ari's world

あるかどうかわからないけど、あるみたい。ありがとう。

民主的な管理と 独裁・階層な管理

管理のしかたは、だんだんと変遷している。もちろん適材適所ではあるが、独裁的な管理方法から民主的なものへと変遷している。指示・命令を行い賞罰を与える形から、スタッフ全員で知恵を絞り全体で進めていく共感を得る方法が有効な管理方法になってきている。

ステレオタイプではあれ、以前の管理といえば上司が部下に教えを説くものだった。たとえば、営業のとり方、システム開発の仕方などは、やり方を教え、細かく指示を出す方法だ。命令を下し、従順であることを強要する。社長、役員、部長、課長、係長、主任のように指示が落ちてくる。部下は細かい指示の中で裁量を発揮する。ステレオタイプ的な軍隊の指示系統と同じであり、長い間この方法は十分に機能し、今でも有効な方法かもしれない。

一方、現在の仕事はどうだろうか。現場で働いているスタッフと管理している管理者、どちらが仕事に詳しいだろうか?よほど成熟レベルが低い(=守破離の「守」にいる)スタッフでなければ、現場の仕事を回しているスタッフの方が管理者よりも断然詳しいのではないだろうか。逆に、もし管理者がすべてを知っているという状況は、管理者がすごい人か、一人の管理者でまかなえるだけの単純な業務であるのではないだろうか。
少なくともホワイト・カラーの仕事は、変化のスピードも速くなり、複雑化している。この変化のスピードや複雑さに対応するためには、現場で働いているスタッフの知識や経験を生かすようになったほうが効率がよい。

スタッフの知識や能力を生かすためには、結局、スタッフが主体的に動く、動けるような体制作りになる。スタッフは、自分で考え、自分で動く必要がある。
スタッフが自分で動くために確認やチェックができるような考え方が必要である。別の機会に、ウィーナーのサイバネティックスや、ワインバーグのエゴレス・プログラミングからインスパイアされた形について別の機会に記述したい。

独裁者のように振舞うべきときはあるのか?数日で収まる程度のトラブル発生時は、独裁者のように振舞うべきか?私は、その程度であっても、背景と方針を説明し、ディスカッションし、主体的に動いてもらっている。その結果、いくつもの改善策が見つかり、みんなの力をひとつにして、問題解決に向けてすすんでいけています。

このやり方で、一番困ったなぁと思ったときは、成熟度合いの低い「守」のレベルと思われていたスタッフの提案が、みんなの着目点がポイントがずれていて全体の話が進まないときであった。いわゆる頓珍漢な提案をしてしまうので、話が進まないのである。しかしながら、この話には落ちがある。彼の提案には、大きな変化が必要なだけであって、実は大きな改善ポイントが含まれていたのである。それを認識したわれわれは、すぐさまそのやり方を取り入れるようにした。その結果、チームとしてのパフォーマンスがあがり、品質に寄与したのである。

これらの考え方は、セムコのセムラーさん、トヨタ流のリーンなどの考え方、京セラ創立者の稲村さんの考え方のエッセンスである(と少なくとも考えている)。セムラーさんは、これは東洋的な考え方に基づいていると書いていて、まったくの同感である。「契約」するのではなく、お互いが大人であると認識し、信頼に基づいて行動するのである。