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ari's world

あるかどうかわからないけど、あるみたい。ありがとう。

なんだか体の動かし方を忘れる話し(身体的な知を獲得する時に混乱する話し)

なんだか体の動かし方を忘れる話し(身体的な知を獲得する時に混乱する話し)

保育園の運動会の直前の事だった(フィクションです)。
先生「お父さん、ごーちゃんのことで…」と話しかけられた。
「はい、どうしましたか」
先生「ごーちゃん、運動会の練習をしているのですが、(運動会の競技の)山登りの最後で登れなくなったのです。」その保育園の運動会の競技で、園児は2メートルぐらいの山に登る。
「(楽しく元気に遊ぶのが好きな先生なので、子どもが)ふざけているんじゃないですか。」
先生「いや、ごーちゃんは真剣なんです。先日まで できていました。怖がってもいないし、その力があるのに、最後はぶら下がっているばかりで…」
「うーむ…確かに、ぼそっと『山登り、できなくなった』って話していました。理由を聞いても『わからない』って」
先生「頑張るように園長先生からも話ししてもらったのですが、最後に足を上げることができないのです(おそらく問いつめるように、その競技を)やるかどうか、聞きました」

ちょっと考えてみよう。


状況

生活や仕事の中で、様々な体の使い方を身につけていく必要がある。 たとえば、子どものときは、言葉を話し方から牛乳の注ぎ方、自転車の乗り方、跳び箱や逆上がりをする。 大人になっても自動車の運転から、習い事をしているなど、様々な場面で、体を使い方を学ぶことは、とても大切な技術となっている。

問題

突然、体の使い方がわからなくなる。 そのときまで、できていたことが、ある瞬間に「抜けた」かのようにできなくなる。

似たようなことは、いくつも経験している。 私自身は、習い事のお稽古を始めた頃、とつぜん混乱してしまい<型>を忘れてしまうこともあった。 むろん、先日までできていた<型>だけど、手や足の動きが崩壊してしまった。

それ以外にも、運転免許を取ってばかりのとき、ハンドルを握ると右も左もわからなくなってしまうことがあった。 ナビがない車に乗っていて、助手席の人に「右に曲がって」と言われても、左にばかりに意識が行ってしまう。 むろん18歳になり自動車運転免許を取得しているので、右も左も、知っている。言うまでもない。 自分でも笑ってしまうほどだ。理由は、自分でも わからない。

これは軽いパニック状態というのだろうか。 自分の体の動きを意識して把握することができなくなる。 特に、慣れない頃の車の運転や、高い所に登ることは、高いプレッシャー配下に置かれると、このような傾向がある。 自分の体が、自分の体ではない気がするのだ。

解決に向けて

  • いつも以上に応援されると気になるだけで、プレッシャーが高くなり、体を使うことができなくなる(応援を力にすることができない)。
  • 同じ難易度のことをしても、体の動かし方を忘れているので、達成できない。
  • 本人なりに高いパフォーマンスを出そうとしているため「やるのか?やらないのか?」などと問いつめると気持ちが折れてくる。
  • 無意識でやっていることが多いため、「なぜ失敗したか」とか言われてもよくわからない。本人がよくわからないのだから、むしろ混乱する。

しばらく同じことを繰り返していても、向上しにくい状態になっている。 意図したように動かそうとしても、思った通りに動かず、いっぱいになっている。 そのように無意識でなされる動きのレベルと、言葉に近いレベルの間で齟齬(違い)が起こっているはずだ。

そのため、意図と体の動きについて差異を見つけ出し、修正しつつ言語などのようなタグ付けをしているのではないだろうか。 このような段階を経て、体を意図の通り動かすことができる。

整理しようとしていることに処理がとられてしまっているのではなかろうか。 そのような時に、他のリソースが発生してしまうと、余計に混乱してしまう。

解決

  1. すでにいろいろと考えている。プレッシャーはかけずリラックスする。深呼吸するのも、手足をブラブラし、脱力するのもよい。そして、手を水平に上げてみる、などの調整を行う。
  2. 安心できる状況を作る。2メートルぐらいの高さがあるのであれば、50センチメートルぐらいの低いところで、安心して試せるようにする。その際、自分や相手を卑下しないように気をつける。
  3. 一つのことだけを意識し、極めて単純な動きだけを行う。たとえば、「右足を上げる」だけの練習をするなど、混乱しにくい状況にする。パニックになっていれば、「右」すらわかりにくいので、動かしたい箇所を触ることなどで、意識を集中しやすくなる。
  4. 感覚が復帰してから、通常の練習に戻る。

ついつい焦ったりしがちだけれど、焦れば焦るほど、時間がかかるようになってしまう。 本人も周りの人も辛抱して待つことが大切だ。 本人も周りも、雰囲気と体をゆるめて取り組もう。

結果(追記)

次の日、子どもが保育園から帰ってきて「(山登り)がんばったよ。先生も ほめてくれたよ。」とニコニコしながら話をしてくれました。


これは、身体的な知に限った話しだけではなく、計算するとか、抽象的な事象にも同じことが言えそうだけど。

父は、子どもが健康であるだけで、ホッとする。 運動会、楽しもうね。

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