ari's world

あるかどうかわからないけど、あるみたい。ありがとう。

ランニングを始めたきっかけ

ランニングを始めたきっかけを書いておきます(今は走っていません).

子どものころ走るのがとても遅くてコンプレックスを感じていました.

小学校のクラスで2番目に遅い子どもでした.中学校や高校のマラソン大会でも走りきれず歩いていて からかわれていました.ますます走るのが嫌いになり,ますます走るのが遅くなる,という循環が続いていました.

大学時代は,所持金のほぼすべてが本代に消えました.電車代や定期代も本代に消えました.そのため仕方なく実家にあった自転車(いわゆるママチャリ)で通うことにしました.雪の日は断念しましたが,嵐の日も自転車でコリコリと通っていました.

片道15kmの距離で,多摩川のサイクリングロードだったので,走りやすい道でした.ママチャリとはいえ,頑張ればそれなりにスピードは出ます.心地よく季節を感じながら楽しんでいました(=スピードを出していました).風の強い日にはロードレーサーの人たちの風除けにされるぐらいは頑張って走ってました.今思うと,ママチャリで往復30kmを全力で走ることは,とても良いトレーニングになったようです.

その後,就職し,走らない時期がありました.しかし私の影響を受けて自転車を始めた友人から逆輸入する形で自転車通勤を始めることにしました.入社の面接のとき「自転車で通勤していいか」と聞き,了解をもらいました.入社後,面接官だった部長から「まだ自転車通勤は始めないの?」と聞かれたこともあり,片道15km強の距離を自転車で通い始めました.当時は珍しかったこともあり,雑誌のアエラにも取材され紹介されたこともありました.

しかし,残業して深夜1時過ぎに帰ってくる途中,並んだ路上駐車の隙間から酔っ払いの自転車が飛び出してきました.そこは上り坂1だったので,時速40km弱までに減速していましたが,酔っ払いの自転車を回避するために空を飛びました.ビンディングペダルをつけているため,自転車と一体になったままです.空を飛びながら,自分の技術では自転車を巻き込んでの前回り受身(まえまわりうけみ)は難しいことと考え,しかたなく顔を守るため両手で地面を叩くようにして前受身(まえうけみ)を取りました.

次の日になっても右手の小指が痛いため近所の整形外科に見てもらいました.レントゲンでの診察の結果「右手の小指の骨が折れています.自転車で骨を折ったんだから自転車はダメです.しかし泳いだり走ったりするのは大丈夫です」とその医師から言われました.しかし,プールで泳ぐと水圧で骨折した手が痺れてしまって泳げません.しばらく何度か受診しましたが,小指の骨はくっつきません.仕方なく通勤路を走り始めることにしました.

ある時,実家に帰った時,私の母は,新聞を見せながら「近くのお医者さんだけど知ってる?」と聞かれました.その新聞には,私の通っていた整形外科の医院が無免許だったと書かれていました.駅前の大きな医院だったで,びっくりしました.いつになっても骨がくっつかない理由も容易に想像がつきました.

ただ,通勤として毎日のように片道15kmを走ると,それなりにランニングが得意になってきました.つまり:

私がランニングを始めたきっかけは,無免許医師に診断されたからです.

村上春樹氏は 明治神宮野球場プロ野球開幕戦、外野席の芝生に寝そべり、ビールを飲みながら観戦中に小説を書くことを思い立つ 2 みたいに,人生を変えるようなきっかけは,どこにあるかわからないものです.

このことから学べることは,(1)交通事故には気をつけましょう,(2)世の中何がきっかけになるかわからないね,ということぐらいでしょうか.それにしても人生は面白い.

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(この記事は,Google Docsの音声入力機能を用いて入力したものをベースとしています)


  1. 秋葉原末広町近くの妻恋坂です.いい名前ですね

  2. https://ja.wikipedia.org/wiki/村上春樹