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ari's world

あるかどうかわからないけど、あるみたい。ありがとう。

頭の中の小人たち(どのように考えているかのメモ)

頭の中の小人たち(どのように考えているかのメモ)

頭の中のアレクサンドリア大図書館の話(認知特性について) - 成人発達障害当事者のブログ | decinormalが興味深かった。この投稿は、Twitterでコメントを書こうとしたら、意外にも長くなってしまったのでブログ記事にした。

私的なことなので、違う考え方が適切なのかもしれない。ただ、この文章は、文献や他のページをまったく見ずに、自分の中の気持ちを探りながら書いてみたほやほやのオリジナルである。科学的観点から遠いだろうし、ツッコミどころはあるだろうが、暖かく見守っていただけたらと思う。なにせ自分自身ですら確信がないのだから。

NLP神経言語プログラミング)の代表システム

NLP神経言語プログラミング)にコミュニケーションで意思疎通を行う際にどの感覚が優位かを判断する代表システムがある。Visual、 Auditory、 Kinesthetic (VAK:視覚、聴覚、体感覚)のどれを優位に使っているのかを判断するモデルがある。

私自身は、身体感覚(K)優位のようだ。そのため、理解に時間がかかるものの、大枠の理解が得意である。むろん入力をもとにどんどん変わっていくが、一度理解したら(入ってきたら)たいていのことはブレが少ないようだ。

視覚の認知は少し弱めである。例えば、人の顔をきちんと覚えていることが苦手だ。判別の方法は、その人のかもしだしている雰囲気としか言いようがない。なので、映画を見ることは苦手だ。雰囲気が変わると、同じ人かどうかがまったく判断できないから、物語がわからない。

聴覚(聞くこと)の認知は、もっと弱い。時間とともに過ぎてしまうのが特に苦手だ。きちんと理解した時や、質問が明確になった時には別の話題になることは多い。

練習するように身体感覚を身につける。あわてずじっくり熟成するのを待つのが良さそうだ。

頭の中の空間と位置

decinormalさんの場合:

何か知りたいことがあると私は頭の中のアレクサンドリア大図書館に行く。すると、目録カードのみっしり詰まった棚のいくつかがひとりでに開き、そこから該当の情報の書かれたカードが飛び出す。

私の場合も、同じように空間や場がある。これは物理空間(の理解)とは違うが、うまく表現できない。色もついてるか不明だけれど、近いと遠い、強いと弱いはあるように感じる。図書館とも違うが、似たようなものを表現しようとしているのかもしれない。

その空間や場には、位置がある。その位置では、勝手に何かやっている。記憶や言語、連想や風景、匂いや音などがごちゃごちゃにある。その位置が活性化され優位になって、場や空間を支配する感じだ。絶対座標ではなく、相対座標に近い気がする。

この複数の位置で、同時に別々のことをやれるので、マルチタスクは普通にやっていた。10年ぐらい前は、五つぐらいの仕事や作業は同時並行が可能だった(その代わり、体力を使う)。考えることについてのコンテキストスイッチ(作業切り替え)のコストはあまり気にならなかった。むしろ複数の仕事をやっていた時は飽きず、アウトプットの量も質も良かったように思う。特に、その位置や場を活性化するのに時間がかかるだけに、複数の位置がアクティブなのは問題なく効率よく進められる。ただ、似ていることは同時にできない、近すぎてしまって混ざってしまうからだ。

記憶のされ方

記憶も位置にある。自分の空間の中にある、位置(人)は、たいていの場合、物語(ナラティブ)や論理、出来事(イベント)がごちゃまぜに入っている。連想できるが、連想とは限らない。時系列に近いことも多いが、そうでもない。なんとなくある、としか言いようがない。

本などの知識は、その位置に行くと、本の内容、その時の匂いやページなどがごちゃまぜに入っている。記憶にあるうちは、ページ番号を見ていれば、ページ番号も合わせて、もう一度読むことができた。要約している場合は、その要約した概念もある。

理解しやすいこと/理解しにくいこと

身体感覚による理解は、身体の感覚だけに言葉にならず、説明が難しい。文章や絵にするなどの表現をしようとしても、適切な言葉や構図を選び出すことが難しい。

数学や古典などは理解しやすい。仏教の古典の蛇や犀、牛飼いや、よくできた数式は、理解に時間がかかるけれど、鳥肌が立つように体感覚として理解した(入ってきた)ことが何度かある。

逆に、矛盾した主張をしている場合、その主張がまったく理解ができない。距離が離れすぎていて、体をどこに置けばいいかわからないし、ひとつのことをだと認識が困難なのだ。たいていの場合、矛盾しているときはそのままにしておくのだけれど、「俺ってすごいんだぜ」的な相手のエゴが気になる時、そのエゴがこちらに入ってくるのが気持ち悪い。

抽象化マシン:お仕事する位置たち

理解の方法は、いくつかある。たいていは位置に紐づけられているのだが、機能に結びついているので「マシン」と名前をつけてみた。仕事のような場面で話を聞く時によく使う抽象化マシンを紹介したい。抽象化マシンは、1. データをインプット 2. 解釈/抽象化マシン 3.アウトプットの流れで使う。

  1. データ(記憶マシン): 連想が強い場所に行く(もしくは、優位になる)感覚である。例えば、ランチ(麻婆豆腐)を食べに行った時の位置に行くと、食べたおかず(映像)や匂い、音、話した人の雰囲気、風景などの連想の塊がある。
  2. 抽象化マシン: データの意味や内容を理解する。ある関心をベースにノイズを切り取って、他のデータを探しながら整合性のある概念を得る。「それって、○○ってことなんだ」と感じる(ただし、言葉ではなく概念のままのことが多い)。
  3. アウトプット(言葉探しマシン): 理解した概念にふさわしい言葉や図を探す。実は、ここがいつも難しい。例えば、辛いものを食べる喜びは、麻婆豆腐の辛さなど複雑になった味と、その中に旨みを見つけた時の喜びもあるのような言葉である(うまく表現しきれていない)。

このような抽象化マシン以外にも、具象化マシン、連想マシン、意味発見マシン…などがお仕事している。このマシンは、学習することが可能で、獲得すると色々使える。

普段は、これは抽象化マシンを使おう、というように使うのではなく(普段は、名前も住所もついていないしね)、ウロウロしていると丁度良いマシン(位置)に出会う感じである。一度、その抽象化マシンを使うと、その抽象化のプロセスと一緒に、その位置に紐付けられるようだ。

言葉さがしと表現

言葉さがしは、難しい。なかなかピタッと はまる言葉は見つからない。特に体感覚優位なので、その言いたいことと言葉との距離が遠いことが多いからである。(別の位置にある)社会性や場の空気、相手と自分の良いところも入るので特に難しくなる。

自分の場合、極めてわかりやすい表現だと思っても、なかなか難しい時もあるし、わかりやすい、と言ってくれる人も一定数以上いる。アウトプットには翻訳のような努力が必要だ。単語がない時は、状況や背景を説明したり、定義したり、いろいろ試している。ただ相手の話すことに聞くことに注意しながら、ゆっくりやっている。

他人の位置

自分の空間/場に、他人が入り込むこともあり、その人がどのように考えているか、その思考の順番や視線の位置が手に取るように感じる。その時、その人の具体的なアウトプットは予測不可能だけれど、枠組みとしては外れていないことが多い。

普段、他人の感情的な部分は極めて弱い、いや、弱めている。相手の場所に自分が行く(相手が入ってしまう)と、共感しすぎてしんどいからだ。怒っているかどうかなどの共感はすっぽり抜け落ちている。

自己同一性(いつも自分は変わらず、一緒の自分であると感じること)は強くなく、ゆるい感じだけど、安心感はある。

マインドマップは苦手(KJ法は得意)

マインドマップは、苦手である。「とりあえず100枚マインドマップを書け」と書いてあったので書いてみたけれど、馴染むことができなかった。結局、単語や文章の羅列に線を引く形式に落ち着いている。

普段、私の考えるプロセスは、1. 具体的な話や経験をインプット(記憶マシン) 2. 抽象化や内容理解、カテゴリが決まる(抽象化などの処理マシン) 3. 文章や図、話などにアウトプットする(言葉探しマシン)である。

いろいろ書いてから、それが整理されて、何者かがわかるのだ。マインドアップの場合、中心から発展させるので、記憶マシンの経験が歪められてしまってナチュラルな記憶にならないのだ。結局、納得できるようにならない。

逆に、記憶マシンから言葉探しマシンを使って出力した後、抽象化マシンや論理マシンを使ってまとめ上げた方が、自分でも発見することが多く、納得できるので、KJ法と、そのプロセスの方がしっくりする。

年をとって

このところ、いろいろなことを忘れるようになった。同時実行なんてとても無理。ひとつのことですら精一杯だ。なんて幸せなんだろう。

とりあえず、感じるままに書いてみたが、本当なのかよくわからない。たとえば、便宜上書いてみたののの「頭の中」かどうかも検討が必要だ(なんとなく頭の中だけじゃない気がするのだ)。もっと広がりがあるようなので、いつか言葉にしたい。

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