ari's world

あるかどうかわからないけど、あるみたい。ありがとう。

世界の地平を見るために

世界の地平を見るために(空手の黒帯を取得した時のメモ)

要点

  • 当事者として経験することは大切である。その結果、「世界」が広がり「地平」が見えた時は、とても気持ちいい。価値観が変わるような経験をしてほしい。
  • 実際の経験について紹介する。
  • この件についての心がけを紹介する。
    • たまたまを大切にすること
    • 続けること
    • 「世界」が開け「地平」を見ること
    • 無知の知と「道」であること

目次

  • はじめに
  • 世界が広がることはワクワクする
    1. ランニングとトライアスロン
    2. 次にチャレンジすることを探す
    3. 空手道場に通う
      • 合理的な動きと指導法
      • 体系化されたカリキュラム
      • ヒザの痛みを乗り超えて
  • 心がけていること
    1. 「たまたま」を大切にすること
    2. 続けること(10年単位で考える)
    3. 世界が開け、地平を見ること
    4. 鍛えられる能力
    5. 道であること(わからないことがわかる)
  • おわりに
  • 関連する情報

はじめに

2019年12月8日に行われた空手の昇段審査に、親子で合格し黒帯になりました。黒帯は、空手のスタート地点に立てたことになります。これも、ご指導してくださった先生、一緒に稽古した仲間、支えてくれた家族のおかげです。感謝しています。押忍。

このメモ(記録)は、私が心がけていたことを私の子どもたちに伝えるためです。子どもたちが自分たちの「礎」を築き、父親を乗り越えてほしいと願っています(簡単だと思うけどw)。押忍。

「心がけ」とは、実際の生活において できていないし、十分ではないと考えているからこそ、正そうしていることです。なので「できていない」ことは、すでにわかっています。「心がけとして何がふさわしいか」「どのように形にしていくのか」のように建設的に取り組みたいです。

世界が広がることはワクワクする

Break on through to the other side (The Doors)
「向こう側へ突き抜けろ」

「世界が広がること」「世界のしくみをかいまみること」は、とても楽しいことです。ただただワクワクして、熱中してしまいます。

「知る」ということは、本やテレビ、インターネットでもできます。知識の幅を広げる役には立ちます。しかし、自分が当事者として経験することや、身につけていくことは、予想もつかず、それ以上に楽しいし、かっこいいです。

当事者として内から関わり、その「まっとうさ」や「基本」を手に入れるために、失敗や苦しみも経験する、ということです。一見かっこ悪いこと、恥ずかしいことや失敗もたくさんたくさん経験します。むしろ失敗が多く、何度も壁にぶつかります。そのような わからなかったこと、苦手だったことを克服していき、その「世界がわかる」ことは、自分だけの経験であり、自分だけの宝物です。

そのたくさんの壁にぶつかり乗り越えようとし、自分の世界を生きている人がカッコいいです、そのように感じます。「知っているより、やっていること」です。

世界を広げること、かいまみる経験は、とてつもなく貴重です。「壁の向こう側に突き抜けろ」。そこには素晴らしい世界が見えてきます。

今まで過去の「私の物語」を紹介しますが、「読者である あなたの物語」ではありません。そのため、参考(=あくまで他人の物語として楽しむこと、味わうこと)にしてください。

ランニングとトライアスロン

子どもの頃から、ランニングが苦手でコンプレックスでした。体育の授業が何よりも嫌で、マラソン大会では走れず、いつも苦しくて肩を落として歩いていました。運動が苦手な自分にとって、アイアンマン・トライアスロン(鉄人レース)は、想像もできない過酷な競技に思えました。

ランニングを始めた理由は、怪我をした時に診察した医師が無免許だったという理由でした。

最初は、ランニングの練習方法について、よくわからなかったので、とりあえず片道16km弱先にある勤務していた会社からランニングで帰宅するようにしました。最初は辛かったものの、毎日の繰り返しのなかで、だんだんと慣れていきました。

走り始めてから、約2年後から4年後までの数年間にわたって、ケガや故障が続き苦しみました。ちょくちょく足首を挫き(くじき)、ふくらはぎや太ももの筋肉を痛め、ヒザや腰など、いろいろな箇所が痛くて動かせません。むろん練習もできずタイムも伸びず、気持ちだけが空回りしてシンドかった時期を過ごしました。

シンドイなかで、もがいていました。運動生理学や理学療法などを学びました。コーチをつけて練習しました。たまたま見たビデオが転機になり「正しい姿勢と、正しい体の動かし方」がわかりました。それから突如にしてケガや故障しなくなりました。ケガや故障知らず、になりました。気持ちも ほぐれて楽になりました。

幸運なことに 鉄人(ハワイ島コナで開催されるアイアンマン・トライアスロン世界選手権の完走者)となりました。

友達と約束したフルマラソン目標タイム(2時間45分)は、まだ至っていません。しかし、ランニングがとても苦手だった自分にとって、とても楽しく貴重な経験です。どんなに苦手でもできるようになる、という「自信を持つ」裏付けを、少しずつ少しずつ貯めることにもなりました。

次にチャレンジすることを探す

結婚し、子どもが生まれました。その時、楽しんでいたトライアスロンは、練習時間が長く、家族と過ごす時間が短くなり、いろいろなひずみが出てきました。1

サーフィンを試したこともありました。寒い砂浜で子どもたちが待つことになり、数回だけで終わりました。

あるとき、子どもが、ショッピングセンターの遊び場で、ほかの子どもにボコボコに殴られているのを見て、合気道や空手道のような「武道」を身につけたいと考えました。

若い頃の私にとって、空手や合気道のような武道やボクシングのような格闘技は、やるのも見るのも苦手で避けていました。まさしく想像もできない他の世界でした。最初は、いろいろ武道を探しましたが、気にいるところは見つからず、躊躇していました。

空手道場に通う

家から近くにある小学校で空手の稽古ができることを、たまたま図書館の雑誌で知りました。単純に「家から近く」という理由で、通いはじました。道場は、伝統派武道、ノンコンタクトを志向しています。

私が通っている道場は、1.合理的な動きと指導法、2.体系化されたカリキュラムに基づいています。

合理的な動きと指導法

空手と言えば漫画ぐらいしか知りません。根拠なく根性を鍛え、暴力を働く印象でした。習う前は、漫画のように無駄に回数を重ねる根性練(こんじょうれん)と、センスに任せた稽古をやっていると思っていました。むろん、基礎体力やセンスは必要ではあるものの、家族で学ぶにはシンドイです。

しかしながら、通っている道場において、研究された合理的な動きを目指し、根性とセンスに依存した指導はありません。当初の印象は間違っていました。

たとえば、「突き(パンチ)」の時にも、足が地面を押す反力、足の骨格、股関節の活用、腰の回旋力…(略)…手や腕の構造…(略)を一体となって使い、一気に加速させ等速運動をしつつ、重力を使った拳が飛んでいきます。私の文章力では限界があるので、稽古していただくしかないのですが、重力と身体、動力学、相手の動きなどを使った、理にかなった動きです。

正しい動きをしっかりと理解した上で、繰り返し稽古しています。指導も、怒鳴るようなこともなく、合理的な動きを身につけるため、ていねいでわかりやすいものです。

体系化されたカリキュラム

突き蹴りなどの「基本」、いろいろな動作をパックした「形」対面して実践に近い「組手」があります。

私が通っている道場において「基本」を大切にしています。基本を徹底的に身につけながら「形」も学んでいきます。入門してから学ぶ五つ「形」を身につけると、大きな「形」に結びつきます。その「形」を通じて、体の使い方や状況に応じた戦い方を覚えていきます。

対面して突きや蹴りなどの実践に近い「組手(くみて)」の稽古で、ケガすることは、まずありません。黒帯を取得する試験においても「上段(突き)!」と、宣言して動作を行う約束組手(やくそくくみて)だからです。そのなかで、実際の間合いや体の動かし方を学んでいきます。

これらの「基本」、「形」、「組み手」は、密接に関連しています。最初から徹底的に「基本」を学びますが、「形」や「組み手」から「基本」をより研ぎ澄ませます。

空手という武道を、安全に身につけられるように、基本や形、組手などが、常に改善されながら体系化されています。このカリキュラムは、昇級として審査され、昇給していく中で自然に身につけられるようになっています。

ヒザの痛みを乗り超えて

2017年から2018年にかけて、ヒザが痛くなりました。左足を前に出すため、左のヒザに負担がかかります。ヒザが痛くため、稽古どころか歩くこともシンドイ状態でした。年に2回ほど、痛くなりました。

たまたま近所に所用があったとき、整骨院の玄関で、お客さんの子どもと遊んでいる柔道整復師たまたま目があいました。 ふと顔を出して、ヒザが痛いことを伝え、その原因を探って治療を受けました。同時に、長年にわたって血尿が出ていたことと、同じ原因であることがわかりました。ヒザの痛みと血尿の両方が半恒久的に治りました(その担当者は退職してしまい、とても残念です)。

ヒザが痛くなったのは、(ランニングと同様)正しい姿勢が取れていない、正しい姿勢を取るための筋肉の力が不足していることが原因です。当初より「正しい姿勢」になり、痛みが取れるようになってきました。猫背も、ほぼ解消してきました。

その後、指導をいただきながら、稽古を重ねることができ、無事に初段をとりました。スタート地点に立てたことは、とてもうれしいことです。

心がけていること

なぜ、このような経験を大切にしているのか、心がけていることを説明します。

「たまたま」を大切にすること

たまたま始めたランニング、たまたま始めた空手、たまたま目があった治療院、すべて「たまたま」でした。それだけではありません。私の英語の勉強も、私の妹を塾に送ったことから、たまたま始まりました。大学院・博士課程の勉強も、たまたま遊びに行った研究室から始りました。

中村医師がアフガニスタンで、医療や灌漑(井戸や川などから水を取れるようにすること)に取り組んだ理由について、このように答えています「不平等に対する復讐」 中村哲医師が人生をアフガニスタンに捧げた理由 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)より:

 世界にも日本にも困っている人、苦しんでいる人はたくさんいます。なぜ、アフガニスタンなんでしょうか?

「たまたま、ですね」

「たまたまそこに行って、そこで困っている人を見た。あとは……まあ、義を見てせざるはなんとやらといいますか……」

この世界は、たまたま・偶然で支配されている、と言っても過言ではありません。

私の父(子どもたちの祖父)は、よく言っていました。「人間で計り知れることなんて限られている。だから、ご縁を大切にしなさい」たまたま始まる大きな流れを受け入れ、その中で立ち位置や行動を選択していくことが大切です。

いいことも、悪いことも、たまたまから始ります。ここにいる、この文章を読んでいるのも「たまたま・偶然」かもしれません。いかに「たまたま」を手なずけるのかを考え、そのための準備をしていきましょう(いつか書けたら書くね)。

続けること(10年単位で考える)

楽しいことだけでなく、苦しいことや嫌なことも、断続的に発生します。ヒザが痛くなったり、なかなか上達しなかったり、忙しくなったり、、、いろいろ発生します。部活動も、ランニングも、空手も、つらい時期がありました。私の経験では おそらく、つらい時期に直面します。

やめる選択もあるかもしれません。諦めたら試合終了です。

もう一つ、経験から言えるのは、つらい時期に正しく努力していれば、ひらけた、心地よい時期もやってきます、そのように信じています。「継続は力なり」のように、続けることは大きな結果や成果を生み出します。

いくつかのコツを紹介します。もがくことや、静かにやりすごすことなど、いろいろやってみるしかありません。

  • 敷居を低く:(シンドイときは、敷居を低くする、ゆるめる、簡単にするなど、を検討してみてください。たとえば1万歩がシンドイときは千歩にする、十歩だけでも歩こう、とか、やることを減らす代わりに、少しずつやっていくことがコツです。
  • ゲーム感覚:ゲーム感覚で遊べるコツを見つけるのもおすすめです。たとえば、いつもの通勤ランを何分で行けるか、とか、信号で止まらないで行けるようペース配分を考えてみるとか、いろいろな遊びが見つかるでしょう。
  • 自分のペースを守る:つらい時期は、少し休んでから再開することもありかもしれません。楽しみを探す余裕が大切です。
  • 対面する:恐怖を感じるようなときでも、逃げ腰にならず、自然体で立ち向かいます。気持ちでは負けてはいけません。最初は気合いが必要です。
  • 押忍:自分を押し忍んで、たんたんとやることで、困難を乗り越えることも大切です。雪かきのように、やらなくてはならないこともあるのです。

今の時代だからこそ、じっくり取り組むことに価値があります。

世界が開け、地平を見ること

取り組んでいると「世界がひらけ、地平が見える」時期があります。 じっくり取り組むと(而)、ひらけたようにわかってくる時期がやってきます。人の才能や特徴、経験によって違いますが、5年から10年の年月が必要なことがらもあります。能楽の先生も「10年か、それよりも稽古していると、わかる時期がくるんだよ」と話していました。このように時間の経過が必要なのです。

この「地平を見る」感覚は、大きな山に登ったときに雲の上から視界が開けた感覚に近いです。 地平線や水平線まで見えます。この「地平を見る」感覚は、ある取り組みが何をやっているのかの全体像が俯瞰的に見えることです。それは勉強でも、興味でも構いません。ひらめいたように「わかる」「みえる」時期がとつぜんやってきます。

地面に近い時は、自分の周りしか見えません。登山口から登り始めたときは、山頂も周りも見えないことが多く、どんな景色が待ち受けているのかわかりません。汗をかき、予想もつかないことが発生することもあります。おなかが減り、足が痛くなったりします。自分の周りを気をつけながら登っていくしかありません。

あるとき、とつぜん視界が開けます。その時の気持ちは絶筆し難い(表現できる語彙がありません)。高い山に登れば登るほど、遠くが見えます。こんなんなっていたんだ、という、自分の世界を感じられます。

  • ランニングでも速く走る人たちの世界が見えてきて、速く走る人たちの言葉がわかるようになります。マラソンでは、3時間を切る(サブスリー)あたりでしょうか、何をやっているのかがわかるようになってきます。私の場合は、ランニングを開始して2年後に、膝が痛くなり思うように走れなくなりました。「正しい姿勢」で走ることがわかり、そこからランニングで怪我や故障しなくなりました。練習できるようになり、タイムも改善しました。そのあたりから、コーチの話していることが見えてくるようになりました。
  • スキーでは、初めて滑り出したときは体も器具も思い通りに動けません。最初は、もがきながら成長していく感じです。世界が見え、言葉がわかります。周りの状況と、体の感覚を読み取り、そこで適切な動きを作っていけるようになります。全日本スキー連盟では、指導員やパトロールの資格を取るためには一級が必要です。一級がスタートラインだと認識しています。
  • 全国模試などの学力偏差値において40未満と60超では、同じ問題を解いていても見ている世界が違っています。40未満の場合、おそらく何を聞かれているのか理解できていない状態でしょう。学力偏差値60を超えていると「何を問われているのか、何を解いているのか」の全体像が見えてきています。学力偏差値は、相対的な指標のため一概には言えませんが、全受験者数の84%程度である60ぐらいを目安にしています。
  • 空手では、黒帯になるあたりから、世界が見えてきて、修行が始められるように思います(その人の経験や流派によって違うのは、最初に述べた通りです)。私が通っている道場では、審判員や指導員の資格が取得するためには、空手二段からのため、二段相当ではないかと予想しています。

このように その世界における基本を理解し、操作が可能なある一定のレベルに達したことを「地平が見えた」と表現しています。そのためには一定の年月が必要です。

世界と自分が見えたときは、とても気持ち良い、すっきりとした気分です。この気持ち良さは中毒性があり、これを追い求めて勉強や練習をしているようにも思います。

この感覚は、本やインターネットを読んだだけでは、わかりません。たとえば、空手の動画を見ても、経験していなければ、その時のスゴさを理解できません。実際に行って経験して、自分なりに理解して、つかみとっていくものなのです。このような経験をしてほしいと思っています。

鍛えられる能力

この地平には、自分自身の視点でありながら、その世界の「理(ことわり)」を理解することによって、自己と他者の認知のありかたを認知する能力がより深まります。他者や環境を含む自分自身を俯瞰する(メタ認知)能力が向上し、より深くて多重的な理解(認知)ができるようになります。

地平を見えるようになるために、目標に向かって頑張ること、ほかの人と関わること、感情をコントロールすることなどを、継続して実施します。まさしく計測しにくい能力(非認知的能力)の向上も期待されます。

困難に打ち勝ち、あきらめずにやり抜くことから、まさにGRIT(あきらめずにやり抜く力)でもあるでしょう。

しかし、あくまでメタ認知や非認知的能力、GRIT(やり抜く力)…は、目的ではありません。それらを目的とすると、それらの効果を得られなくなります。成績のようにオマケでついてくるものです。 なにより地平が見えることは、世界が広がり深まり、最高にワクワクし楽しむこと、その過程も楽しむことです。目的や意味はいくらでも作れますが、究極的に目的がないのが目的です。

いずれにせよ、子どもたちには、この「地平が見える ある一定のレベルまでは やりなさい」と伝えています。基本を身につけたレベルに到達しないと、その世界の面白さ(または、限界)を理解できないことが多いからです。

道であること(わからないことがわかる)

世界と自分を含む地平が見えると、自分がわからないこと、自分ができないことを如実に見えてきます。そのレベルに達することによって、その上も見えてきます。わかればわかるほど、自分の未熟さを思い知ります。

「地平が見えた」と思ったとしても、まだまだ上に登る道があることも思い知らされるのです。

わからないこと、できないことを知るため、自ずと謙虚に接するしかなくなります。そして、より高い地平を目指したり、他の登山口から登り始めたりするのです。

目的やゴールは、短期的で一時的なものです。全体を見渡すと、ただただ道があるのです。

おわりに

世界は広くて深いようです。「ある世界の地平がわかること」は、とても楽しいことです。そして「いかにわからないのか わかること」は、(まいっちゃいますけどね)もっと楽しいことです。楽しみながら ぼちぼちまいりましょう。

Break on through to the other side (The Doors)
「向こう側へ突き抜けろ」

関連する情報

  • 楽しんで成長する7つの心がけ - ari's world:当時小1の子どもが自由研究コンテストに入賞したときに書きました。
  • 謙虚さとは何か - ari's world。謙虚さを自分なりに定義してみました。好きな心がけです。
  • 空手の身体動作などについて YouTube
  • NHK NEWSWEB イチローからのメッセージ 最後の「イチロー杯」で2019年12月22日 20時23分

    本記事の公開後、似たような趣旨の記事を読んだため、引用します。

    いろんなことが情報としてすぐ頭に入れられる、すぐ、携帯でね。スマホなんかで調べれば、いろんなことがわかる時代になりました。

    世界が何となく小さくなったように思えるんだけれども、(略)外に出て初めてわかること、調べれば知識としてわかることであっても、行ってみてはじめて分かることってたくさんあって、それは、野球の狭い世界だったんだけれども。

    やっぱり外に出て、傷つくことだってあるし、楽しいことももちろんいっぱいある、勉強することはいっぱいありました。

    それを知識として持っておくのではなくて、体験して感じてほしい。

    そういう経験をできれば将来、みんなにはしてほしいな、というふうに思います。 今まであった当たり前のものというのは、決して当たり前ではないというふうに気づく。 価値観が変わるような出来事を、みんなに体感してほしいというふうに思います。


  1. どのような道を選ぶのか、選び方とその理由についても、いつか書きたい。