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コミュニティからフレンドシップへ

Title: コミュニティからフレンドシップへ Date: November 22, 2017

要約

コミュニティとは,一般的に関心(興味,問題意識,目的や制約)を共にする人たちの集まりである.コミュニティには流動性の問題があり,募集と参加の障壁,時間と関心の障壁によって引き起こされる.

これらの問題を解消するためにフレンドシップ(友人関係)へシフトすることを提案する.関心に着目したコミュニティではなく,どのような人と関係するのかに着目するフレンドシップの重点が増していく.フレンドシップとは,友達や仲間であり,なんとなく一緒にいる,一緒に遊ぶ,一緒に取り組む関係性である.フレンドシップは,コミュニティに比べ関心が限定されない ゆるやかな関係性のことである.フレンドシップを通じて,コミュニティやプロジェクトを立ち上げる.

ゆるやかな中長期的な関係性を維持するフレンドシップによって,関心に左右されにくくなり,募集と参加,時間と関心の障壁が弱まる.フレンドシップを楽しもう.

はじめに

自分の参加しているコミュニティに若い人が来ない,という嘆きをSNSで読んだ.どうも同じ人ばかりが参加しているようだ.いろいろなテーマ設定にしても,参加するのはいつも同じような人ばかりらしい.

若い人と書くからには,それなりの年配なんだろうか.言われてみれば,年上ばかりの人たちで構成された,すでに仲の良いコミュニティがあったとすれば,そこに参加するためには少しばかりの勇気が必要だ.関心(興味,問題意識,目的や制約)が違えば,無理に入る必要もないだろう.そもそもコミュニティと,その利点はなんだろう.

ここでは,1.コミュニティの流動性と,2.これからのコミュニティについてちょっと考えてみたので,肩の力を抜いてエッセーを楽しんでいただけたらな,と願っている.

コミュニティとは

コミュニティとは,一般的に関心(興味,問題意識,目的や制約)を共にする人たちの集まりである. たとえば,地域のお祭りや商店街のコミュニティもあるだろう.ITに関する分野には,方法論や技術について議論するコミュニティや,指定された本や資料を読書して話し合うコミュニティもある.研究においても,コミュニティが形成されることが多い.ここでは,主に勉強会や読書会のような定期的に開催されるコミュニティを想定している.

コミュニティと自立

普段,仕事や家庭だけでのように人間関係が限定される状況はあり,窮屈に感じてことはある.そのような時に,仕事場や家庭以外のコミュニティに参加することは新たな人間関係を作り出す機会を得られる.出会いや仕事の機会を増やせる期待もあり,コミュニティは新たな依存先を増やすことを支援する.つまり 「自立は、依存先を増やすこと」1であるためコミュニティに参加することによって自立するお手伝いができる.

コミュニティの留意点

コミュニティは,目的や価値を実現するために作られ,同じ関心(興味,問題意識,目的や制約)を持つ人たちが集まる.同じ関心を持つ人たちが集まると,それを守ろうとする規範意識が強くなる.その強まった規範意識は,目的を達成する一方で,守るための意識が強くなる.

この規範意識を守ることは,正義感や優越感などの感情や差別意識を持つことが多い.それらの感情や意識を持って人々に接することは快感でもある.その正義感を持ったことが,いじめや排除の問題が発生する原因になる.

つまり,コミュニティ活動は,家族や勤務先以外の依存先を増やす自立をうながす.しかし,コミュニティ自身の関係性に絡め取られ,依存先を減らす自立を損ねる留意点がある.そのためにも流動性の問題は,コミュニティ維持におけるポイントとなる.

流動性の問題

問題は,老若男女に関係なく新しいメンバーが入らないことのようだ.流動性がないと,いつも同じメンバーが集まっているため,議論に発展性がなく,つまらなくなってしまうのかもしれない.

コミュニティに人が集まらない理由をゆるく考えてみた:

募集の問題とお誘い

そのコミュニティについて知らない,十分に伝わっていない可能性がある.たとえば,きなこもち研究を行うコミュニティがあったとしても,十分に告知されていなければ参加しない.

もし,そのコミュニティで扱っているテーマや価値が期待されなければ,参加できないジレンマがある.「きなこもち」を知らなければ,その研究会に入らないし,知っていたとしても日々の生活で十分である.

昔ながらの方法は,長老や有力者から声をかける,断れない状況でお誘いする,という方法がある.たとえば「もうそろそろ君はきなこもちの研鑽する時期ではないか」みたいな声がけで始まる.しかし,参加するメリットがなければ「うぜー」「めんどー」みたいな反応が多いかもしれない.結局のところ,人が人を呼ぶ形になって,いろいろな人が集まっていくような形態になっていくのだろう.

参加の障壁と未知のジレンマ

すでにコミュニティがあって,そこに新たに参加することに障壁を感じる人はいる.私自身も,他のコミュニティに初めて参加する時に,少しの勇気がいる.「気楽に参加してよ」って言われても,なんとなくコミュニティの雰囲気や文化などが,自分にふさわしいかどうか参加してみないとわからない.胡散臭さ(うさんくささ)やインチキっぽい雰囲気を感じると,より参加が遠のく.

そもそも,勉強会のようなコミュニティの場合,参加する前に,そのコミュニティの関心について参加者はわからない.十分にわかっていれば参加する必要がないだろうし,価値がわからず知らなければ参加することもない.

コミュニティ運営側は,透明性や安全性を広く告知すると共に,その内容について知らせなくてはならない.しかしながら,知らない人に関心を持っていただく関係で,そのコミュニティの成果や効果にわかりやすく伝える必要がある.わかりやすく関心を持ってもらうために「いろいろな問題を解決できます」「深い味わいを楽しむことができます」のように大げさに伝えがちである.

その結果,過大広告のようになってしまい,胡散臭さ(うさんくささ)やインチキっぽい雰囲気に繋がり,初めての参加への躊躇へとつながってしまう.

コミュニティ活動と仕事と家庭と優先順位

生活や仕事とのワークバランスの大切さが言われている.働き方改革のような言葉もよく耳にする.そのような中で業務時間から大きく超過するような時間や手間をコミュニティに使うことに躊躇する人は多いかもしれない.

コミュニティと仕事との優先順位もある.コミュニティ活動が業務に直結する場合もある.たとえば,営業やフリーランスの場合はコミュニティは貴重な営業の機会となる.学習と出会いによって将来の機会を広げられるかもしれない.しかしながら,そのような直接的なつながりが明らかではない場合は,コミュニティ活動より,限られた時間を独学や業務に使うことになる.そのためコミュニティに参加する主体性や社交性などの機会を満足させるためにコミュニティに参加することになる.

コミュニティと家庭との優先順位もある.たとえば,勉強会のようなコミュニティ活動は平日夜や土日休日に開催されることが多い.しかしながら,子どもを含めた家族が帰宅し,一緒に過ごせる時間と重なっている.掃除や洗濯のような作業ではなく,いろいろ話し一緒に泣き一緒に笑う,ような時間を共有することに価値を置いているため,家族との時間は替えがきかない.つまり,コミュニティ活動できるのは,それに効果を感じつつ,かつ業務や家庭と調整可能な人たちだろう.

関心の問題と独立したコミュニティ

いろいろな情報があふれ,それが大量に飛び込んでくるなかで様々な関心を持っている.その人それぞれの関心が異なっている.ましてや,年代が違えば,その関心や問題意識も違う.

基本的に関心が異なれば,違うコミュニティに参加する.地域コミュニティも,主に自分に関係した地域や主体的に参画できるコミュニティに参加する.自分の興味や関心と異なったコミュニティでは,有意義な参加にはならない.

つまり,それぞれ独立したコミュニティを持つことがよいだろう.たとえば,地域コミュニティでも「青年部」「婦人部」のように分離することもあっただろう.きなこもちが好きな人もいれば,磯部やからみもちが好きな人もいる.このように別々の独立したコミュニティによって,それぞれが意味のある活動が可能になる.

それぞれの複数のコミュニティが独立し,その上でそれぞれが交流できればよいのではないか.きなこもち,いそべもち,からみもち,あんころもちの関心を持つ人が,それぞれ別々のコミュニティに属するのは自然であろう.

コミュニティのこれから

コミュニティのメリットと留意点を考え,これからどのように変化していくのかをゆるく考えた:

フレッドシップへ

このように,コミュニティとは,それぞれの関心に伴って作られるものであった.しかしながら,依存先を減らしてしまう可能性も示唆された.それぞれの興味関心を持っているのは当然のことであるし,複数のコミュニティが生成されつつも,これらのコミュニティには,流動性と自立の良さと留意点があった.

それゆえ,関心(興味,問題意識,目的や制約)に着目したコミュニティではなく,どのような人と関係するのかに着目するフレンドシップの重点が増していく.フレンドシップとは,友達や仲間であり,なんとなく一緒にいる,一緒に遊ぶ,一緒に取り組む関係性である.フレンドシップは,コミュニティに比べ関心と目的が限定されない ゆるやかな関係性のことである.

フレンドシップは,以下のような特徴を持つ:

  1. 固定化された関心(興味,問題意識,目的や制約)を持たず,流動的で複数の関心を持つ
  2. 相互に観察と理解を前提とし,コミュニケーションを保ちながら,ゆるやかな関係性を維持する
  3. フレンドシップの中から,一時的な関心と興味をベースとしたコミュニティ(場合によってはプロジェクトやチーム)を立ち上げる

複数であやふやな関心を持つ長期的な関係であるため,状況の変化と,関心の変化を許容する.それぞれのコミュニケーションを保ちながら,関係性を継続する.その中で,短期もしくは中長期的な関心をベースとしたコミュニティやプロジェクトを立ち上げる2. フレンドシップを維持しながら,いくつかのコミュニティやプロジェクトを変遷しながらも関係性を維持する.

フレンドシップがゆるめるもの

フレンドシップは,コミュニティの問題をある程度は緩和できる:

  • 募集の問題 については,中長期的な関係性を前提とするため,新たな募集についての必要性が薄れてくる.SNSや地域などのやりとりを通じ,機会を得る.ただし,フレンドシップのネットワークから あぶれてしまう人たちもいるため,マッチングや機会の提供などのビジネスや行政支援などが大切になってくるだろう.
  • 参加と未知のジレンマ については,関心の流動性から知らなかったことについて,フレンドシップを通じて通常の情報交換として解消する.
  • 仕事と家庭との優先順位 については,似たような生活パターンになっている時に繋がることができる.逆に,中学時代の友人と定年後に遊ぶように数十年もフレンドシップを続けながら,数年に渡って全く対面しないようなスタイルをも許容する.

今まで,情報社会が発展していなかったため,同じ場所や同じ目的に応じて集まる必要があった.LINEやFacebookInstagramのようにSNSを通じ,世界中の人たちが関係するようになってきたため,同じことを前提とする必要がなくなった.変化に富んだ自由な関係性の中で,お互いの興味や関心を共有し続けることで変化や多様性に対応する.

このような関係性を実現し維持するための前提は,尊敬や謙虚,信頼に基づいたコミュニケーションである.遊びの中で勝敗はあれど,立場はあくまで対等でマウンティングや上下の関係は弱く否定される.SNSや役割に応じた性格として認識されており,さらに多様性は増す.

コミュニティも,異なった関心や話題を持っていても,ほぼ同じ人が参加していると聞くため,すでにフレンドシップ主体になっているのではないだろうか.「若い人」もすでにある既存の友人関係で十分に事足りているのかもしれない.もし新たな関係性を見つけたいときはコミュニティに参加する,もしくはコミュニティを立ち上げるのも選択肢の一つである.

おわりに

論語には「君子は和して同ぜず,小人は同じて和せず 3」とある.和とは,それぞれが異なっており,和音を奏でるような様である.たとえば,先の例に用いれば,きなこもち,いそべもち,からみもち,あんころもちの好きなものを尊重し,それぞれ食べればいいのではないか.

いままで人間の歴史を通じてフレンドシップは尊重され大切にされてきた.ますますフレンドシップは,大切になってくるのだろう.

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私自身,友人に恵まれ助けられてきた.感謝してもし尽くせないほどである.これからもよろしくお願いします.また私の至らぬことで友人を辞められたかもしれない,どうかお許しください.そして,まだつながっていない場合は,ゆるくつながっていきましょう.

そんなこんなで,ゆるゆると すこやかに参りましょう.


  1. 綾屋 紗月 熊谷 晋一郎『つながりの作法 同じでもなく 違うでもなく (生活人新書)』

  2. ここでのプロジェクトとは,短期的な成果を実現するための時間と領域限定のつながりであり,コミュニティに比べより厳格な関係性を維持する.

  3. 金谷 治訳注 の 論語 (岩波文庫 青202-1)