ari's world

あるかどうかわからないけど、あるみたい。ありがとう。

『なめらかな社会とその敵』についてのコメント

はじめに(ゆる思考)

私は、身体だけでなく、計算や論理から組織や社会など様々なレイヤーにおいて「ゆる」の概念を適用する「ゆる思考」を2008年12月から考え、とある研究会で何度か発表や活字にしている。現在もライフワークとしてのんびり取り組んでいる。ゆる思考は、いくつかのモデルの候補はあるものの、定式化や検証はされていない状況であり、決して具体的な形になっているとは言いがたい。

『なめ敵』は、具体的な形になっているし、ゆる思考をもう少し自分で考え広げるための時間を作ろうかなぁと思っていた。しかしながら、師匠(だと、私が勝手に思っている方)から「読んでないの?買っていないの?」と三回聞かれたので避けることができず、その日のうちに買って全体をざっくりと目を通してみた。

読むための疑問や切り口を紹介する(批判や批評を目的としない)

疑問とそれに対する回答を予測しながら書籍や文書を読み進めることが多くある。疑問とそれに対する回答を予測しながら読むと理解が進む。また理解に対する予測が外れると、さらに考えることになるだろう。正直なところ、まだ『なめ敵』についての理解ができた状態とは言いがたいし、ざっくりと読んだだけの状態での疑問をさらすことは、とんちんかんである可能性が高く、正直なところとても恥ずかしい
しかし、なめらかなカイギ - なめらかなカイギ | Doorkeeperの参加条件に「ウェブ上で外部に見える形で表現する」と記述されている*1。また今後、私自身の誤読を排し、理解を深められたら良いなと思い、あえてざっくりと目を通しただけの時点での疑問や切り口をさらす。あくまで自分自身が読み進めるための素朴な疑問や切り口であり批判や批評を目的としていない*2

キャッシュフローやバリューストリームなどと比べて、どんな違いがあるのか。

もし既存の貨幣システム(SECSY)におけるキャッシュフローや価値の流れ(バリューストリーム)の考え方とPICSYは、どのような違いがあるのであろうか、もしくは共通点はあるのだろうか。
現在の貨幣制度であるSECSYにおいても、貨幣や価値を「流れ(フロー)」で捉える手法は多々ある。ビジネスモデリングや図解手法、会計基準を用いてキャッシュと価値のフローとある程度の「ストック(蓄える)」や「バッファ」を用いながらビジネスを設計する。たとえば、自動車メーカーや保険業においても、消費者からその生産者に至るまで貨幣と価値のフローを作り妥当性を検証する。
もし、ある程度まで共通点があるのであれば「フロー」という概念を選択できるだけ既存の貨幣制度の自由度が高い、ということはないだろうか。

背後の取引が隠蔽(カプセル化)される価値はないのか。

既存の商取引では、その背後にある取引は、情報を開示しない限り隠蔽(カプセル化)される。知る権利があることは大切であるが、限られた情報の中でしか人間は判断できない。たとえば、アップル社のMacBookを用いることによってこのエントリを書くなどの得られる価値や経験が欲しいのであって、MacBookのバッテリや液晶のメーカがどこであるかはどうでもよいのである。細かい情報を得る手段はあったとしても、それらが取引の情報として不要ではないことが多い。その提供側の判断や戦略そのものも「財」の一つであろう。
背後の取引が隠蔽される状態に価値はないのであろうか*3

現在の貨幣制度では価値のフローは止まるのか(寺)*4

ケインズによる経済も貨幣と信用の(スタックと)フローがある。安冨歩氏「関所モデル」のように、キャッシュと価値の流れ(フロー)として理解できるビジネスモデルが数多く観察されている。そのため、現在の貨幣制度では価値のフローは連鎖しないのであろうか。

他システムとのバウンダリは「なめらか」なのか。

PICSYと、そのほかの世界のバウンダリは「なめらか」になっているのだろうか。PICSYとSECSY、もしくは貨幣制度と非貨幣制度の境界はどのようになっているのであろうか。

数式上も、すべての総和は「1」であるようになっているように、想定した一枚の(広げることができるが)クローズドなシステム上に実現しているように読めた。ベクトルで表される「財」のリストと評価行列に、組み込まれる、もしくは組み込まれないは、ブール値のように感じる。SECSYであっても、坂口恭平氏の言う「レイヤー」の概念を使って、既存の貨幣制度とは異なるレイヤーを行き来しながら なめらかに生活できる。脱退の自由はあるものの、何となくSECSYよりPICSYの方が「制度への参加を強制する力」は強い(なめらかさが少ない)ような気がするのは気のせいだろうか。今後、他の世界観や制度とのバウンダリがなめらかであることが求められるだろう。
仮想中央銀行は、興味深く優れている点が多い感じているので、もう少し丁寧に読みたい。

複数の制度間の関係性もしくは重層性はどうなのか。

世の中は分散しバラバラに動きバラバラのタイミングで営まれている(もしくはそのようにしたいと考えている)。ひとつのPICSYの規模や単位は、どの程度がふさわしいのであろうか。また複数のPICSYや、他の貨幣制度とのインターフェースは、どのような形がふさわしいのであろうか。

(運用)PICSYのシステム(親)は、十分な正当性が保障できるのか。

PICSYの提供者が、既存の貨幣経済システムSECSYにおける手数料を取るのであれば、PICSYのシステム提供者は大きな利潤を得ることは想像に難くない。演算の「丸め」誤差の処理などを「懐に入れる」などをしていないなど、PICSYの提供者が適切に運営しているかなどの正当性はどのように保障もしくは監査されるのであろうか。瑕疵は、どのように担保されるのであろうか。

(運用)PICSYのシステムは、十分な頑強さを提供できるのか。

PICSYシステムが止まっていても、お米屋さんに行ってPICSYでお米を買えるのであろうか。
既存の価値経済も、コンピュータシステムで多くの場合は処理されている。しかし、震災時や国をまたいだ地域であっても、たとえばドル札や日本銀行券などの「紙幣」という物理的な物質を渡せば、それに見合った(少なくとも、仮にでも合意された)価値を享受できる。PICSYは、現実社会よりインターネットやコンピュータを前提にしているようだ。PICSYは、マルコフ過程や行列演算を、有限時間の中で人間が手計算で行うことは現実的に困難であろう。つまり、コンピュータシステムが止まれば、その演算ができなくなる。
逆に物理的な紙幣がなくても資産が保障されるため、PICSYの方が強いのではないか、という疑問も持てる。しかし、既存の貨幣は、オンラインおよびリアルな紙幣の両方を選択でき、かつ、世界で信用がある、という点で勝るのではないだろうか。

貧富の差が拡大するのではないだろうか。

『なめ敵』111ページには「人気の集中:人気のある銘柄に取引が集中して、一人勝ちのようなことがおきるのではないか」については、介入がなければ、さらに人気の集中が進むのではないだろうか。
社会活動は、べき分布しているものが多い。さらに評価が公開されることによって、人気の集中がされるのではないだろうか。たとえば、アマゾンやApple Storeでは、商品に対してカスタマーレビューで評価される。たとえば、ある翻訳書には「一部分しか翻訳されていない」というレビューされているが、それは間違いである。悪意はなかったのであろうものの、その翻訳書の売り上げや評価に影響がでているだろう。一度、悪い評判が着くと、その評判によって売り上げが左右され、さらにその評判が強化されるループに陥る。
『なめ敵』111ページの、人気が集中するとしっぺがえしがくる、というのは反論が成立していないのではないか。たとえば、村上春樹氏の小説をPICSYで公開された場合、高い評価がされることは「妥当」であり、そのことで人気が集中してもしっぺ返しが来るようなシステムであれば違和感を感じる。

「財」の単位は、どんな形が妥当なのだろう。

たとえば、眼鏡という「財」は、視点によってレンズなのか、当てはめる行程なのか…立場や状況によってその分類や文節は異なってくる。うちの子供3は、そば、うどん、ラーメンとスパゲッティなどの麺類はすべて「つるつる」で、分離されていない。文節化を試みたが、彼は怒ったように「すべてつるつるだ」としか主張しない。きっと、しばらくすると区別が可能になってくると思うのだが、そのような一つの「財」であっても、その単位や形は変化していくが、そのあたりの変遷はどのようにすればよいのだろう。

ステートレスな方法はないのだろうか。

PICSYは、評価などの「状態を持つ(ステートフル)」ところがとても良い。個人的には「状態を持たない(ステートレス)」がすっきりとしていて好きである。ステートレスな方法はないのだろうか。
以前、サービスを含む物々交換をサポートするシステムを友人と考えたことがある。そのときの状態を検索し、適切なマッチングを行う。その場合、状態を持っていない。

コンピュータシステムからの分離できる形はないのであろうか。

今後、石油の枯渇や原子力発電事故などのエネルギー問題、温暖化など地球環境問題がさらにクローズアップされてくるだろう。
また、現代は過剰にインターネットやコンピュータに依存している状況になっているため、その「より戻し」的なムーブメントが、この10年は広がってくるだろう。たとえば、ソフトウェア開発でも、アジャイル開発では対面によるコミュニケーションを大切にするし、Facebook離れがニュースになるなど、その「香り」は既に漂っている。

おわりに(そのほか)

  • (寺)行ベクトル×評価行列の形は、なんでだろう。行列×列ベクトルと等価だからいいけど…。
  • いつまで「評価」し続けるのだろう。たとえば、20年以上も前の本に、今ごろ価値を感じることがある。=> マルコフ過程でいいのか?
  • 共通で持つ問題点であれば、導入コストがかかるため既存で流通している方法を選択しやすい。なので、PICSYが、既存の通貨制度であるSECSYと同じ問題点を持つところは、SECSYを導入する際の弱いデメリットでもありそうですね。
  • サラリーマンNEO』のファンとしては、SECSYという名前の方が魅力的であるww。

あくまで私個人の意見ではなく、これから自分が読むための疑問や切り口を紹介した*5。全体として、いろいろとこれからの社会を考える上で、刺激的な一冊である。ありがとう。

*1:その場で書籍を買うとサインしていただけるとのことだが、参加の条件に読了とある。二冊目を買え、という意味なのか…w

*2:正確には、批判や批評をするつもりもない、というのが個人的な思想・目標にあるのだが、この話題はまた別途。

*3:あくまで意見ではなく、読むための疑問や切り口の紹介です、念のため

*4:「(寺)」は、とあるお寺で伺ったお話への疑問であり『なめ敵』への疑問ではない。

*5:それにしても恥ずかしいな、このエントリ。いまさら…か。