ari's world

あるかどうかわからないけど、あるみたい。ありがとう。

なんで冷たいんだろうなぁ

Miki Ogura さんのブログより

この東京の人たちの冷たいのを見ると、ドイツが天国に見えてドイツに帰りたくなった

東京で生まれ育った私でも、この気持ちがよくわかります。なんでこんなになったのでしょう。
直感的・主観的な話でごめんなさい。昔から東京で生まれ育った人の中にも「冷たい」人もいました。しかし、やっぱりいろいろな人が、注意しあったり話し合ったりして、それなりにあたたかくすごしていました。
いろいろ原因が考えられますけれども、ひとつは顔がわからなくなったこともあるかもしれません。もうひとつの原因は冷たい状態でいたほうが自分の身を守ることができる、損をしない/メリットがある(と おろかなことにも*1 )や、「儲からない」と考えているからかもしれません。
自分の中での分岐点は ある事件を覚えています。昔、襲われている人を助けようとしたある学生が殺されてしまったニュースでした。注意した社会人も殺された事件も何度か聞きました。そのとき私自身は高校生で「悪いことをしている人を見ても注意しないように」と指導があったように記憶しています。子供や学生を事件に巻き込まないために必要なことだったのかもしれません。
昔の東京(少なくても自分が住んでいるところ)では誰が住んでいるのか、大体わかっていたような気がします。これは親が商売をやっていたからなのかもしれません。でも今は誰がどこに住んでいるのか地元ですらわかりません。むしろ自宅に石を投げたり夜中まで騒いでいる人がいました。この騒ぐというのは、かなり「つっぱった」人たちが集団でいるために身の危険すら感じていました。ちなみに隣の商店街で商売をやっている彼の親は離れた土地で騒ぐより地元で「たむろ」するほうが安心しているらしく、注意どころか奨励しているようですらありました。

どのようにすればよいのか明確な答えは見つけていません。ただ、いくつか考えてみました。

  • 強くあれ。深い意味で強くなくちゃいけない、強くならなくちゃいけないなぁと思います。これだけで大きなテーマになりますので、日を改めて書きたいと思います。
  • ひとりひとりがしっかり考える。その行動を起こすその人自身だけでなく、とりまきが与える影響は大きいものがあります。悪いと思っていても巻き込まれたほうがメリットが高い、と判断する人もいます。ある書籍の中で「戦争がいいと考える人も世の中にはいる」と聞いたとき、なるほどなぁと思ったものでした。ただ総和として望んでいる方向に行くだろうと思います*2。こちらも日を改めて書きたいと思うことです。
  • 明確にはなっていませんけれども、褒美と処罰について考えてみる

ただ、正直なところ先日のエントリで書いたとおり、ためしに(?)海外に移住してしまおう、というのもひとつの選択肢なのかもしれませんね。
もちろん、これらは人に強制するものではなくて私自身に対してのことです。特に返信や連絡が大幅に遅れたりして失礼をしてしまうことも多々あるのでいつも深く反省しています。

まだまだ書きたいことだらけですけれど、ひとまず。これからもみなさんと楽しく遊びたいと思いますので、よろしくお願いします。


追記 (リンクを作成)

安全神話崩壊のパラドックス―治安の法社会学

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*1:なぜ「おろかなこと」であるかの証明は、リンク理論やゲーム理論などを使ってできるかもしれませんね。因果応報や隣人を愛せよ、のような宗教的な側面からもアプローチできるかもしれません。いづれにしろいつか書きたいと思います。

*2:The Wisdom Of Crowds http://www.amazon.co.jp/gp/product/0385721706/を参考にしています