こぐさんのエントリを受けて、いろいろ考えてみたいと思います。いろいろと胸をお借りしております。考え方をまとめる過程であるため十分に推敲された文章ではありません。僭越だったり失礼があった場合は私の至らぬところですので平にご容赦ください。
残り、という考えかた
- やりたいことをすべて実現するのに、私の寿命ではおそらく足らないだろうと考えています。もちろん能力も十分ではないこともあります。
- 隠居して謙虚な気持ちで「残り (= 余)」という考え方は素敵だと思います。
昨日のエントリで、きっかけになっている部分は
- 余命を宣告されても、交通事故や突発事項が発生する可能性もあるかもしれないね。
- 生まれたすべての人は「死」に向かっている。
ただ、楽になるためのキーワードとして
- 「足るを知る」ということ
- 「その日を生きる」とということ
- すでに死んだと思って生きること
ふと思ったのですけれど、これらの言葉はもしかしてストレス耐性を高めるもうひとつの考え方なりますでしょうか。
正しいこと、って難しいね。
正しい、筋を通すってことは、なかなか難しいですよね*1。
自分にとっての正しさを適切に伝えることも難しいですね。たとえば、宗教のため自らの命とともに多くの人を巻き込むことが絶対的な正義だったり、戦争をはじめることが絶対的な正義だったりする人たち(国や文化)もあります。正直なところ迷惑もいいところです。でも、そんな人たちに私はどんな言葉を伝えられるのでしょうか。私自身の「正義」は十分に正しいでしょうか。マハトマ・ガンジー「『目には目を』が全世界を盲目にしている」は、とてもよい言葉のひとつだと思います。でも、耳を貸してくれるでしょうか。彼らの心に届くのでしょうか。
いずれにしろ、ただ正しければ正しいほど、力があればあるほど、状況に応じて適切に使う必要があるのかもしれませんね。多くの場合は「謙虚」という言葉が適切かもしれません(謙虚なのは正しいことではない、という人もいらっしゃると思いますけどさ)。
マジック・ワード
大事なもの、大事なこと、真実を探すことは、深める上でとても重要です。一方で、たぶん言葉にする必要がないのかもしれないと思ったりします。もしくは言葉にした瞬間、その言葉にとらわれてしまう(正しくは「とらわれやすくなる」かな)ような気がします。
たとえば「愛が大切」であることは否定しないし、いろいろな形があると知っていても「愛」って間違いなく重要だし大切だと思います。
ただし、それだけじゃないと感じます。映画などで「愛こそすべて」とか聞いちゃうと、つい「思考の飛躍や停止の一種なのかもしれない」なんて感じて しらけちゃいます。最近 A Beautiful Mindという映画をみました。とても、きれいだし感動的だけど、いきなり「愛の方程式(equation of love)」なんていわれると「あれ?」って思っちゃう。 Knuth 先生の コンピュータ科学者がめったに語らないこと ですら飛躍を感じてしまう。もちろん単に読み取る力が不足しているからかもしれないけど。なにはともあれ、ある側面からしか物事を見ないのは、ちょっとつまらないなぁなんて思います。
そうはいってもさ。いくつか。
しっくりきた言葉は「自然体」だったり「バランス」や調和だったり「ありがとう」だったりします。
トニー流 幸せを栽培する方法 もとてもいい本でした。
- 作者: トニー・ラズロ
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まだまだ書きたいけれど昼休みが終わってしまうので、とりあえずこのあたりで
*1:何が正しくて正義なのか、と考える上で、「おろかもの」の正義論という本があります。「「おろかもの」の正義論」については、後半の根本的な「気持ち」については感情的に同意です。ただ前半のほとんどを占める諸説については論拠が薄いように感じ、論理的には納得することができませんでした。もうひとつは章や本のはじめにいいたいことを明確にせず「読者がより考えるようにした」構成は、私にとって苦痛でした。議論から外れてしまうような気がするので、今回は考えないでおきます。