豆を作るので、納豆菌と言われている。

バイキンマンも大切な仲間

バイキンマンやかびるんるんも人間に悪さをするのも多いけど、人間の役に立つこともある。 人間の都合だけで決めているだけだ。 だから、バイキンマンも一緒に住んでいる大切な仲間なんだよ。

バイキンマンや大切な仲間たちのおかげで、僕たちも元気に楽しく生きている。ありがとうバイキンマン


大人の方へ:2歳児(当時、今は3歳になりました)にわかりやすい表現を優先するため、ここでは、バイキンやカビについて厳密で正確な定義に従わず、ウイルスやカビも含めた極めて大雑把な分類を用いています。成長に応じて、一緒に勉強していこうと思っていますので、ご了承ください。

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アンパンマンは、みんなの味方だ。 おなかを減らした友達を助けるときは、自分の顔を傷つける。 今回も、アンパンマンに助けてもらった。

もし電車やバスで泣いたりグズっている子どもを見かけたら

電車やバスで子どもが泣いたり ぐずったりしているとき、お母さんやお父さんは、もう大変です。あやしたり、怒ったりしても、子どもは泣きやみません。いくら注意しても叱ってもあまり効果がなく泣きやみませんし静かになりません。電車に乗って飽きている子どもに「静かにしなさい」とか「それダメ」と聞いても、心に響かないんです。静かにすることに関心を続けることは難しいことですから。現在の大人でも難しいのに、まして子どもにはもっと難しいです。

このような小さい子どもを持つ親御さんに 周りの人から「静かにしてください」と言って迷惑そうな雰囲気をかもしだしても、たいていの場合、効果はありません。むしろ親御さんの気持をいっぱいいっぱいにするだけなので逆効果になります。気持ちに余裕がなくなれば、子どもが暑がっているのか、それとも眠いのか、飽きているのかさえ、親御さんはよくわからなくなります。

電車やバスなどの公共の場所で、子どもが不機嫌なときは、ちょっとだけ別なことに関心をもたせます。 飽きや苦痛を弱めることによって静かな時間や楽しい時間を過ごすができます。

赤ちゃんと遊ぶのは楽しいです。びっくりする顔をしたり、悲しい顔をしたり、笑ったりするだけで興味を持ってもらえます。視線を合わせたり、外したりするだけでも、ひとしきり遊べます。気がつかないときは、ニコニコしながら「おっ」とか声を出して、関心を引きます。知らない人から声をかけられただけでも、赤ちゃんにとっては、大きなイベントです。ちょっとだけ何かを変えるのです。注意を引けたら、こっちのものです。一緒に景色を見たり、簡易的な「いないいないばぁ」でもいいし、手遊びだったり、ひとしきり楽しい時間を過ごせます。

4-5歳ぐらいまでの幼児に声をかけるのも面白いです。興味のありそうなことを一緒に探します。風景や広告を見て、何が見えるのかを聞いたり、子どもの持ち物を聞いたりします。声がけは「信号があるね」でも「こんにちは」でも「何歳なんですか」でもいいんです。たまに、いろいろ大人も気がつかないことを教えてくれたりして 楽しい時間を過ごせます。

親御さんに声をかけることもできます。特に他の方から嫌な顔をされている親御さんと話すこともできます。「おいくつですか」「子育ては大変ですよね」から始まることが多いかもしれません。横で聞いている子どもは、何が起こったのか、と興味津々になります。ただ相手が余裕がなくて受け入れられなさそうだったりするときは、ちょっとひかえます。あくまで、自分が楽しい時間を過ごすことが目的ですから、無理をしてはいけません。

最後に「騒がず静かに遊べてエライね」とホメます。そうすると (日本の電車では)騒がず静かに過ごすことは良いことだ と伝えることができますから。最後にちゃんと話をつけるのは親御さんの仕事です。けど、自分の良いと思うことを伝えることはできます。

実は、電車やバスの中で、飽きていたりつまらなかったりするのは、自分自身のことでもあります。もし子ども遊べて楽しい時間が過ごせれば心がほぐれます。多くの場合、子どもに「ロックオン」されるます。スマホや携帯も楽しいですけれど(常識や安全な範囲で)子どもと遊ぶのはオススメですよ。

あわせてどうぞ:楽しんで成長する7つの心がけ - ari's world

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子どもと話した公園に行く一番近い道について

公園へは、最短の道のり(距離)を使っていた

いつもの公園へのランニングコースは、たいてい同じ道を使っている。 最初は、気分によって左回りにし、信号や川の脇を通るなど、いろいろな道を使っていた。 しかしながら、あるときに地図で見て、一番近そうな道を見つけてしまった。 練習を兼ねているので、長い距離を走る選択肢もあるけれど、つい、その道を使ってしまう。 子どもとその公園に行くときも、距離が短くて楽そうだから、いつもの道を使う。

あるとき「いつもと違う道を通りたい。」というリクエストがあった。 「歩く距離(道のり)が伸びるけど、いい?」と答えたところ「それはなぜ?」と質問された。

紙で確認してみた

帰宅後、適当な紙を出して、比較してみた。 その紙は、一辺が7.5cmあった。 なお、まだ小数点を学んでないので、実際は7cm5mmや75mmと説明している。

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斜めに進むルート(A)は約10.5cmで、二辺を進むルート(B)は15.0cmだ。 比較すると 4.5cmほど道のり(距離)が伸びたことがわかる。 7.5×21/2は10.6cmなので、ほぼ計算通りだ。

Google Mapの距離測定で比較してみた

次に、地図で距離測定: Google Mapsで調べてみることにした。

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ルートA

いつものルートの一部を測ってみると約500mだった(A)。 このルートを外れると、歩く道のり(距離)が増える。たとえば、ルート(B)では約910mになり、410mも道のり(距離)が増えている。

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ルートB

他にも通園路や通学路、お散歩ルートを確認してみる。 多少、複雑になっても現在地と目的地をまっすぐ結んだ線に近いほど道のり(距離)が少ないことが確認できた。 いつも通っていた道より、もう少し短い道を見つけたので、今はそっちを使っている。


自転車や車の場合、安全にスピードを出しやすいかどうかも影響する。 自転車に乗りながら話したけれど、いつか話したい。