ari's world

あるかどうかわからないけど、あるみたい。ありがとう。

市場原理と責任へのトラックバック

ざっと昼休みを使って書いてみました。もう少し考えてから修正します。とんちんかんなトラックバックですみません……。

1. インターネットの普及によって変わったと思うこと。

自分にとって大きなことは「場」の提供だと思っています。新しい場によってさまざまなメリットや自由を享受できるようになったと思います。かなり重なる部分もありますが、思いつくままに列挙すると。

  • 一次的、もしくは二次元的な情報を確認しやすくなった(中間層は飛ばすことができる)。
  • 全世界の人とコミュニケーションをとりやすくなった。
  • 議論することが楽になった。自立し自由に考えることが行いやすくなった。
  • 全世界の情報を送受信しやすくなった。
  • 全世界の「(商業的な)市場」を広げることが楽になった。
  • 国家の情報操作や地理的な制限を受けることが少なくなった。

デメリットもたくさんあります。

  • 大量の情報や係を処理する能力が必要とされる。
  • デマや情報操作が行いやすくなっている。

たとえば、自分の中で教授するメリットは人と人とのコミュニケーションが大きいです。おそらく、インターネットがなければ、こぐさんと知り合う可能性は低かったと思うし、このように低いコストでコミュニケーションが取れなかったと思います。

 1.1.2.2 しかも匿名によることもできる。

実社会と同様に匿名によることもできる。ただし全情報量が多いため匿名性が顕著になった。

 1.1.1 受信の面で。多様な情報を入手することができる。安価で瞬時に。恰も全世界の図書館を手中にしたかのようである。

安価で瞬時に世界中の人たちが何を考えているかを受信できるようになった。つまり、望めば「コネクト」や「コミットメント」しやすくなった。
全世界の図書館を手中にするプロジェクトは進行中であり、まだ実現されていない。しかし、図書館で調査するよりも短い時間で情報を効率よく検索・受信できるようになった。

 1.1.3 受信・発信の両面で。他者との主として文字による情報伝達について、時空の制約が局限された。

受信・発信の側面で、時空および国家、社会、宗教、文化の制約が局限された。

 1.2.3 補足として。1.1.1から。情報をもつことの価値が低下した。
  かつて情報をもっていることそれ自体が価値をもつこともあった。前時代の学者や官僚などは情報を独占することで自らの優位を保全したとか。

情報を持つことの価値が低下する一方、情報を取捨選択し、適切に判断する能力がより重要性を増した。
グーテンベルクの拡張とはいえるか?

  1.2.1.1 従来の伝達媒体が扱ってきたのとは異なる範疇の情報に接する機会が拡大した

よって、自分で考える材料を得ることができる。多次情報だけでなく、一次情報に近い情報を得ることが可能になった。

  1.2.1.2 反面、社会にとって意味のない、あるいは有害な情報が蔓延し、しかも受信者はそれにさらされることになる。

社会にとって意味があるかもしくは有害であるか、情報の真実性について、受信者は自立し自由に考えることができる。メディア(テレビや新聞など)による情報操作がしにくくなった。

 受信者はそれにさらされる。そこから何を得るかは受信者に委ねられている。

同感。

オロカモノがチカラをふるう社会の現出しないことを祈るばかりです。

インターネットという場も利用してオロカモノがチカラをふるう社会からの脱却を祈るばかりです。正しくは、オロカモノが何であるのか総体として考えることができる社会の出現を祈るばかりです。
インターネットを利用して、どんな社会や抽象化が実現できるか、もしくは実現するために動くか、ということついては、また別途書きたいなと思います。
http://www.masanari.com/
1,000年生きたい理由のひとつでもあります……。