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ari's world

あるかどうかわからないけど、あるみたい。ありがとう。

妖怪とうまくつきあう(妖怪のしくみ、もんげーずら)

このところ妖怪ウォッチという人気テレビアニメを子供たちと見ることが多くある。 最初、マーケティング手法などが鼻につき、あんまり好きではなかった。 しかしながら、妖怪がいろいろな役割を果たしていることがわかってきた。

問題を妖怪のせいにして主体性を確保する

親が、子どもに怒ることがよくあった。 子どもが食事中に遊んでご飯を食べない、話しを聞いていない、兄弟同士でケンカする…怒るようなネタはたくさんある。 その度に、親は「もーもー」と怒っていた。 しかし、その怒りを表出したところで、残念ながら役に立たないのだ。 そんなとき、その怒っている状態に対し「妖怪モーモー」と名前を付けた。 モーモーは、ひたすら怒っているのだ。

妖怪モーモーが出てきたときは、「おおっ、妖怪モーモーが出てきた」と指摘する。 そうすると、話す相手は親ではなく、取り憑いている妖怪モーモーなのだ。 自分が責められている気がせず、落ち着いてその行動について話しができる。 妖怪とお話しして、気持ちが落ち着いてから、建設的な会話をするのだ。

その後、子どもには妖怪イヤダーや妖怪ボクノモノなど、様々な妖怪が出てきた。 私自身には、なかなか宿題や作業に手をつけない「妖怪 万尾獅子(満を持し)(YW)^1」が出てきたときには、思わず「オレオレ!」と笑ってしまった。 このブログ記事を書きながら、おせんべいを食べようかと思ったけど、「つまみぐいのすけ(YW)が出た」と思って手を止めた。 このように、妖怪はどこにでもいる。

妖怪はどこにでもいるにも関わらず、その行動や問題を指摘しても指摘されても、落ち込みやすい。 特に正論のときは、その指摘事項に対して行動が止まってしまう。 指摘した人と指摘された人は、一時的な敵対関係に陥りやすいのだ。 その結果、その問題に対して効率的な決断ができない。

しかし、妖怪を登場させることによって、自分の行動を客観的に見ることができる。 その行動は、自分自身ではなく、あくまで妖怪がしたことだ。 だから、「妖怪」という問題とすることで、問題に対する私たち、という構造を作りやすい。 その結果、自分の問題に対して、主体的に取り組むことができるのだ。

不明な事象を妖怪にして安心と勇気を得る

科学が発展し、いろいろなことのしくみがわかってきた。 明日、雨が降るかどうかも、なぜ蛍光灯がつくのか、なぜ月は動くのか…。

一方で、日常生活で不明なことはまだ多い。 なぜ親は怒るのか、ケンカするのはなぜ、とか。 そのような不明な事象はある。 さらに、友人との別れや、家族との死別のような悲しいことや、 子どもにとっての暗闇や、自然災害など恐怖などもある。 自分では、かかえきれない多くの、多くの悲しみや苦しみ、恐怖がある。

そのような事象に対して、乗り越えて生きていく必要がある。 問題や感情を含む不明な事象に名前を付け「妖怪のせい」にすることで扱いやすくする。 直面している事象と、それに対する認識や、発生している感情を切り離す動きがあるのだ。

その結果、わからないことや、恐怖や悲しさに直面したとき、頭の中が真っ白になって固まってしまうのではなく、妖怪のせいにすることで、共感し、受け流したり、笑い飛ばしたり、安心し次の行動を引き起こしやすい状況を作る。

そういえば、妖怪ウォッチのオープニングの歌詞は、こんなだった。

予測できない説明つかないことばっか
そんなら未来はもうワクワクでいっぱい

妖怪は、乗り移り、場を作り出す

ある人に妖怪が取り憑くと、他の人にも影響する。 たとえば、妖怪モーモーが親に取り憑くと、子どもにも乗り移り、イライラが伝播していく。 その影響の連鎖によって、場を作り出す傾向にある。 その伝播のスピードは早く、その妖怪に場が支配されてしまうことがある。

逆に、その妖怪の呪縛を解くと、それも連鎖する。 楽しいことも、うれしいことも、連鎖していくのだ。 だから、その場を選ぶか、場に影響を及ぼす覚悟が必要だ。

問題(妖怪)は善意によって発生する

妖怪は悪さをするのだろうか。 たとえば、妖怪モーモーは、子どもにご飯を食べ欲しい(食べて、健康を維持してほしい)という善意から発生している。 妖怪万尾獅子(YW)も、より良いモノを作ろうと作戦を練っている。 妖怪イヤダーや妖怪オレノモノは、自我の芽生えとして成長に必要なことにすぎない。 生きていくためには、雨も必要だけれど、多すぎると洪水になる。

つまり、妖怪は、悪さをしようとしているのではない。 あくまで、妥当なこと(その多くは良いこと)をしようとしているだけなのだ。 ただし、ちょっとその主張や行動が強すぎる、相手の状況やコンテキストに合わないと、問題になるだけなのだ。

だから、あらゆる事象は、善意による妖怪のしわざによる。 ただ、その善意もエゴやプライドが強いと、妖怪になりやすい傾向にある。

問題が発生したとき(妖怪に取り付かれたとき)、その問題は善意をベースにしている、といったん考えてはどうだろうか。 そうすると、多くの妖怪は、消え失せることになる。

妖怪を友達にして、バランスを修正する

このように妖怪は、表面上は悪さをし、感情や問題などの苦しみを生み出す。 これらの妖怪は昇華し、消滅することもあるけれど、多くの場合は消えることはない。 この社会に根強く残ったままだ。

では、その妖怪に対して、どのようにすればよいのか。 友達になるのだ。

たとえば、牛の形をしている怒る「妖怪モーモー」は、草を食べると落ち着く。 その怒りと友達になるためには、妖怪モグモグを召喚するのだ。 落ち着いて水を飲み深呼吸し、それから建設的な話しがしやすい。 その結果、「ご飯をちゃんと食べよう」などのメッセージが持つ妖怪モーモーは友達になる。

このように、その妖怪を消したり、友達になることで、とても成長することが期待できる。

今は、ほとんど妖怪モーモーは出てこない。 出てくる必要さえないのだ。 そして、イラッとしたときは「おっ、妖怪モーモーが来そうだった」と言うだけですむようになった。

ただし距離感を忘れると、妖怪に乗っ取られる

ただ妖怪も万能ではない。 妖怪を使えば、どんな問題でも解決するわけではない。 あくまで適切な距離を置いてつきあう必要がある。

妖怪による健全なコミュニケーション

とかくに人の世は住みにくい。(夏目 漱石

昔も、これからも、住みにくいのは続くだろう。 妖怪はいなくならないだろう。 ただ、少しずつ妖怪ではなく自分自身を取り戻し、 少しでも楽しく、幸せに過ごせたらいいなと思う。

大人でも同じだけれど、特に子どもが、精神的なしんどい苦しみに向き合うためには(身体的な)体力も大切だと実感する。 そういえば、妖怪ウォッチのエンディングテーマ曲は「ようかい体操第一」や「ダンダン ドゥビ・ズバー!」であり、両方とも体を動かす。 子ども達は、よろこんで踊っている。 体を動かして、心身ともに健康になってほしい、というメッセージかもしれない。

しんどいときは、ちょっと妖怪を見つけ、たまには妖怪のせいにして、乗り越えていくのはどうだろう。


2014年9月6日(土)に早稲田大学理工学部キャンパスでAgile Communication Programが、こんなワークショップをやるよー。ぜひ、遊びにきてね!

(この妖怪のスゴさについては2014年8月12日に打ち合わせして、8月15日にプログラムの更新していただいた)。

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関係するブログ記事

追記

  • 友人に教えてもらいました。こちらも参考になります。 『妖怪ウォッチ』が子供社会を救う? ~ 問題の可視化、許しと共存 ~ - Togetterまとめ

  • プロジェクトランゲージやコミュニケーション技術をベースにした 2014年9月6日のワークショップでは、たくさん妖怪を発見することができました。参加してくださった皆様のアンケートや感想によると、とても満足していただいたようで、ほっとしております。どうもありがとうございました。