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ゲームと学びと子どもたち(2): ゲームをすること(ゲームに熱中し冷めるポイントとその過程)

ゲームと学びと子どもたち(2): ゲームをすること(ゲームに熱中し冷めるポイントとその過程)

  1. ゲームの体験:ゲームを体験し、よかったことと気になること
  2. ゲームをすること:ゲームに熱中し冷めるポイントとその過程(本記事)
  3. ゲームからの学び:マーケティング、執着と物語
  4. ゲームと学びと子どもたち:ゲームとうまく付き合うパターン

本記事では、ハマりやすく中毒性があるゲームに、なぜ熱中し冷めていくのかその過程を考えてみた。自分自身のゲームを通じた経験をであるため、ひとつの事例として紹介したい。これからも検証しつつ更新したい。

  1. なぜゲームにハマるか。
  2. ゲームから醒める理由。
  3. ゲームに熱中する過程、醒める過程。

なぜゲームにハマるか

よくできているゲームは、自然と引き込まれ熱中するように熱中する。その熱中していく過程に、どんなポイントがあるのか気づきをまとめた。

  1. 新たな視点(世界)を知る
  2. ルールや制約の中で創造性を発揮
  3. 成長を感じる喜び(小さな成長)
  4. 困難を打ち負かす気持ちよさ
  5. チームで作業する喜び
  6. 習慣の力(中毒性)

新しい視点(世界)を知る

新しい視点(世界)を知ることはワクワクする。普段、何気なく歩いている場所が、イングレスによって目印がつき、色鮮やかにリンクやフィールドがある、とは知らなかった。今いる場所がどんな色になっているのか知るだけでもワクワクする。私が子どものころから、上野、新宿や池袋のような人が集まる場所は、なんらかの物質やエネルギーの「場」ようなものを定義し計測できるのではないか、と想像していて、それを体験し検証する機会にもなっている。

ゲームの世界の中で創造力を発揮

ゲームのルールや制約を学んでいく。始めてからゲームそのもののルールをおぼろげながら知る。たとえば、味方の地点同士を結び自陣を確保できることを知り、身近なところで試してみる。最初は小さい面積ながら自陣が確保できた。次にもう少し広めの面積を確保を考えて試してみる。ゲームする上での制約には時間や体力などのリソースや、家族や友人などの関係性、活動できる場所などがある。たとえば、一般的な勤務体系であればゲームをする時間は業務時間外や休み時間である。家族や友人関係も制約とするかは選択がせまられる。

ルールや制約の中で創造性を発揮する。だんだんと面白くなってきたので、街全体がスッポリ入る作戦を考えてみる。タイミングのよい時に自転車に乗り、邪魔になるリンクを消して街を横断するような自陣を作ることや、敵陣や自陣の行動を読みながら、攻撃に強い陣形や、同じ空間でポイントを稼げる(密度が高い多重構造)などを試すようになる。 このような作戦は時間がかかるため、少し早めに家を出て通勤時間に組み込んだり、効率よくポイントを稼げるコースをかんがえる。

このようにルールや制約を学びながら、その中で創造性を発揮することはワクワクして楽しい。

成長を感じ達成する喜び

イングレスをはじめ、さまざまなゲームはレベルの概念を取り入れている。レベルがあがると持っている武器の火力が高まり、射程距離が広くなるなど、できることが多くなる(ただし、イングレスではレベル8以上は同じ火力や射程距離になっている)。レベルアップのためには、ポイントを貯めメダルを集める必要があるため、その目標に向けて進むことが多い。また、武器などの在庫を増やすと強い敵にも立ち向かうことができる。その結果、今まではできなかった困難を克服することはうれしい。レベルアップや困難な地点を攻略するなどの目標を達成し、成長を実感することは、小さな卒業式のような喜びを感じつつ、次に向けて進み出す。

困難を打ち負かす気持ちよさ

敵が設定した高いハードルを打ち負かすことはスカッと気持ちいい。たとえば、イングレスの地点にはシールドと呼ばれる防御力を高める仕組みがある。なかなか足を運びにくい地点に防御力の高いシールドが設定されていると攻略しにくい。さらに、リンクやフィールドを持つ地点を攻撃すると反撃される。特に集中している地点があり、そこを攻略するためには時間がかかる。そのような困難な状況を打ち負かし、その世界へ自分が影響を与えられるのは気持ちよい。

チームで作業する喜び

他人とネットで繋がるゲームの場合、同じチームの人と力を合わせられる。たとえば、ひとりでは攻略が困難な地域も、数人が集まって一気に攻撃するとたやすく落とせる。明示的にチームを作らなくても、いつも同じ顔ぶれで行動パターンが読めてくるので、なんとなく補強するなど共同できる。さらに、わざと弱い地点を作っておくとお互いに容易に攻略でき、高い点数を稼げるなど、何気なく敵チームとさえも力を合わせられる。

習慣の力(中毒性)

日常のリズムにゲームが組み込まれると習慣になってしまう。スマートフォンのお知らせ(notification)がでるので、現状はどうなっているのか気になってしまう。ゲーム画面を開くと「ちょっとこの辺りは美味しい(高いポイントが得られそうだ)」とか「ここは強化しないとダメだな」などのように思い、ゲームを始めてしまう。一旦ゲームを始めると次から次へと攻撃範囲を広げたり、より強化したりと ゲーム時間が延びてしまう。

その結果、歯を磨かないと気持ち悪い、顔を洗わないとすっきりしないように、ゲームが気になってしまい習慣になってしまうとやめることは困難になってしまう。その結果、さらにゲームに熱中し、中毒のスパイラルに入ってしまう。

このようにゲームは楽しいため、どんどんとハマり、抜け出すことが困難になってしまう中毒性がある。

ゲームから醒める理由(仮説)

ゲームをやめる、もしくは、クールダウンするのには複数の理由がある。しかし、私自身はまだ経験していないため、仮説としていくつか紹介したい。

  1. 環境的要因: 家族や友人との関係や業務多忙など さまざまな環境的な要因によってゲームを継続することが困難になることはよくある。
  2. 達成しきる: 自ら決めていた目標を達成することで、燃え尽きたようにゲームをやめてしまう。
  3. 興味の移行: 他のゲームなどに興味が移ってしまうと、そのゲームをやめてしまう。私自身は、ごくたまにテトリスをやっていたが、イングレスを始めてからほとんど起動することはなくなった。
  4. むなしさを感じる: イングレスをやらずとも日は登って朝は来るし夜も訪れる。イングレスで自陣を広げたところで、ゲームを閉じれば、それとは関係なく世界は歩んでいる、何も変わっていない。私自身、初めて自宅でゲームをして感じたことがむなしさであった。
  5. 義務感を感じる:ゲームは、主体的に自分の意思で楽しむものだ。自分自身でも周りからも義務感を感じると途端にシンドくなり、継続の意思が消失してしまう。

ゲームに熱中し、冷める過程

ゲームに熱中し冷める過程を一般化はできないが、私自身の感覚も含め、よく目にする過程をたどることが多いようだ。あくまでひとつのケースとして、その過程を考えてみたい。

  1. ゲームに始めた最初は、一気にハマってしまう。特に他のゲームにハマったことがないので、ハマることに対する耐性がないためか、もともとハマりやすい性格なのかは不明だが、昼夜を問わずゲームのことをかんがえるようになってしまう。
  2. しかし、家庭や仕事など他の要因によって、ゲームを続けることが困難になる。たとえば、配偶者への関心減り質が悪くなり、コミュニケーションの量が極端に少なくなると、配偶者から問題提起がされる。そのような状況になるとゲームを続けられなくなる、もしくはゲームの時間が極端に減る。場合によっては、やめてしまうこともある。
  3. 発生した問題を解決、もしくは解消することによって、新たなペースでゲームを楽しむようになる。たとえば、家族への関心が減ってしまった場合、家族と一緒にゲームをする、もしくはゲームの実態を調べるためという理由を伝え家族と一緒にゲームから得られた知見を話し合う(筆者のこと)などのように問題を解消し、継続して楽しむことがある。

人によっては、熱中している期間が長い場合もあり、一生を通じて熱中しているケースもあるだろう。逆にすぐに他の関心に移るケースもあるかもしれない。個別性を持ちながらも 大きな流れとして似たような過程を経ているのではないだろうか。

「ゲームをすること」の応用

プレイヤーが熱中し、それが継続できるように注意深くデザインされていると感心することがある。たとえば、イングレスでは、ある地点から補給する回数が限られているため、プレイヤーは一点に止まらないよう移動するしかない。レベルアップによってできることが増えるが、イングレスではレベル8になると頭打ちになってしまうため、チームワークや戦略を考えてゲームを楽しむようになる。メダル獲得によって、歩く距離やいろいろなところに足を運ぶようになっている。このようにゲームを楽しめるよう注意深く設計されていることがわかる。

「ゲームをすること」に通じて、子どもが勉強や学習などに応用できる。よくよく考えると学校での勉強も同じような構造を使っている。問題集やテストでは、困難を打ち勝ち成長する喜びを実感できる。しかし、あまりに成績が悪いとその仕組みが働かず、継続した学習が困難になってくる。そのようなときは、学習できていないことを探し強化しつつ、継続して学習できるようにチームやペアでサポートできる体制作りや、学習についての習慣を検討できるだろう。

「ゲームをすること」の本質

ゲームで遊ぶことからも、学べ、いろいろと応用できることがわかる。たとえば、日常生活をゲーム化することによって、生活習慣を身につけることもできるだろう。たとえば、二歳児がトイレの仕方を学ぶときもシールや印をつけると、トイレに行くことが楽しみになり、それがあたりまえの習慣になる。そして、食事の習慣など次のゲームに移行すれば良い。このようにゲームで遊ぶことを応用すれば、実生活でも役にたつ。

これはゲームで遊ぶことから学ぶことも、生活から学ぶことも本質的には同じことかもしれない。ただし、評価される対象や効果(環境的要因)が違う。ゲームで勝利した時に周りからの評価が、もし他のプレイヤーからの評価が高くても、ゲームを知らない家族や仕事場での評価は低い。逆に、どんなに仕事や家事をしていても、他のプレイヤー間からの評価は低くなるだろう。どこから評価されるかを考え、自分で選択する必要がある。

このように、よくできたゲームは楽しく熱中するものの、その行為を評価し、どのように選択していくのかが大事である。

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